【野球遺産第4回】初の黒人選手は洲崎でプレー出来なかった。プロリーグ初年度、沢村、景浦が躍動した短命、洲崎球場
プロ野球がスタートした1936年。上井草球場に続き、完成したのが洲崎球場だった。現在の地下鉄東西線の東陽町駅から歩いて5分くらい、江東運転免許試験場前に洲崎球場があったことを示す江東区が2005年に設置したモニュメント(写真)がある。そのスタジアムは大東京軍が東京ガスの資材置き場1万坪を地代無しで借り受け、秋に突貫工事で11月開催の日程に間に合わせた。同年12月に行われた東京ジャイアンツと大阪タイガースの秋季優勝決定シリーズの名勝負は沢村栄治、景浦将というプロ野球草創期の投打のスーパーヒーローが相まみえて語り草になった。
しかし、海に面した埋め建て地のため水はけが悪いことで予定されたお披露目試合が度々順延された。そして、1938年3月15日の巨人・金鯱のオープン戦では突然、球場横の掘割の土手が崩れて海水がグラウンドに流れ込んでジャイアンツのコールド勝ちになった珍ケースもあった。プロ野球が使用したのはわずか3年。レギュラーシーズンは計116試合だけ。上井草球場同様に、都心で足の便の良い後楽園球場が1937年9月に完成してからは一気に試合開催が減った。
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