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2013年6月 6日 (木)

6月13日

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6月13日は2009年にリング上の事故で亡くなった三沢光晴さんの命日です。

今年も命日には後楽園ホールでメモリアルナイトが開催されます。

私にとって、三沢さんは2代目タイガーマスクとして憧れた人です。

写真は2009年8月2日、後楽園ホールで行われた2代目タイガーマスクとしての追悼式での1枚です。あまり報じられませんでしたが、初代タイガーマスクの佐山サトル氏が遺影を、百田光雄氏がマスクを持って追悼のテンカウントを捧げたのでした。

三沢さんと飲んだ時の話を過去記事で紹介しましょう。

 三沢光晴さんは、酒呑記者にはまねのできない酒豪だった。〈1〉酒に強いことを誇示しない〈2〉人に酒を強要しない〈3〉何時間飲んでも自分のペースを守り続ける。三沢さんが飲んでいる姿を見て、感じた“酒豪3か条”だ。
 三沢さんを初めて取材したのは1996年3月2日、日本武道館。当時の全日本プロレスは鎖国体制で他団体はもとより、マスコミにも閉鎖的。いわゆる“プロレスマスコミ”ではなかったスポーツ報知は門前払い状態だった。そこで門戸を開いてくれたのが三沢さん。控室であいさつすると、3冠王者は下ネタでわだかまりを消してくれた。
 酒の思い出は…。あれは「赤霧島」が世に出た時だから2003年10月。博多スターレーンでの興行後、福岡市内の居酒屋へ。主人は“幻の紫芋焼酎”「赤霧島」を先行入手して待っていた。今でこそ春秋の出荷をチェックしていれば数量限定で手に入るが、初出荷当時は、九州では大騒ぎになるほどのプレミアものだった。
 大事そうにちびちび飲んでいる三沢さんに、何度もグラスを差し出すと「そんなに飲みたかったら、全部飲んでいいよ。俺は日本酒にするから」と、にやけながらボトルごとくれた。水で割るのがもったいなくてロックでいただくと、すぐに空になった。にやける三沢さん。あきれる店主。その後、朝方までカラオケへ。酒呑記者の行状は伏せるとして、三沢さんは最後まで“酒豪3か条”を貫いた。3か条は三沢さんの人生そのものだったような気がする…。献杯。
 (2009年6月23日付スポーツ報知より)

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