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2010年2月10日 (水)

今では考えられない“巨人の中南米遠征”(第521回)

 来季から巨人は、春季キャンプを従来の宮崎総合運動公園&清武町総合運動公園とともに、球団史上初となる沖縄・那覇の奥武山球場などでも行うことになっている。巨人が宮崎以外でもキャンプを張るのは2004年のグアムが最後。面白いことに1982年から92年を含めグアム開催(いずれも宮崎と併用)は12シーズンあり、リーグ優勝は4回のみ。一方、1993年以降宮崎に1本化した14シーズンは7回と"優勝率"は格段に上がっている。来季以降の結果が注目される。

 巨人の"優勝率"が最も高いキャンプ開催地は米国本土だ。1953年のカリフォルニア州サンタマリア。前のドジャースのキャンプ地だったフロリダ州ベロビーチでは、長嶋茂雄監督就任1年目の1975年こそまさかの最下位に終わったが、1961、67、71、81年と、6回中5回がリーグ優勝。それもすべて日本一に輝いている相性の良さだった。

 海外キャンプとは別に、海外遠征も行っている。1935、36年の北米大陸は、文献も出版されるほど、球団史の中でも草創期の忘れられない出来事して知られている。ところが、球団が発行した「巨人軍50年史」でも、数行しか触れられていないのが1955年の中南米遠征だ。2月2日に渡米し3月16日帰国。当初はベネズエラも回る予定だったが、相手チームが解散して急遽取りやめ。それでも、パナマ→コロンビア→ドミニカ共和国→キューバ→メキシコと5か国を転戦。グラウンドの粗悪さに加え、地元チームびいきの判定に泣かされ、8勝18敗と大きく負け越した。

 帰国した翌日の3月17日、報知新聞1面には、プロ入り3年目で20歳になったばかりの藤尾茂捕手が「パンと肉だがこれがお粗末なんだ。水は東京と比べものにならないほどひどい。飲んだら下痢を起こす。だから、ヤケになってコカ・コーラばかり飲んでいたよ」。同じ3年目で24歳の岩本尭外野手は「(高地にある)メキシコは気圧が低くてやりきれなかった。試合前にレフトからライトに走るだけでへばってしまう。目とか鼻とかやられてしまう」と苦労話を語っている。ただ、第1戦から最終戦まで34日間で26試合行うハードスケジュールの中、この若い2人が頑張ったという。

 球団草創期の1935、36年の北米大陸遠征の経験もある水原茂監督だが、プロ野球が軌道に乗ってきた時代になってからの強行スケジュールに「バスで11時間もユニホームのまま次の試合会場に向かうなど選手もとても苦労した。休養もとれないが、遠征で疲れていながらもなお勝つところに本当の強さがあり、また今度の遠征の意義もあると思う」と公式戦を前にして成果があったことを強調した。

コメント

日米Wシリーズの記事を目にしました。
ふっと思ったというか正直な話、対戦カード、開催地、時期によっては
アジアシリーズの二の舞になるような気がします。

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蛭間 豊章

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