ブログ報知

スポーツ報知ブログ一覧

« 偉人伝で知った尾崎行雄さん(734回) | メイン | 交流戦終了。マー君の倍投げた1961年8月の権藤博(736回) »

2013年6月17日 (月)

通算99勝で終わった黒尾重明さん(735回)

 読売ジャイアンツの内海哲也投手が16日、福岡ソフトバンクホークス戦に完投勝ちしてプロ野球131人目の通算100勝を達成した。祖父の五十雄さんも戦前ジャイアンツの内野手としてわずか20試合ながら出場している。兄がプロ野球選手で通算100勝以上した選手には野口二郎(兄は明=237勝)、西本聖(兄は明和=165勝)、藤村隆男(兄は富美男=135勝)、金田留広(兄は正一ほか=128勝)の4人。父親がプロ野球選手では、黒田博樹(父は一博=日本で103勝)がいるが、祖父―孫の組み合わせでは今回の内海が初めてのことになる。

 内海が99勝から4試合足踏みした際に思い出したのが、日本プロ野球でただ一人通算99勝で現役生活を終えた黒尾重明投手の事だ。故・宇佐美徹也さんの「プロ野球記録大鑑(講談社刊)」のお手伝いをした時に教わった人物。後に作家となった山口瞳さんと小学生時代同級生で、山口さんの著書に何度も登場する。また、現役引退後は報知新聞記者として記事や評論を書いていたことも後に知った。
 都立化学工を卒業、徴兵されて特攻隊に所属。戦争が長引いていれば間違いなく戦死していただろうと言われている。プロ野球が復活した1946年にセネタース(現北海道日本ハムファイターズ)入りすると、速球投手として即ローテーション入り。最初の4年間すべて2ケタ勝利&投球回250イニングをマークし、2リーグ分立した1950年には近鉄パールスに移籍。パールスの記念すべき初試合の開幕投手も務めた。2年間低迷も1953年に14勝11敗。防御率2・02はリーグ2位の好成績だった。
 27歳で迎えた1954年。100勝まであと4勝などたやすく達成すると思われた。7月8日には、その年初優勝する西鉄ライオンズと対戦。中西太こそ先発を外れていたが、大下弘、関口清治、豊田泰光の強力打線相手に8安打1失点で完投し99勝目を挙げた。ただ、肩を痛めていたことを伺わせるようなコメントも翌日の報知新聞紙上に掲載されている。球審を務めた坂本一審判員は「黒尾はナックルがかったスローボールで完全にスピードを殺し、特にアウトコースに緩いカーブがよく決まっていた」とのコメントが掲載されている。1951、52年の低迷の原因にもなった肩痛を暗示させるような、変化球投手に変貌していた。
 その年唯一の完投した疲れがあったためか、続く登板は16日後の22日。最下位・大映スターズ戦に先発したが、肩痛を訴え2回で早々と降板。この年は10月16日、毎日オリオンズ戦に調整の意味もあってリリーフ登板したが、またもKOされた。1955年も残り1勝を目指したものの白星は遠く、ペナントレースの行方がほぼ決まった10月1日、オリオンズ相手に温情もあって先発に起用されたが、1アウトもとれずに通算121敗目を喫したのを最後にユニホームを脱いだ。結局、王手をかけてから先発は5試合だったが12試合に登板しながら夢の100勝は成就しなかった。
 その後は、軟式の杉並セネタースで一緒にプレーしていた作家・有馬頼義さんに頼まれて、成蹊大野球部監督も短期間務めるなどしていたが、1974年に49歳の若さで肝臓ガンのため亡くなっている。プロ野球が始まって79年。こんな投手もいたことを覚えて欲しいものである。

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://bb.lekumo.jp/t/trackback/235990/31641517

このページへのトラックバック一覧 通算99勝で終わった黒尾重明さん(735回):

サイト内検索

蛭間 豊章

ヒルマニアロゴ

最近のトラックバック

見出し、記事、写真の無断転載を禁じます。Copyright © The Hochi Shimbun.