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2012年8月 8日 (水)

【甲子園通信】「がばい旋風」から5年。満弾男に会えたのだ

 ちょっとした自慢をさせてもらいます。07年夏の甲子園を制した佐賀北の原稿で「がばい旋風」と初めて表記した記者は、このわたしである。幼少期からB&Bの漫才に憧れ、島田洋七の話芸に恋い焦がれてきた。そんな自分にとって「佐賀=がばい」だった。気づいたら、テレビや一般紙が「後追い」してくれた。そんなこともあって、佐賀北は思い入れのあるチームだ。

 きょう、初日の第3試合は佐賀北VS仙台育英。プレイボール直前、三塁側アルプスの階段を上り下りしながら、奇跡のスラッガーを探した。副島浩史さんだ。5年前の夏、野村祐輔投手(現広島)を擁する広陵とのファイナルマッチ。1-4で迎えた8回、左翼席中段に逆転のグランドスラムをぶち込んだ。直前の押し出し四球はどう見てもストライクで、ハッキリ言って球審の誤審なのだが、それにしてもあの場面での逆転満塁弾は劇的すぎた。神に選ばれし球児と言っていい。

 いねえかなあ。強烈な太陽光線を浴びながら、アルプス席の階段を降りたり、登ったり。ああ、やっと見つけた。アルプス席の中段やや後方に、タンクトップ姿の副島さんが、いた。

 「甲子園に来るのはあの日以来、初めてです。今の選手は教育実習の時、一緒に汗を流したんで、自分ではチームメートのように思っています。甲子園を決めてくれた時は、自分のことのようにうれしかったです」

 福岡大に進学後は、九州六大学リーグで本塁打王、打点王も獲得した。昨秋は体育の教育実習で母校へと戻り、後輩を指導した。吉冨寿泰部長は教えてくれた。

 「副島は、教え方が上手いんです。チーム内では『副島信者』が増えちゃって。アドバイスを取り入れたり、メールで聞いたりしている選手もいるんですよ。練習後も人だかりができて、遅くまで喋っていたりする。アイツの人柄なんでしょうね」

 卒業後は地元の佐賀銀行に就職した(当時、雑誌「甲子園の星」ではイケメン球児として人気を博し、亜大でもプレーした井手和馬さんも同じ佐賀銀行に入行していた!)。軟式野球を行う傍ら、今でも母校のグラウンドに顔を出し、後進の指導に当たっているという。奇跡の日本一に上り詰めた「KITAKO」の野球は、着実に後輩らへと伝承されている。

 きょうは、お休みを取られてきたんですか? そんなわたしのに問いかけに、副島さんはこう言った。

 「上司や先輩の皆さんに気を遣っていただいて、支えられて、甲子園へと応援に来られたんです。自分はまだ新人ですから。まずは挨拶から、きちんとやるようにしています」

 38歳のわたしにとって07年の「がばい旋風」は、つい最近のことのように思える。でも、高校球児だった副島さんは、しっかりとしたビジネスマンへと変貌を遂げていた。ああ、そういやオレも最近、白髪が増えてきたっけな。階段を上り下りするアルプス取材も、ちょっとだけしんどくなってきた。5年間という時の流れを感じる、真夏の午後だった。Img_6905

(右が副島さん。左が井手さん。井手さんのアイドルっぷりは今でも変わらなかった!)

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