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2008年9月29日 (月)

御苦労様、広島市民球場(第428回)

Photo  28日の試合で広島市民球場での公式戦が幕を閉じた。1950年にセ・リーグに加盟した広島カープだったが、確たる親会社がないことでたちまち経営不振に陥り、一時は解散の危険性もあった。しかし、球場に置いた樽に募金するという樽献金をして球団を存続させた。日本のプロ野球は1953年から本拠地連戦システムをスタートしたが、広島の本拠地球場は広島総合球場。スタンドが土盛りで収容人員も1万人強という狭さに加え、当時各球場が設置していったナイター設備もなく、公式戦は同球場だけでなく、中国地方各地で本拠地試合を消化した。

 1953年の開幕時を例に取ると広島―尾道―呉―福山―広島―広島―十日市―広島―広島―呉―大竹。17日間で11試合を消化したが、うち6試合は近隣で行った。4月1日、洋松との開幕第2戦を行った尾道とは、何と尾道西高校グラウンド。宇佐美徹也氏著のプロ野球記録大鑑によれば「スタンドも外野フェンスもない。仕方なくナワを張り巡らして境界線を作った。4回、広島・白石勝巳の打球が右中間、風に乗って外野の張りナワぎりぎりのところへ落ちこんだ。白石はダイヤモンドを一周したが、洋松側は観衆がナワヲ引っ張って下げたその上を通過したから本塁打ではないと抗議したが判定は変わらなかった」。そんな珍事も、本拠地球場がお粗末だった事に起因している。

 そんな思いも1957年7月に広島市民球場がオープンして解消。1975年に初優勝してからは黄金時代を築き、同球場は広島ファンのメッカになっていった。今季はクライマックスシリーズの可能性と同球場ラストイアーが重なり、実数発表で史上最多の観客動員数をマーク。先週、ヤンキー・スタジアムが、同じ28日にはメッツの本拠地シェイ・スタジアムが最終試合を行ったが、被爆からの再生の象徴でもあった広島市民球場への地元ファンの思いは、ニューヨークの2球場へのニューヨーカー以上のものがあるのではないだろうか。

 記録部が長かったため、私が同球場に行ったのはスピードガンを持って取材に飛び回った1979年。5月の巨人戦と、近鉄との日本シリーズだ。街中にあって通いやすい球場という印象と、当時はネット裏席にも背もたれイスがなかったことを覚えている。日本シリーズでは、大阪球場での1、2戦に計8打数ノーヒットで連敗の一因を作った、後の国民栄誉賞受賞の衣笠祥雄内野手を、地元に戻った第3戦から古葉竹識監督が先発から外すショック療法。現場では大きな話題になった英断が功を奏し、地元ファンの前で3連勝したのは、印象的だった。

 シリーズ中にはまた、私が財布を落として途方に暮れていたところ、球団事務所に行くと「届いていますよ」との答え。ファンの方が届けてくれたもので、ほっとするとともに、熱狂的でありながら模範的な広島ファンを改めて見直すきっかけにもなったことも覚えている。来年から素晴らしいスタジアムがオープンする。神戸のスカイマークと同じように全面天然芝。広島市民球場のようにファンから愛されるスタジアムになることを願うと共に、チームに再び黄金時代がやってくることを期待したい。

【絵解き】28日、広島市民球場のスタンドは赤に染まった(リーガロイヤルホテル広島から撮影)

コメント

ファンに愛された球場がまたひとつ役目を終えて消えていくのは寂しいです。
でも、この球場ほどファンに愛された球場もないでしょう。球史を刻んだその跡地には何かモニュメントを残してほしいですね。

広島は日本の中では野球王国のひとつ。できれば新球場はMLBにもある天然芝開閉屋根つき球場にしてほしかった。雨天中止でがっかりして帰途に着く野球ファンを多く見てきましたから。それに軍隊式で鍛え上げる広島東洋カープでも6月の雨による中止で終盤のスケジュールがきつくなるのは酷でしょう。救いは、今度の新球場は、開閉屋根を今後つけられる構造にもなっていること。熱心な野球ファンの多い地域ですので、是非そうしてあげてほしい。それにはカープはもう少し強くならないと。

