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2017年12月

2017年12月10日 (日)

アジアエアガン選手権が日本初開催

 日本初開催となる第10回アジアエアガン選手権大会が、埼玉・和光市体育館でアジア27か国が参加し11日まで12種目で競われている。
 10日は10mAP60M(10メートル、エアピストル60発、男子)、10mAP40W(同40発、女子)、10mAP60MJ(同60発、男子ジュニア)の決勝が行われ、日本勢は、アテネ、ロンドン五輪ピストル代表の小西ゆかり(38)=飛鳥交通=が女子アジア新記録の245・3点で優勝し、和光市応援団長のSKE48松村香織(27)が祝福するなど、盛り上がった。
 2020年東京五輪に向けて、21歳未満のジュニアにも注目が集まるが、日本勢の表彰台はならず。ジュニアオリンピックカップと全日本学生選手権(インカレ)で2連覇中の宮脇正人(20)=立命館大=は、11位に終わった。今年のインカレでは大会記録の563点をマークしたが、今回は547点に終わり「プレッシャーで力を出すことができませんでした」と悔しがった。
 来年3月に21歳になる宮脇にとっては、ジュニア最後の大会を終え、今後はシニアに挑む。五輪育成アスリートに認定されているが、他のスポーツとは違い、シニアの層が厚いのが射撃界。その前に大学4年で迎えるインカレで「誰もやっていない3連覇を果たしたい」と意気込んだ。

2017年12月 8日 (金)

「実録・国際プロレス」で浮かび上がるラッシャー木村「こんばんは」事件…金曜8時のプロレスコラム

 1981年に崩壊した国際プロレス(インターナショナル・レスリング・エンタープライズ)のリアルな姿を詳細に掘り起こした「実録・国際プロレス」(辰巳出版、2400円+税)が出版された。同社のプロレス専門誌「Gスピリッツ」で長期連載されていた同名企画をまとめたもので、何と624ページにおよぶ国語辞典のような分厚い一冊。
 同誌の佐々木賢之編集長(46)が「これは気合いを入れて作りました」と言うので、読んでみた。連載はインタビュー形式で1人1回ではなく、数回にわたっている。登場人物は、ストロング小林、マイティ井上、寺西勇、デビル紫、アニマル浜口、鶴見五郎、大井山勝三、稲妻二郎、米村天心、将軍KYワカマツ、高杉正彦、マッハ隼人ら23人(継承略)。その後、亡くなった人もいるが、連載当時の生き証人による検証だけに、連載開始時に、すでに亡くなっていた吉原功社長や最後のエースで“金網デスマッチの鬼”ラッシャー木村が登場していないのが残念。
 624ページすべてを読破した訳ではないが、ほとんどのインタビューに吉原社長とラッシャー(または本名の木村政雄)が出てくるので、その部分だけをかいつまんで読めば、それぞれの評伝になるかもしれない。何しろ、624ページなわけだから、いろんな読み方をしないと、続かないだろう。1ページから624ページまで順番に読むには、かなりの覚悟が必要だ。
 国際プロレスは、1966年10月24日に吉原氏とヒロ・マツダによって設立された。力道山亡き日本プロレスに対抗してできた団体で、70年10月8日にはラッシャー木村が大阪で日本初の金網デスマッチを敢行(ドクター・デスをKO)。72年に新日本プロレス、全日本プロレスができてからは、第3団体に沈み、81年8月9日の北海道・羅臼大会で興行活動を停止した。
 TBSや東京12チャンネル(現テレビ東京)でゴールデンタイムに中継されていたが、血だるまやデスマッチは、視聴者から敬遠され、81年3月で打ち切られた。お茶の間に国際の名を売ったのは、新日本プロレス(テレビ朝日)でのはぐれ国際軍団、全日本プロレス(日本テレビ)での国際血盟軍だった。
 その両軍で大将を務めたのがラッシャー木村だった。その“デビュー”が、いわゆる“こんばんは事件”だ。81年9月23日、田園コロシアム。アントニオ猪木VSタイガー戸口のメインイベントの前にラッシャー木村とアニマル浜口が登場し、10月8日の猪木VS木村に向けて、一大アジテーションを繰り広げるはずだった。
 マイクを握った木村は「こんばんは」とあいさつし、会場から失笑がもれた。「10月8日の試合は、私たちは国際プロレスの名誉にかけても、必ず勝ってみせます」と続けたが、微妙な空気に浜口がすぐにマイクを奪って「10月8日は絶対、我々が勝ちますよ。おい、待っとけよ!」と吠えた。これをテレビで見た少年時代の私は「勝たせてあげたい」と思ったものだ(結果は木村の反則勝ち)。
 純粋だった少年とは違い、このシーンは、ビートたけしが「こんばんは、ラッシャー木村です」とギャグにしたほどの珍場面だった。「実録・国際プロレス」では、アニマル浜口と寺西勇が当時を振り返っている。一部を紹介すると、秩父で合宿していた寺西は「帰ってきたら、浜口が怒っていてね。“木村さんがよりによって、『こんばんは』なんて言いやがってー”と」と苦笑。浜口は今になって「あれは礼儀正しい挨拶。普通のことなんですよ」と話している。
 その後の猪木との抗争は前代未聞の3対1決戦など、高視聴率を稼いだ。浜口は「変に機転を利かすことなく、ラッシャー木村のままだから良かったんです。器用な選手だったら、猪木さんがジェラシーを起こしちゃうでしょ」と見事に分析している。木村の人間っぷりは、国際血盟軍を経たジャイアント馬場との“義兄弟コンビ”でいかんなく発揮された。あの「こんばんは」という第一声がなければ、国際プロレスの名前は風化していたかもしれない。(酒井 隆之)

