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2014年4月21日 (月)

マック鈴木を諭した地元紙記者(第771回)


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 メジャーでプレーした日本人選手は、今年の田中将大選手で51人を数える。しかし、日本のプロ野球を経験せずに渡米して昇格したのはマック鈴木、多田野数人、田沢純一の3投手しかいない。そのうち多田野は立教大、田沢は社会人のENEOSとメジャーのスカウトの目に留まっている。その点、マックは名門・滝川二高1年時に問題を起こして自主退学し渡米決意。大リーグチームの傘下に入らない独立球団サリナス・スパーズの練習生兼雑用係を手始めに、一歩一歩駈け上がった。シングルAからメジャーまで、そしてその後計8つの国と地域でプレーする経緯は近著「漂流者」(アンドブック発行)=写真=に詳しい。何しろ、サブタイトルが野球さえあれば、世界のどこでも生きていけるなのだから。彼のアグレッシブな生き様は野球ファンならずとも興味をそそる。

 最近は淡路島で少年野球への指導とともにスポーツジムを監修。野球だけでなく、さまざまなスポーツに取り組む子供達に正しいトレーニング指導を行う一方で、J SPORTSでのメジャーリーグの解説も担当している。先日は都内で行われた映画「42 世界を変えた男」のDVD&ブルーレイの発売を記念して、トークショーにも出演した=写真=。20世紀初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンのストーリーで、近年はグラウンドに出る全選手、首脳陣もロビンソンの全球団永久欠番42のユニホームを着けるだけに、「もう少しメジャーでプレーして、ボクも着けたかった」。そして、「映画を見て、ボクも最後に涙が出そうになるほど感動した。彼が扉を開けてくれたから、黒人選手だけでなく、我々日本人選手もプレーできた事などを学んで欲しい」とも話した。

 米国時代の数々のエピソードなどは「漂流者」に満載されていますが、先日お話しをさせていただいて、一番面白かったのがシアトルの地元記者とのエピソード。これは本にも書いていなかったそうです。

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 ある時、マウンドで厳しい球審のボールの判定にカリカリしていた時に、試合後の囲み取材で審判への愚痴を言ったとき。その記者はテープをパチンと切り、「君が長くメジャーでやっていこうと思ったら、審判の悪口を言っちゃいけないよ」と諭されたそうです。私も含めて、渡米している日本人メディアは、きっと審判への不満といったテーマで原稿をまとめていたことでしょう。それをまだメジャーに上がったばかりの投手に言ってくれる米国メディアの矜持にこちらも心を打たれた。もちろん、マックもその言葉を守ったからこそ、足かけ6年間のメジャー生活につながったという。

 最後に本の中にも書いてあるが、日本の野球少年は「日本のプロ野球で実績を積んでからメジャーに挑戦した方が良い」との持論を披露。北海道日本ハムファイターズ入りした大谷翔平が、日米で迷ったときにそう答えたのはマックくらいだろう。それはマイナーから這い上がるのに悲哀を味わったから言えることだろう。つまり、メジャー契約を最初に結んでもらえる事がいかに大事なのだ。もし、イチロー、野茂英雄、松井秀喜らが、マイナーからスタートして米国であれだけの実績を残せただろうか。それは否であると、私は思うしマックも同じ意見。それだけ玉石混淆のマイナーから這い上がって実績を残すのは大変な事なのだ。

 彼のように米球界のトップから最下層まで経験した選手はいない。それだけに、日本プロ野球界は彼の意見をもっと聞き、球界発展に活かしていくべきではないだろうか。(敬称略)

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蛭間 豊章

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