« 斎藤佑樹の七月。「もう少し」への挑戦。 | メイン | 武隈、今季初勝利。快投の裏側にあった銀仁朗の「思い」 »

2012年7月 8日 (日)

高市俊、27歳。「打たせる投手」への転身。

 プレーボール前の3時間、魂を燃やす男たちがいる。打撃投手だ。今季の日本ハムに1人の“ルーキー”が入団した。高市俊、27歳。昨年までヤクルトの投手だった。

 「まだ必死に投げているだけなんで。もっとしっかり打者の特徴を把握して、ストライクを投げ続けなくてはいけませんからね」。奥が深い仕事だと語る。

 帝京では02年夏の甲子園4強。青学大3年だった05年の大学選手権では、4戦4勝で日本一に導き、MVPに輝いた。06年の希望枠でヤクルト入りも、5年間の通算成績は0勝2敗。昨秋、戦力外通告を受けた。2度のトライアウトに挑んだが、現役続行はかなわなかった。

 打たせない投手から、打たせる投手に。役割は180度、変わった。道具の準備。トス上げ。チームのためなら、何でもやる。練習中は息つく暇もなく、動き回る。

 6月13日の巨人戦前。稲葉から指名され、早出特打のパートナーを務めた。稲葉は言う。「まだ打撃投手特有の“抜く”投げ方ができていないかな。でも制球がいいし、球が生きているから、いい練習ができた。助かっているよ」。その夜、稲葉が猛打賞。自分のことのように、うれしかった。

 札幌では単身赴任。6月5日には第1子となる長女・芽依ちゃんが生まれた。第二の人生は、始まったばかりだ。「チームの日本一へ役に立ちたい。恩返ししたいんです」。右腕を振り抜く情熱は、あの頃と変わっていない。(2012年6月18日「スポーツ報知」東京本社版掲載)

コメント

悔いの無いように頑張って下さい。

ちょっと調べ事であなたが出てきました。悔いの無いように頑張って下さい。以上。

私も、50年前には27歳でした。
その時代の日記を公開しています。 今の自分を作り上げるうえで、一番大事な時期でしたよ。

http://ilovejesus.minibird.jp/27sai/27top.html

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。