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2016年3月 9日 (水)

野球殿堂記者投票への考察⑬(1971年度)3年ぶりに競技者での当選者なし。投票5位の蔭山和夫、近年の投票の傾向なら殿堂入りしていた可能性も

16030901_2 1971年の競技者表彰は3年ぶりに該当者なしに終わった。当選に必要なのは113票となっているが、最多得票の石本秀一も89票しか集められなかった。今回は全員の名前を出してみよう。②浜崎真二71票、③中上英雄70票、④千葉茂56票、⑤蔭山和夫46票、⑥横沢三郎37票、⑦呉昌征29票、⑧新田恭一18票、⑨御園生崇男⑩谷口五郎16票、⑪荒巻淳14票、⑫井野川利春、飯島滋弥、岩本義行、土井垣武各9票。⑯田中義雄8票、⑰津田四郎7票、⑱杉浦清6票、⑲中谷準志3票。

 過去の投票で5位にまで入って後に殿堂入り出来なかったのは、票数が少なかった1962年度、7票で4位だった筒井敬三と3票で5位の大岡虎雄しかいなかった。だが、この年46票で5位に入った蔭山は、資格最終年の1980年も75票(5位)止まり、その後は球史から忘れ去られてしまっているので紹介したい。

 早稲田大出身の好守の内野手として活躍、南海ホークスに入団すると2年目の1951年にはリーグ打率2位の3割1分5厘をマークし特例で新人王。ホークスの「100万ドル内野陣」の内野陣の一人として活躍。三塁手としてベストナイン受賞2度、3年連続4度の三塁打王など全盛期は5シーズンだったが10年間プレーした。その後はコーチとして鶴岡一人監督を支え、1962年ホークスが最下位に沈み鶴岡監督が休養した5月には、代行として采配を振るい34勝18敗2分けの好成績を残して再び“親分”にバトンを渡している。

1965年に日本シリーズ敗戦の責任を取って辞表を提出。すると、翌日に鶴岡監督も辞表を出したため、慌てた球団は監督昇格を条件に慰留に務めた。蔭山からの諸条件に対して球団は、他球団の指揮を執る方向だった鶴岡を交えて協議したとも言われる。揉めに揉めた結果、11月13日に監督就任が発表された。ところが、自らの進退で悩み続けてブランデーや睡眠薬を飲み続けたのがたたってか、4日後の17日に38歳の若さで急死。その日は歴史的なドラフト会議が行われた日でもあった。

 蔭山急死によって、東京オリオンズかサンケイスワローズの監督就任が濃厚だった鶴岡が急転、残留することになった。もし、急死せずにホークスを率いていたら、鶴岡も他球団を指揮し球界地図は大きく変わっていたことだろう。野村克也も評価していた人物だけに、ホークスのその後の急激な凋落もなく、1970年野村兼任監督誕生も、もっと遅くなっていたのではなかろうか。

 個人的な意見だが、1990年代以降の競技者表彰投票には亡くなった途端に、機運が盛り上がっての“お涙ちょうだいの当選”が少なからず見られる。蔭山にとっては時代が悪かったとしかいいようがない。なお、球団葬の席上に暴力団員2人が恐喝して逮捕されて社会面をにぎわせた。翌年3月12日に、大阪球場での巨人とのオープン戦が蔭山追善試合として行われ、同日の収益金約500万円が遺族に送られた。

 12月11日発表の特別表彰は松竹ロビンス監督でセ・リーグ初の覇者に導いた小西得郎と運動具メーカーとしてスポーツ振興にも功績のあったミズノの創設者水野利八を選出した。小西は競技者投票では1966年11票、67年21票だけだった。父親はロシア文学の第一人者の小西増太郎で朝日新聞が展開した“野球害毒論”の論客の一人だったが、息子の得郎は野球にのめり込み明大でプレー。職業野球1年目の大東京で監督を務めたのを手始めに戦後も含め4球団で采配を振るった。長年見続けたプロ野球のベストナインを、77歳(1974年)の時にデイリースポーツのインタビューで語っているので紹介させてもらう。①三塁・長嶋茂雄、②二塁・田部武雄、③中堅・大下弘、④一塁・王貞治、⑤右翼・中西太、⑥左翼・景浦将、⑦捕手・田淵幸一、⑧遊撃・吉田義男、⑨投手・沢村栄治。この中で殿堂入りしていないのは田淵だけである。

【注】敬称略。写真は蔭山死去を伝える1965年11月18日付けの報知新聞。1面メーン記事は第1回ドラフト会議が報じられている。

コメント

野球賭博に関する投稿はしないのですか?長年野球に携わってきたからこそ意見を私は聞きたいのですが。黒い霧との比較とか

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蛭間 豊章

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