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2017年11月

2017年11月27日 (月)

タイガー戸口が語る「ジャンボ鶴田伝説」

 日本人プロレスラーで最強と言って誰も異論を唱えないのが、2000年に49歳の若さで亡くなった初代三冠ヘビー級王者のジャンボ鶴田さん。22日にDVDボックス「ジャンボ鶴田伝説」(バップ、1万8000円+税)が発売されるなど、その神話は揺るがない。全日本プロレス時代に初期のライバルだったキム・ドクことタイガー戸口さん(69)がジャンボの強さを振り返った。

 クロースアップされる機会こそ多くないが、タイガー戸口さんは、“我こそはジャンボ鶴田の最大のライバル”と自負している。米国、韓国を行き来している戸口さんを千葉県に訪ねた。
 「鶴田が亡くなってもう17年ですか。でも、私にとっては36年間も『また戦いたい』と思い続けてきたわけですから、その倍ですよ」
 戸口さんは鶴田さんが「怪物」と呼ばれる前の「若大将」時代を知る数少ない先輩だ。72年ミュンヘン五輪のレスリング代表だった鶴田さんは「全日本プロレスに就職します」という名言でエリート入団した。
 「オレがいた日本プロレスがガタガタになって、できたばかりの全日本に入門した鶴田の上には誰もいなかったんですよ。72年にミネアポリスにいた時にレスラー仲間(米国人)からアマリロ(テキサスのファンク道場)にトモミ・ツルタっていう日本人が修業がしてるよって評判を聞いた。74年に、サンアントニオでバトルロイヤルで戦ったのが最初だったかな」
 戸口さんが全日本プロレスに参戦した1976年から81年までの5年間で鶴田さんとのシングル成績は戸口さんの1反則負け9引き分け。197センチ、125キロの鶴田さんに対して、戸口さんは193センチ、125キロで体格的にも力いっぱいぶつかり合える相手だった。
 思い出すうち、戸口さんの口調はアツくなる。若大将時代の鶴田さんが保持したUNヘビー級選手権に戸口さんは2度挑戦し、2試合とも60分フルタイムを戦っての引き分け。78年9月13日の愛知県体育館での試合ではさらに5分延長して決着がつかない65分の死闘だった。
 当時は日本テレビが土曜午後8時に中継していたゴールデン時代だった。「この頃、鶴田はアントン・ヘーシンク(柔道五輪金メダリスト)と後楽園ホールでUNの防衛戦で反則勝ちという不完全燃焼試合をやった。「頭にきて、馬場さんに言ったんですよ。『鶴田にあんなみっともない試合させないでください。オレと鶴田だったら面白い試合になりますよ』って」と自ら“マッチメーク”して実現した試合だった。
 「この試合のために加賀友禅のガウンを150万円で新調したんだけど、入場の時に客に生卵をぶつけられた。ガウンに染み込んで終わりだよ。悔しくて、ガウンを脱いでたたきつけた。それだけ鶴田の人気がすごかったってこと。鶴田はテレビに出たり、ギター持ってコンサート開いたり、女性ファンが多かったもんね」
 「65分やって、すごい汗をかきました。試合前にサウナで汗をかきに行っておいて正解だった。初めてだよ。体がベタベタになったの。35分過ぎると汗が出なくなるんだよ。糊みたいにベタベタになるんだよ」
 「試合はオレがリードした。その後に鶴田が長州力と60分フルタイムで戦った時(1985年11月4日・大阪城ホール)に鶴田がリードしたようにね。馬場さんから『これからの全日本プロレスを2人で引っ張って行ってくれ』と言われた」
 最後の対決は、1981年4月8日の高知県体育館でのチャンピオン・カーニバル。30分時間切れ引き分けだった。「あれは決着つかない。馬場さんは鶴田をつぶさない。オレもつぶれない。だからややこしい」
 米国に妻子がいた戸口さんは、米国流の条件を求めた。その結果、初代タイガーマスクブームで黄金時代を迎えていた新日本プロレスからの、引き抜きに乗っかった。当時のジャイアント馬場社長は激怒し、以後、鶴田と同じリングに上がることは許されなかった。
 「鶴田はオレに辞めて欲しくなかったの知ってるもん。裏では会ってましたから」戸口さんが抜けたことで、大相撲元幕内から米国修業に出されていた天龍源一郎が呼び戻された。
 「ノースカロライナのおれの家の近くのホテルに泊まっていた天龍がやって来て『戸口さんやめるんだって。聞いたよ。オレが帰って来いっていわれたもん』って。天龍も米国が居心地がよくなっていた時だった。『いいじゃない。オレの代わりに三番手になれるんだから。帰りなよ』って、送り出した」
 その後の鶴龍コンビ、鶴龍対決が鶴田さんの怪物伝説に拍車をかけたことは言うまでもない。
 「やっぱり鶴田が一番強いですね。アマレスやってたからレスリングの基本はできていたし、試合がやりやすかった。歯車が合いすぎて面白かった。ニック(ボックウィンクル)がAWA(世界ヘビー級王座)を鶴田に渡すとは思わなかったけど、ミネアポリスでバーン・ガニアのAWA、ロサンゼルスでハーリー・レイスのNWAに米国で挑戦していたオレと鶴田は引き分けたんだから」
 発売されたDVDボックス「ジャンボ鶴田伝説」には戸口戦は収録されていない。
 「オレは嫌われてるからしょうがないよ。外様だから。一匹狼でやってきたから。鶴田が勝っていない試合なんだからね」と寂しいながらも強がる戸口さんは、いい顔をしていた。
  (取材・酒井 隆之)

