僕の人生を変えた三沢光晴
スポーツ新聞の会社に入っても、希望の部署に配属されるとは限らない。「志望動機は、プロレスラーの凄味を伝えたいからです。三沢光晴という男がいて…」。17年前、面接官に力説したことを思い出す。
スポーツ新聞の会社に入っても、希望の部署に配属されるとは限らない。「志望動機は、プロレスラーの凄味を伝えたいからです。三沢光晴という男がいて…」。17年前、面接官に力説したことを思い出す。
西武ドームと、ファームの本拠地・西武第二球場は隣接しているが、その距離は近くて、遠い。
家具調テレビのブラウン管の中にいた「わたなへ」は、大粒の汗を流していた。ああ、スタミナ切れだ…。
やってもうた―。その瞬間、西武の遊撃手・浅村栄斗の顔面は真っ青だった。
交流戦が始まった。西武は15日、神宮球場でヤクルト戦だった。野球記者になって11年目を迎えるが、そのうち6年間をアマ野球担当として過ごした。当時、神宮球場には週に7日通うことも多々あった(休暇も東都大学リーグを見に行っていた)。高輪の自宅アパートから自転車のペダルをこぎ、外苑西通りを北上して神宮球場に向かう道のりが、とても好きだった。
同世代の仲間は、宝物だ。心が落ち込んだりした時、何となく会いたくなるのはタメ年のヤツだったりする。同じ時代を生き抜いてきた「戦友」のような存在でもある。
「松井秀喜みたいな強打者になりたい」。それが少年の夢だった。
4月29日、西武は楽天を8-4で下し、渡辺久信監督が就任1年目で日本一に輝いた08年以来、5年ぶりに6カード連続の勝ち越しを決めました。若い力が続々と台頭する中で、ヒーローに躍り出たのは普段は脇役の28歳。代打の大崎雄太朗外野手でした。
9年前にJAPANのユニホームに身を包んだサブマリン・牧田和久を見たことがある。アマ野球担当だった2004年7月、大宮公園で行われた日米大学野球の第4戦だ。
プロ野球選手は2月14日をキャンプ地で迎えます。西武のキャンプ地・南郷にも早朝から女性ファンがつめかけ、アーリーワークを終えたお気に入りの選手へとチョコレートを手渡していました。
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