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2017年2月 4日 (土)

野球殿堂記者投票への考察=第57回(2012年度)喜べなかった津田恒実の競技者表彰殿堂入り。北別府学とカープ2人選出。特別は大本修、長船騏郎と3年ぶりにこちらも2人が当選

Tsuda 1月13日に発表された野球殿堂。競技者表彰での津田恒実の当選は、コアな野球ファンにとって賛否両論だった。投票結果は1位北別府学257票、2位津田恒実237票で当選に必要な236票をクリアした。3位以下10位までは3位ブーマー223票、4位大野豊177票、5位秋山幸二133票、6位佐々木主浩108票、7位原辰徳108票、8位斎藤雅樹60票、9位大島康徳49票、10位新井宏昌48票となっていた。

 開票された直後(同日)に書いたブログ「野球殿堂競技者表彰の個人的な見解」を少し書き直して掲載する。

 今回、最も注目されたのは1993年に脳腫瘍のため32歳の若さで亡くなった津田だ。炎のストッパーとして阪神タイガースのランディ・バースとの直球勝負など、私も彼がマウンドに登る度に期待に胸膨らませていた一人で好きな投手だった。それでも、私は投票しなかった。投手で投票用紙に書き込んだのは、北別府のほか、日米通算381セーブを挙げた佐々木主浩、そして広島の先発にストッパーに獅子奮迅の活躍を見せ148勝138セーブ、防御率2.90だった大野豊。

 津田は病に倒れなければもっと素晴らしい成績を残していたかも知れない。この点、それでは戦争で亡くなった選手は、という疑問があるかもしれないが、それとはちょっと違う。個人的な見解として競技者表彰はグラウンドで残した成績を第一に選んでいる(外国人選手にはやや偏見があるが)。それを考えると通算286試合登板で49勝41敗90セーブは物足りないと思ったからである。今回は表彰の候補として最終年だったことで滑り込んだ感があるが、同じように今季最終年だったOBにはブーマー・ウェルズ、田尾安志、高橋慶彦、新井宏昌の各氏らもいた。いずれも長い期間プロ野球でプレーし、ファンを魅了してきた。

 1976年、ヤンキースのレギュラー捕手としてチームを12年ぶりのリーグ優勝に導いてMVPに輝き、77、78年にはワールドチャンピオンも経験。通算打率は2割9分2厘、113本塁打、701打点を残したサーマン・マンソン捕手は、1979年に自らが操縦した自家用機が墜落して32歳の若さで亡くなった。11年間メジャーでプレーしており、日本と同じように5年後から殿堂資格を得て1985年が全体の15.5%の票を得て、その後の票数の伸びが期待されたが、2年目以降1度も10%を超えずに資格を失った。米国の場合は候補者が目白押しという点もあったが、10年以上安定した活躍を重視する記者の心を引きつけるまではいかなかったのだろう。

 極論すれば競技者表彰は、長いスパンで球界に貢献した人達の場所ではないだろうか。フルに働いたシーズンは甘くみても8年間だった津田のようなケースは、数字から見てエキスパート部門などで拾ってあげるべき選手だと思う。

 一方、エキスパート部門には平松政次、加藤英司、長池徳士ら今だに殿堂入りを果たせず、かつての名選手が今年も票数を伸ばせなかった。だからこそ、今回の津田の殿堂入りは、関係者には申し訳ないがちょっと違うのでないかと思った。そして、もう一つ言うと2011年の投票を棄権した記者が4人だったのが、この年は17人と1995年の20人以来の多さだった。これもぎりぎりで当選した津田に幸いしたことも付け加えておく。

Kitabeppu 北別府は都城農からドラフト1位で広島東洋カープ入り。故障の少ない投手で2年目から12年連続14シーズンも規定投球回をクリア。1970年代にデビューした選手ではただ一人、通算3000投球回超えを果たしている。絶妙な制球力が自慢で、最優秀防御率となった1986年にMVP。2度の最多勝となった1982年と86年には沢村賞受賞、最高勝率3度はセ・リーグタイ記録である。タイプ的には東尾修的な内、外のストライクゾーンを広く使うピッチング。ただ、東尾が5勝3敗4セーブで5度の日本一に貢献したのに対し、北別府は3度日本一の一員となるも11試合で0勝5敗に終わったのは、球界七不思議の一つと言えそうだ。

 この年のエキスパート投票は29票が当選に必要だったが、カープ組でもある外木場義郎が1票不足の28票で落選。2位が平松政次22票、3位大沢啓二15票、4位長池徳士、加藤英司各12票、6位足立光宏7票、7位土橋正幸6票、8位柴田勲、高田繁各1票、10位松岡弘0票。当時、私はこちらの投票権はなかったが、松岡と外木場。私なら前者に入れたのにと、この結果に愕然とさせられた思いがある。

 特別表彰は、金属バットの安全基準を作り、木製バットの保護育成にも携わった大本修、早大野球部から日本学生野球協会に勤務。2004年アテネ五輪でのオールプロのドリームチーム結成に尽力した長船騏郎を選出。両者ともに順調に票を伸ばしてきていた。また、この年の特別表彰に初めてパ・リーグ記録部出身で長く報知新聞で「記録室」など斬新な切り口で、プロ野球の数字を分析、紹介した“プロ野球記録の神様"と称された宇佐美徹也が名を連ねたものの1票に終わった。2014年に0票となったこともあり、その年限りで候補者から除外される事になる。

 【注】敬称略。写真は1989年元気だった頃の津田恒実と、最後の2ケタ勝利をマークした1992年、35歳の北別府学。ベテランになってもほおの赤さが印象的だった。

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蛭間 豊章

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