蛭間さん、ご無沙汰してます。

素人の身分ですが、これまで北は札幌ドームから南は宮崎サンマリンまで全国各地の球場を訪れましたが、広島市民球場の印象としては球場内の雰囲気がとにかく暖かい事、そしてカープファンでない方でもカープの魅了に惹かれてしまう事、そして当分にとっては野球の面白さを教えてくれた球場でした。

1977年、王選手のホームランをこの目で観たく、水中翼船に乗って四国から広島へ訪れたのが最初でした。そして幸運にもホームランを観れた事を今でも鮮明に覚えてます。

以降高校生まで、夏休みとなれば母の姉が住んでるある広島市郊外で寝泊りしながらカープ戦を観にいきました。

1983年レジー・スミスの場外ホームランを観た事、オールスターでオリオンズ時代の落合選手の2連発、ジャイアンツ・吉村選手のホームランが観られた事(異なる年度ですが)、1987年衣笠氏の2131試合連続試合出場(当時の記録)を達成した時、外野席の観客によって描かれた赤の「2131」の人文字、ジャイアンツファンの身分からか周りから罵声を浴びながらも愛嬌たっぷりで貧乏時代のカープのエピソードを伺った事(因みに、この時はライトポール際にて観戦しました)、オールスターゲームで野茂がひょんな事から代打で登場し、その裏工藤がレフトの守備位置についた事(1991年)、現時点におけるカープ最後のリーグ優勝時(1991年)、日本シリーズのチケットを購入する為に友人と夜を徹して並び、大学の授業をサボって観に行った事などなど。

観戦回数こそ後に完成した東京ドームにその座を明け渡しましたが、当分における野球のルーツたるものが広島市民球場にはたくさん詰まってます。

涼しい時期となれば原爆ドーム、平和記念公園をバックに観戦する実に贅沢な空間ではありますが、夏になればキレイどころが太陽の光が眩しすぎて野球観戦の妨げとなったり、「瀬戸の夕凪」(夕方になればピタッと風が止む現象)のおかげで球場内はサウナ風呂状態となったり、内野座席は決して広くないし、トイレは臭いし・・・もう大変でした。

その一方で、飲み物片手にカープうどん(甘辛い肉うどんは最高です)、”むさし”のおむずびを食べ、”カープを肴”にカープファンのおっちゃんとの会話を楽しむ事が出来るアットホームな空間でありました。

9月初旬、夏休みを利用して最後のタイガース戦(ナイトゲーム)を観に久々に行って参りました。『来年で閉場するんだなぁ』と脳裏に沸いた途端、走馬灯の如く広島市民での観戦を思い出してしまいました。(地元の方には到底勝てませんが、約50試合は行ったかな。)

2008年で最後という事もあってか、25000以上のお客さんが来場。場内は相変わらず無風のサウナ状態で、試合が終わった時には全身汗だらけになりましたが場内の雰囲気を十二分に楽しませてもらいました。

選手の顔ぶれ、スコアボード、応援スタイル(かつてはトランペット&しゃもじ)は初めて観戦した30年前と比べ大きく変わりましたが、カープファン、場内で働いてるおばちゃん、そして場内の雰囲気は時代が経っても何一つ変わってませんでした。

広島市民の『元気の源』、『希望の光』と記述しても過言ではない市民球場の閉場は本当に残念でなりません。新球場に移っても、市民球団ならではの「暖かさ」は継承して欲しいものです。

ジャイアンツファンでありますが、カープが優勝すれば今後も(日本シリーズに)観に行きそうな気がします。

場外に掲げてましたが、広島市民球場には野球を通じて多くのものを学び教えてもらいました。

『夢と感動をありがとう』 長文で失礼しました。(*_ _)ペコリ

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蛭間 豊章

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