2017年12月 1日 (金)

ジャンボ鶴田“最強伝説”にもフレームインしてきた大仁田厚…金曜8時のプロレスコラム

 初代三冠ヘビー級王者のジャンボ鶴田さん(2000年没、享年49)のことを書いて、前回かなりの反響を頂いので、違う観点でもう1回。22日に発売されたDVDボックス「ジャンボ鶴田伝説」(バップ、1万8000円+税)は、5枚組のDVDに往年の名勝負が全24試合、トータル709分にわたって収録されている。
 「ジャンボ鶴田試練の十番勝負」が懐かしい。1976年3月から79年1月にかけて、鶴田(以降、敬称略)は世界の強豪と対戦した。バーン・ガニア、ラッシャー木村、テリー・ファンク、ビル・ロビンソン、ボボ・ブラジル、アブドーラ・ザ・ブッチャー、クリス・テイラー、ハーリー・レイス、大木金太郎、フリッツ・フォン・エリックを相手に4勝2敗4引き分けだった。すべて60分3本勝負だったのがすごい。
 そのうち木村、テリー、ロビンソン、レイス、エリック戦が収録されていた。過去に見た映像でも、DVDでじっくり見れば、新たな発見がある。リングサイドに控えているセコンドを見るのも面白い。この時代、やはりセコンドは、大熊元司、グレート小鹿の極道コンビに、後にザ・グレート・カブキになる高千穂明久が中心。日本プロレス出身の“番人”が目を光らせているのだ。
 レイス戦から気になり出したのが、若手時代の大仁田厚(当時19歳)。リングに上がってレイスのトロフィーを受け取ったり、チョロチョロ出てきては、テレビ画面にフレームインしてくるのだ。今年、還暦を迎え引退したが、まだまだ隠居しそうにない大仁田。そのアグレッシブさは、40年前から変わっていなかった。
 そして、エリック戦がすごい。フリッツが鉄の爪アイアンクローで鶴田の顔面をわしづかみにし、鶴田は流血。レフェリーやセコンドが割って入っても離さない。そこに飛んで火に入る形で、大仁田が顔を出し、フリッツのアイアンクローでリングにつまみ上げられるのだ。リングをのたうち回りながら、反対の場外へ放り投げられ、さらに場外で机にたたきつけられ流血。
 日本テレビ・倉持隆夫アナウンサーが「大仁田の額にアイアンクローが入りました。危ない、危ない」「助っ人に入りました大仁田厚が顔面を切られました」と実況。NWA認定インターナショナル・ジュニアヘビー級王者として凱旋帰国する以前に、大仁田は全国デビューしたのだった。ジュニア王者時代の82年にチャボ・ゲレロにトロフィーで殴られたのが大仁田の流血史のルーツだと思ってきたが、それ以前の流血劇があったことをジャンボ伝説が教えてくれた。(酒井 隆之)

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