戦後70年
入社以来初の大型お盆休みを頂きました。大阪に帰省し、京都へ墓参りという休日です。のんびりしながら、戦後70年を考えました。フォークソング「戦争を知らない子どもたち」をかろうじて知っている世代の私としては、これまで甲子園のサイレン音(8月15日の黙祷)でしか終戦を意識したことがなかったように思います。
ひとりでは考えるネタがないので、戦場に行った人に会ってきました。実家(大阪市内)の裏に住んでいる中山鶴一さん(97)。以前から会って欲しい人がいると母に言われていたのですが、機会がなくこの節目に訪ねてみました。名刺の裏には「正七位勲六等」「読売新聞大阪本社社友」とあります。関西大学の大先輩でもありました。
ビールを飲みながら、3時間にわたって話を聞きました。内容はここでは詳しくは書きませんが、20歳から27歳にかけて将校として現中国東北部で戦争を体験。前腕には傷痕が残っていました。「負けた感覚がないまま迎えた」という終戦。「国破れて山河あり」(杜甫)を引用し、その後の日本の復興を見てきました。1952年の読売新聞大阪本社創立時に入社。庶務課長時代にONの来社を出迎えたというエピソードも聞きました。
「あんたはええ仕事してる。休みでもこうやって取材してるんやからな」言い足りず、聞き足りない3時間でした。お聞きした話は何らかの形で伝承していきたいと思います。
コメント