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2013年8月10日 (土)

「無名」から這い上がった2人の20連勝投手(第741回)

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 楽天の田中将大投手が9日、プロ野球記録の20連勝に並んだ。従来の記録は1951年から52年の巨人・松田清、1957年1シーズンでマークした西鉄・稲尾和久だ。
 左腕からの大きなカーブが武器だった松田に対し、速球、スライダーすべてに日本を代表する右腕だった稲尾。だが、いくつかの共通点がある。

(1)入団時は無名
 松田は東京の中野高(現・明大中野高)からテストで1949年途中入団。稲尾は大分の別府緑ケ丘高(現・県立芸術緑丘高)から1956年入団。南海との二重契約で騒がれた小倉高・畑隆幸の影に隠れていた。
 (2)連勝は20歳時
 松田は1930年12月11日生まれ、稲尾は1937年6月10日生まれ。松田は19連勝まで、稲尾は20連勝すべて20歳でマークした。
 (3)名将に見出される
 松田は歴代4位の通算1586勝した水原茂。稲尾は2位の1687勝の三原脩に抜擢された。
 いくつかの共通項があるものの、その後の人生は大きな違いがある。
 野球ファンなら誰でも知っているように、稲尾は1961年にはプロ野球タイ記録の42勝をマークするなど通算276勝。野球殿堂入りも果たした。
 一方の松田。翌年こそ13勝したものの、「球威のない真っ直ぐに磨きをかければ、もっと(成績が)良くなると思って練習したら、球が速くなった分、カーブが悪くなった」と述懐。また、1951年の納会では末席にいると上座に座っていた水原監督が近づいて来て「マツ、ありがとう」と手を握って、指揮官に泣かれたという。恩師の感謝の言葉から「自分に甘さが生まれて(1953年から)勝てなくなった」と、後に笑ってこたえていた。
 当時の巨人は、別所毅彦に藤本英雄、中尾碩志の殿堂入りトリオに、大友工もおり、出番も減った。国鉄に移籍した1956年に2勝をマークしたのを最後に一塁手に転向。シュアな打者として61年までプレーした。
 1951年には日本シリーズ第3戦に7回1失点で勝利投手になり、巨人初のシリーズ優勝にも貢献。もちろん、稲尾もシリーズで勝っている。田中にはレギュラーシーズンだけでなく、自身初となる日本シリーズでの快投も期待したい。(敬称略)
 10日付けのヒルマニアに加筆しました。

コメント

先人の方々の快投ぶりは分からないけれど、田中投手の偉業は大したものだと思います。

まさしく、沢村賞投手に相応しい活躍ぶり!!!

将来は、多分、メジャーへ行くと思うけれど、野茂投手やダルビッシュ投手などの先輩たちを凌ぐ快投を見たいですね!!

甲子園での活躍からずぅ~と見ているけれど、こんなに凄い投手に成長するとは想像もつきませんでした!

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蛭間 豊章

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