僕の人生を変えた三沢光晴
スポーツ新聞の会社に入っても、希望の部署に配属されるとは限らない。「志望動機は、プロレスラーの凄味を伝えたいからです。三沢光晴という男がいて…」。17年前、面接官に力説したことを思い出す。
入社後、広告営業6年に野球担当10年。リングの激闘を追う夢はかなっていない。
だが、1度だけ“夢の人”に接する機会があった。
巨人番だった06年4月、三沢さんが親交のある原監督を激励に、東京ドームを訪れた。指揮官と談笑後、一礼してグラウンドを去った。
直撃するなら、今だ。
あの~、三沢さん。初めまして。デビュー当時からのファンです。
僕は大学を出たら、田舎で公務員になろうと、漠然と考えていました。
でも、あなたが人間の限界を超えるファイトを繰り広げるものだから、沸き上がる感動を原稿用紙にぶつけたりして。
その投稿が「週刊プロレス」に掲載されたんです。
何度も読み返し、一瞬を鮮やかに描く仕事がしてみたいと思うようになりました。
三沢さんがいなければ、今の自分は―。
そんな個人的な話をもちろん言えるわけはなく、追いすがって談話を取り、大きな背中をウットリと見つめるだけだった。
「僕はぶっちゃけ巨人ファンというよりは、原監督ファン。原監督は原監督のままで、無理しないで自然に選手がついてくれば、いいと思うよね。こんな感じでいい? ごめんね。うまくまとめておいて」
あす6月13日。4回目の命日。
記憶の中の笑顔は、鮮やかなままだ。
三沢さんの突然の死は、衝撃的でした!
三沢さんが現存していれば、NOAHやプロレス界の現状も変わっていたかもしれない。
けれど、どの世界でも変革の時代は来る。
天国で、現在NOAHで頑張っている選手たちやプロレス界全体を、笑顔で暖かく見守ってくれているでしょうね。
投稿: wood9310 | 2013年6月17日 (月) 21:29