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2019年3月19日 (火)

フル100回完走の軌跡

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 本日も17日に開催された板橋Cityマラソンをリポートします。高橋正忠さん(74)=神奈川県=は6時間11分1秒でゴールし、フルマラソン100回目の完走。1983年10月の新潟マラソン(現新潟シティマラソン)から刻み始めた「足跡」は、36年の時を経て大台に達しました。

 ちょっと肌寒くなってきた午後3時23分、高橋さんがフィニッシュ。バンザイやガッツポーズはなし。腕時計のラップボタンを推し、ゴール後方で待機していたラン仲間に手を振った。
 「予定通りの時間でしたね」と声をかけられると、「そうだね。調子がよかった」と高橋さん。2週間前の東京マラソンを6時間10分16秒で完走したが、気温5度の冷たい雨に打たれ続けて体調が心配されていた。それでも「足は何ともない。走れる」と、この日の出場を決めた。
 5キロごとのラップは中盤、30分から40分台に低下。25~30キロ地点では51分16秒まで落ちたが、そこから息を吹き返した。35~40キロでは45分36秒まで戻し、ラスト2.195キロは16分34秒。「最後はモチベーションが上がった。風も追い風になってラッキーだった」
 37歳の時、ダイエット目的で走り始め、禁煙もスタート。数か月後、初レースとなった三浦国際市民マラソン(ハーフ)を1時間35分16秒で走り「面白くなってきた」。翌年、初フルとなる新潟マラソンに臨む際は、近所の鶴見川サイクリングロードで42キロ走を決行。3時間45分ほどで走り、本番は3時間27分34秒でまとめた。
 以後、年2~3本のフルを消化。47歳でマークした3時間6分27秒がベスト記録だ。海底トンネルの設計者としてバンコク(タイ)やイスタンブール(トルコ)、プサン(韓国)に赴任し、このアジア3国の16大会も走破。「どこでもランニングクラブに入って友人ができた。韓国のランナーはお酒好きで歌って踊る人が多くて楽しかったなあ」という。
 そんな明るくにぎやかな走歴が、2007年1月のフロストバイトロードレース(ハーフ)で暗転。残り1キロをスパートし、ゴール直後に倒れて意識を失った。AED処置後、救急病院に搬送されて一命は取りとめたものの心室細動と診断され、同年4月にペースメーカーの植え込み手術を受けた。
 元々、血圧が高めだったという高橋さん。無理はできない体になったが、引退するつもりはなかった。白血病を克服した同年代の男性が散歩を続けていることを知り、一緒に歩くようになって元気をもらった。走る距離を少しずつ伸ばし、同年夏には都内の大会でレース復帰を果たした。
 加齢も加わり、フルマラソンのタイムは4時間から5時間台に落ち、17年4月のかすみがうらでは初めて関門不通過に。昨年10月の新潟シティで左側のでん部と大腿(だいたい)筋を痛め、同月の金沢では6時間40分29秒のワースト記録を体験した。
 もっとも、万全な状態でなくても大ベテランは楽観的だ。「僕にはペースメーカーが入っているから倒れても大丈夫」。タイムへのこだわりは消え、気がついたら完走回数が90回を超えて「100回まで頑張ってみるか」。今回、その目標は達成したが、はしゃぐことなく、通過点ととらえることが高橋さんのダンディズムでもある。
 「年3回、フルに出てればだれでも100回はできる。僕は飛び抜けて速いランナーではなかったけど、年を重ねて遅くなってきても大きな故障がなかったから達成できた。自慢するかって? しないよ。自己満足の世界だから。制限時間が7時間の大会じゃないと厳しいけど、楽しいからしぶとく走り続けますよ」
 
 写真=レース後、記念撮影する高橋さん      

コメント

100回完走の偉業、おめでとうございます。
36年間、足腰に大きな故障なく、フルマラソンを継続されたことは市民ランナーの誇りです。

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