2017年11月24日 (金)

“最強”ジャンボ鶴田に幻のフォール負けがあった…金曜8時のプロレスコラム

 初代三冠ヘビー級王者のジャンボ鶴田さん(2000年没、享年49)の名勝負が甦(よみがえ)るDVDボックス「ジャンボ鶴田伝説」(バップ、1万8000円+税)が22日、発売された。5枚組のDVDに全24試合がトータル709分にわたって収録されている。
 1973年10月9日に本名・鶴田友美として師匠・ジャイアント馬場と組んでザ・ファンクスのインターナショナルタッグ選手権に挑戦した出世試合から99年3月6日の日本武道館での引退セレモニーまで、最強の歴史が堪能できる。
 会場で生観戦した試合や、当時の日本テレビの中継で見た試合、CS放送日テレジータスで最近見た試合もあるが、すっかり忘れていた試合もあった。その代表的なのが88年6月10日、日本武道館で、鶴田が谷津嘉章と組んで、ザ・ロードウォリアーズと戦った試合だ。ウォリアーズ戦と言えば、天龍源一郎と組んで初対決した85年3月9日の両国国技館決戦が有名だが、収録されているのは、この試合ではないのだ。
 88年の武道館決戦は、鶴田組のPWFタッグとウォリアーズのインタータッグを賭けたダブルタイトルマッチ。鶴田組は勝ってタッグ王座を統一し、世界タッグ選手権に改称される歴史的一戦だったわけだが、鶴田組が反則勝ちという名勝負とは言い難い結果だった。
 DVDで見てみると、レフェリーのジョー樋口がホーク・ウォリアーに暴行を受けて失神。その間にホークがトップロープから鶴田にフライングラリアットを決め、そこにサブレフェリーの和田京平が飛び込んできて3カウント。ウォリアーズが2つのベルトを誇示した後、息を吹き返したジョー樋口が反則を告げた。和田レフェリーの弁明まで収録されている。さらに鶴田組に対して「負けてんじゃねぇかよ」というファンのヤジも。DVDをじっくり見れば、こんな忘れていた幻のシーンがいっぱい出てきそうで楽しみだ。(酒井 隆之)

