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2009年2月 4日 (水)

1985年8月12日(第453回)

 在京スポーツ紙7紙の東京映画記者会選定の第51回ブルーリボン賞の授賞式が3日、都内で行われた。私もファンの一人として客席で楽しませてもらった。プロ野球のコンベンションなどは取材したことがあるが、芸能界はまったくの門外漢。男臭さ満点の野球界よりも、主演女優賞の木村多江さん、新人賞の吉高由里子さん、司会の麻生久美子さんらの姿にうっとり。主演男優賞・本木雅弘君のりりしさにも圧倒された。

 もう一つの楽しみは、作品賞に選出された「クライマーズ・ハイ」の上映だった。横山秀夫氏著のベストセラーで、2005年にNHK総合でドラマ化され佐藤浩市さんが主人公・悠木和雅を演じたが、映画では原田眞人監督がメガホンを執り、堤真一さんが悠木役。佐山達哉役を演じた堺雅人さんが「アフタースクール」の演技とともに、ブルーリボン賞の助演男優賞を受賞した。

 原作本や、テレビ、映画などをご覧になった読者の方も大勢いると思うので、ストーリーは省くが、改めて思い出すのが日航機が墜落した1985年8月12日ということになる。舞台となった北関東新聞のような地元紙と違って、こちらはスポーツ新聞だが、あの日の思いでは強烈だ。12日は月曜日でプロ野球の試合がなく、野球部の記録担当で出社していたのは宇佐美徹也さんと私の2人だけ。

 映画でも使われていた共同通信の臨時ニュースが流れた瞬間、スポーツ報知の編集局のほとんどのテレビのチャンネルがNHK総合に合わされた。刻一刻と伝えられる最新ニュースが流れるたびに、編集局の喧騒が高まっていった。その後、歌手の坂本九さん、野球界では翌日からの巨人3連戦を前にした阪神タイガースの中埜肇球団社長などが乗客名簿にあった、として取材記者が飛び出していった。

 翌日の報知の1面の見出しは「坂本九さん遭難」「日航ジャンボ機墜落」。その後、同じ新聞というフィールドに立っていながらもこちらは、連日テレビで報道されるニュースを見るだけの傍観者となった。後に御巣鷹山に取材に行った本紙記者や、当時日航のハイヤーの運転手さんに、生々しい現実を聞かせてもらったが、ぴんとこなかったが、今回の映画(テレビドラマの時もそうだったが)で改めて地元新聞社の編集局の葛藤が伝わってくる。

 映画でも紹介されたように、夏の甲子園大会が開催中で群馬代表の東農大二高の選手の父親も乗客として亡くなって、大きく報じられていた。大会は桑田真澄、清原和博両選手を擁するPL学園が2年ぶりの優勝を果たしているが、私にとっては日本一の野球関係書籍蒐集家で、懇意にしていただいていた福室正之助さんが大会期間中に亡くなった事も忘れられない。1985年はまた、ワープロ普及以前で、15字5行の原稿用紙で書いていた時代。今以上に、人と人がぶつかりあって新聞を作っていた時代だったかもしれない。この映画は私を24年前に引き戻してくれた秀作だ。

 【追伸】今回の映画ではまた、ロサンゼルス在住が長くロサンゼルス・ドジャースの大ファンとして知られる原田監督が、野球がらみのシーンを盛り込むのか興味深く見守ったが、主人公の息子がその年、日本一になった阪神タイガースの帽子をかぶっていたのと、主人公が自宅で休むシーンで野球のアンダーシャツを着ていたぐらいか。ドジャースはこの年、ナ・リーグ西地区で優勝しながら、カージナルスとの優勝決定シリーズで当時の守護神であるトム・ニーデンファー投手が、第5戦でサヨナラアーチ、第6戦で9回逆転3ランを浴びてワールドシリーズ進出を逃した。原田監督はどんな思いを持っただろうか。

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蛭間 豊章

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