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2015年7月10日 (金)

甲子園大会ベストナイン。投手は嶋清一に決まり(第815回)

Photo_3 スポーツ報知の「高校野球100年」企画第一弾は、名将の方々が選ぶ甲子園大会ベストナイン。表にあるように、監督時代に印象に残った精鋭を選出してもらった。この企画、デスクから「6人が終わったら番外編をやってください」との依頼。雑誌「報知高校野球」で“記録de高校野球」というコラムを20年近く連載、高校野球史を調べたこともあったので快諾した。しかし、約100年の歴史にあまたの名選手がいた。そこから9人選ぶのは至難の業。もちろん、大会での活躍を優先するのは当然だが、春夏の大会で少なくとも2度以上出場選手に限った。これは1983年センバツで11打席連続出塁、そして3本塁打含む10打数9安打の脅威の成績を残した享栄・藤王康晴選手の存在があったからだ。彼には申しわけないが一定のラインを引いた。また、選手を融通し合うことはやめ、甲子園で守っていない選手は選ばないことだった。

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 ナンバーワン投手を選ぶのは難問だったが、通算8勝のうち7完封、39年夏初の全5試合完封した海草中(現向陽)・嶋清一=写真=にした。左腕から繰り出す速球とドロップと称されたピッチングで相手をまったく寄せ付けなかった。準決勝、決勝での連続ノーヒッター含め45イニングで8安打、うち4本が内野安打。唯一、三塁に進まれた米子中戦もスクイズを外し、捕手・志水とのバッテリーは相手の試みた7度の盗塁のうち5度まで阻止と隙さえ見せなかった。打っても20打数11安打。彼以上のワンマンショーはない。他の候補には、中京商(現中京大中京)・吉田正男の22勝(3敗)、半分の11試合はシャットアウト。点をやらない投手とは群を抜く。戦後最多20勝(3敗)のPL学園・桑田真澄、17勝(3敗)の小倉・福島一雄。金属バット以降ただ一人負けなし2ケタ勝利(11)の横浜・松坂大輔がいた。また、通算14勝(5敗)、戦前の奪三振マシン、明石中の楠本保も球史を飾った豪腕(嶋、楠本はともに戦火に散った)。

 一塁のPL学園・清原和博は通算13発で不滅。ライバルを一人挙げるなら戦前の広い甲子園で最多4本塁打した第一神港商(現市神港)の山下実(打率5割2分9厘)だ。三塁はセンバツながらラッキーゾーン撤去即、1大会3発を放った星稜・松井秀喜。他には、ボールが飛ばない51年に2本の強烈なランニング本塁打を放った高松一・中西太、70年代の甲子園人気を支えた東海大相模・原辰徳もいた。捕手では、当時の新記録、5本塁打した浪商(現大体大浪商)・香川伸行の目の前で見たライナーは、高く上がる清原の一発とは対照的で鮮烈だった。79年春夏連覇を支えた箕島・嶋田宗彦は通算4割1分5厘、攻守に光っていた。
 
 守備が優先される二遊間も難しかった。その中で二塁には1980年代、高校野球人気を押し上げた荒木大輔とともに5季17試合に先発出場した早実・小沢章一を選んだ。通算打率3割5分9厘、82年センバツ2回戦で記録するまで甲子園11試合連続無失策はすごい。遊撃は87年春夏連覇のPL学園・立浪和義、とも思ったが、中京商の守備の要、杉浦清にした。26試合フルイニング出場。うち16試合が4番。投手上位の戦前で打率2割4分7厘ながら、3連覇した夏の大会に限れば明石中との延長25回試合を含め14試合で1失策だった。

 外野は岐阜商(現県岐阜商)で投手として10勝0敗(優勝投手3度)の一方、中堅先発も10試合あった松井栄造(通算打率3割2分8厘、8長打)。早大に進学した松井は外野手に専念したが、戦後青バットで名を馳せる大下弘が明大入学時に最も憧れた選手だった。残り2人は金属バット以降の選手。1試合14塁打&通算5本塁打の大阪桐蔭・平田良介。85年PL学園を追いつめた宇部商・藤井進(打率5割3分3厘、4本塁打)。彼らのバッティングに甲子園を沸かせたのは間違いない。
 (10日付け本紙の原稿に加筆しました=敬称略)

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蛭間 豊章

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