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2013年6月 3日 (月)

初代ファミスタから27年。熱投、「わたなへ」の130球

 家具調テレビのブラウン管の中にいた「わたなへ」は、大粒の汗を流していた。ああ、スタミナ切れだ…。

 球威がなくなり、「たつのり」や「なかはた」に痛打された。コールド負け寸前。小6の私はリセットボタンを押した。友人はあきれて言った。「カトちゃん、ズルいんだっぺよ」。ゴメンゴメン。もう一丁、プレーボールすっぺか―。

 1986年12月、北関東の地方都市に住んでいた私の小学生ライフに、革命が起きた。ナムコからファミコンソフト「プロ野球ファミリースタジアム」が発売されたのだ。選手個々の能力が異なる野球ゲームは初めて。放課後は運動公園で草野球に興じていたガキどもが、茶の間に引きこもる事態となった。

 私のお気に入りは「ライオネルズ」のエース「わたなへ」だった。その年、21歳の若さで16勝を挙げ、最多勝に輝いた西武の渡辺久信がモデル。だが、現実と違う点もあった。

 150キロ近い速球とフォークが武器なのだが、勢いに任せて投げ続けると、わずか数十球でスタミナ切れに陥るのだ。実際は1試合で160球ぐらい、平気で投げて完投するのに…。

 あれから27年。

 5月24日、西武ドームのマウンドに「わたなへ」が立った。全体練習のバント特訓。指揮官が自ら志願し、打撃投手を務めたのだ。

 あの日のゲーム画面のように、汗だくになって130球を熱投。右足をつらせながら、5月に入って失速するチームに魂を注入した。

 「何か、感じてくれたらいいと思ってね。めいっぱい、今の力を全部出した。でも、余裕だよ!」

 熱戦は続く。ペナントレースという名の決闘に、リセットボタンはない。

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