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2015年8月 4日 (火)

【高校野球100年】第6回 松坂がこじ開けた150キロ それでも剛腕エース夏の栄冠は少数

1 1998年は夏の選手権80回を記念し埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫から2校ずつ参加し最多の55校が出場。センバツを制した横浜は、剛腕・松坂大輔が決勝の京都成章戦でノーヒッターをマークし史上5校目の春夏連覇(前年の神宮大会と国体を加え完全制覇)を果たした。この年の春、松坂は150キロ、夏には151キロ(沖縄水産・新垣渚も同大会で151キロ)と、甲子園大会で“大台”の扉をこじ開けた。

 かつて私は、当時流行したスピードガン担当として79年春夏、81年春の甲子園に取材に行った。79年、春夏連覇の箕島は下手投げの石井毅が投げ抜いた。初戦に強豪・浪商(現大体大浪商)に延長で敗れた上尾・仁村徹は横手投げなど、技巧派が幅を利かせていた。

2 また、同年の最速は浪商・牛島和彦の143キロ。2年後のセンバツ、大府・槙原寛己の147キロにも度肝を抜かれた。

 それが松坂以降は01年に日南学園・寺原隼人が154キロ、07年夏には仙台育英・佐藤由規が155キロ。そして、地区大会では12年に花巻東の大谷翔平が160キロを出して関係者を驚かせた。80年代までは140キロ台が速球派の目安だったのが、21世紀の高校野球は、150キロ台投手が現れても、驚くことは無くなった。

 高校野球の指導者やプロ関係者の話を総合すると、150キロ投手が多くなった理由として(1)ボーイズ、リトル、シニアなどの硬式ボールを早い時期から接する子供達が増えた、(2)95年野茂英雄のドジャース移籍以降、米国の科学的なトレーニング浸透、(3)栄養ドリンクの定着も含め食生活の改善、などを挙げられる。また、スピードガンが高校レベルでも普及し、受験生が点数を気にするように、投手を志す少年にとってスピードをアップすることが投げ込みや基礎鍛錬の励みになっているともいう。

3


 もちろん、それに対処する打者も高速マシンなどの打撃練習などで速球への対応能力も上がり、高校野球のレベルは格段にあがっている。ただ、150キロ超の速球エースで夏優勝したのは98年の横浜、05年駒大苫小牧(田中将大)、12年大阪桐蔭(藤浪晋太郎)くらい。大台を記録してもその後、故障に泣いている投手もいる。速球がすべてではないことが、野球のおもしろさでもある。(8月4日付スポーツ報知紙面より)

(写真上から、松坂、田中、藤浪)

 【豆知識】スローカーブ 速球でも100キロ未満

 79年夏の岩手代表は、超スローボールを駆使する下手投げ右腕・北田俊郎がエースの久慈。直球の最速は手を離れる瞬間の初速が103キロで終速97キロという遅さだった。つまり打者の手元でのスピードは100キロに満たなかった。またスローカーブは66キロ。甲子園では初戦の浜田戦で6回途中6失点降板したが、甲子園史上最も遅いボールを投げた投手と言っていいだろう。

夏の大会決勝戦と大会代表選手(第77回~85回)
球場 大会(年度) 優勝 スコア 準優勝 代表選手
甲子園 第77回(1995) 帝 京 3-1 星 稜 福留 孝介(PL学園)
第78回(1996) 松山商 6〈11〉3 熊本工 石井 義人(浦和学院)
第79回(1997) 智弁和歌山 6-3 平安 東出 輝裕(敦賀気比)
第80回(1998) 横浜 3-0 京都成章 松坂 大輔(横 浜)
第81回(1999) 桐生第一 14-1 岡山理大付 朝倉 健太(東 邦)
第82回(2000) 智弁和歌山 11-6 東海大浦安 畠山 和洋(専大北上)
第83回(2001) 日大三 5-2 近江 寺原 隼人(日南学園)
第84回(2002) 明徳義塾 7-2 智弁和歌山 森岡 良介(明徳義塾)
第85回(2003) 常総学院 4-2 東 北 ダルビッシュ有(東 北)

【注】カッコ内数字は延長イニング

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蛭間 豊章

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