 ◆「ジャンボ鶴田伝説」収録試合(収録順ではなく年代順)
 ▽1973年10月9日・蔵前国技館 インターナショナルタッグ選手権試合 (王者組)ザ・ファンクスVS(挑戦者組)ジャイアント馬場、鶴田友美
 ▽1976年3月28日・蔵前国技館 全日本vs国際全面対抗戦、ジャンボ鶴田試練の十番勝負第2戦 ラッシャー木村VSジャンボ鶴田
 ▽1976年5月1日・日大講堂 第4回チャンピオン・カーニバル公式戦 ジャイアント馬場VSジャンボ鶴田
 ▽1976年6月11日・蔵前国技館 NWA世界ヘビー級選手権試合、ジャンボ鶴田試練の十番勝負第3戦 (王者)テリー・ファンクVS(挑戦者)ジャンボ鶴田
 ▽1976年7月17日・北九州市小倉区・三荻野体育館 ジャンボ鶴田試練の十番勝負第4戦 ジャンボ鶴田VSビル・ロビンソン
 ▽1976年8月28日・日大講堂 UNヘビー級王座決定戦 ジャンボ鶴田VSジャック・ブリスコ
 ▽1977年6月11日・世田谷区体育館 NWA世界ヘビー級選手権試合、ジャンボ鶴田試練の十番勝負第8戦 (王者)ハーリー・レイスVS(挑戦者)ジャンボ鶴田
 ▽1977年8月25日・田園コロシアム UNヘビー級選手権試合 (王者)ジャンボ鶴田VS(挑戦者)ミル・マスカラス
 ▽1979年1月5日・川崎市体育館 ジャンボ鶴田試練の十番勝負第10戦 フリッツ・フォン・エリックVSジャンボ鶴田
 ▽1983年8月31日・蔵前国技館 インターナショナルヘビー級選手権試合 (王者)ブルーザー・ブロディVS(挑戦者)ジャンボ鶴田
 ▽1984年2月23日・蔵前国技館 インターナショナル、AWA認定世界両ヘビー級選手権試合 (AWA世界王者)ニック・ボックウィンクルVS(インター王者)ジャンボ鶴田
 ▽1985年11月4日・大阪城ホール 長州力VSジャンボ鶴田
 ▽1988年6月10日・日本武道館 インターナショナル、PWF認定世界両タッグ選手権試合(インター王者)ザ・ロードウォリアーズVS(PWF王者)ジャンボ鶴田、谷津嘉章
 ▽1989年4月18日・大田区体育館 インターナショナル、UN、PWF認定三冠ヘビー級王座統一戦 (インター王者)ジャンボ鶴田VS(UN、PWF王者)スタン・ハンセン
 ▽1989年4月20日・大阪府立体育会館 三冠統一ヘビー級選手権試合 (王者)ジャンボ鶴田VS(挑戦者)天龍源一郎
 ▽1990年4月19日・横浜文化体育館 三冠ヘビー級選手権試合 (王者)ジャンボ鶴田VS(挑戦者)天龍源一郎
 ▽1990年9月1日・日本武道館 三冠ヘビー級次期挑戦者決定戦 ジャンボ鶴田VS三沢光晴
 ▽1991年1月19日・松本市総合体育館 三冠ヘビー級選手権試合 (王者)スタン・ハンセンVS(挑戦者)ジャンボ鶴田
 ▽1991年4月6日・大阪府立体育会館 91チャンピオン・カーニバル Bブロック公式戦 ジャンボ鶴田VS川田利明
 ▽1991年4月16日・愛知県体育館 91チャンピオン・カーニバル優勝決定戦 (Bブロック代表)ジャンボ鶴田VS(Aブロック代表)スタン・ハンセン
 ▽1991年4月18日・日本武道館 三冠ヘビー級選手権試合 (王者)ジャンボ鶴田VS(挑戦者)三沢光晴
 ▽1991年10月24日・横浜文化体育館 三冠ヘビー級選手権試合 (王者)ジャンボ鶴田VS(挑戦者)川田利明
 ▽1992年2月27日 松本市総合体育館 3軍スペシャル再戦 ジャンボ鶴田VS小橋健太
 ▽1992年3月4日・日本武道館 世界タッグ選手権試合 (王者組)テリー・ゴディ、スティーブ・ウイリアムスVSジャンボ鶴田、田上 明
 ▽1999年2月20日 引退会見
 ▽1999年3月6日 日本武道館 引退セレモニー

2017年11月23日 (木)

K-1ヘビー級復活

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  さいたまスーパーアリーナで開催された「K-1 WORLD GP 2017 JAPAN~初代ヘビー級王座決定トーナメント~」を取材しました。

 K-1と言っても正道会館発祥の旧K-1ではなく、2014年発足の新生K-1。

 会場も、さいたまスーパーアリーナと言っても、メインアリーナではなく、コミュニティアリーナ。メイン会場の手前のスペースでした。それでも待望のK-1ヘビー級王座復活(実際は新設)を見届けようと、デスク勤務前に立ち寄りました。ブランコ・シカティックとピーター・アーツの旧K-1王者も来ていました。

 まだまだ過渡期のK-1ですが、フェザー級王者の武尊を中心に来年にはさいたまスーパーアリーナのメインアリーナに進出するそうです。

エース・上原誠がK-1初代ヘビー級王座決定トーナメント開幕カードを1回KOで飾る 

シカティックの弟子・プラチバットがK-1ヘビー級初代王者に!アーツも見届けた 

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