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2018年3月

2018年3月24日 (土)

【東京ドーム30年】初代ドーム王者は巨人だった…夢の12球団トーナメント

 日本初の全天候型多目的スタジアム、東京ドーム(東京・文京区後楽)が今年30周年を迎える。1988年3月17日にオープニングセレモニーが行われ、翌18日に巨人・阪神のオープン戦がこけら落としイベントとなった。今年は3月17~19日には公開イベントがなかったが、20日に巨人・日本ハムのオープン戦が行われ、巨人・上原の日本復帰登板に4万6297人の観衆が詰めかける盛況となった。東京ドーム30年の歴史をスポーツ報知の紙面で振り返る。

 ◆1988年4月4日付1面

 東京ドーム元年(1988年)のプロ野球開幕戦は、4月8日の巨人・ヤクルト戦(夜に日本ハム・ロッテ戦)だったが、それに先立つ3月29日から4月3日にかけてセ・パ全12球団による初のトーナメントが行われた。正式名称は「サッポロビール プロ野球トーナメント大会」。報知新聞社などが後援した。

 1回戦は3月29日に阪急11-4中日、大洋1-0ロッテ、30日に日本ハム4-0阪神、南海3-0ヤクルト。2回戦は31日に西武7-2阪急、広島3-2大洋、4月1日に巨人2-1南海、日本ハム3-2近鉄という結果に。

 2日の準決勝は巨人7-1日本ハム、西武2-0広島となり、巨人と西武の決勝戦が決まったが、準決勝報じる3日付の報知新聞1面は巨人ではなく、西武だった。

 西武・郭泰源が広島打線を相手にノーヒットノーラン(6四死球)の快投を見せたのだ。もちろん東京ドームでは初の記録だ。巨人は先発・槙原の好投で大勝したが、2、3面での展開だった。

 3日の決勝戦。まずは3位決定戦が行われ、広島が5-4で日本ハムに勝利した。そして決勝戦は、前年87年の日本シリーズの再現となった。巨人は初回の猛攻であげた4点をガリクソン-鹿取の手堅いリレーで守りきり、4-0で前年日本一の座を譲った西武を撃破した。最優秀選手には決勝打となった先制の2点適時二塁打を決めた巨人・クロマティが選ばれた。

 翌4日の1面は「巨人 春のドーム王者」「宿敵レオ完封 ガリー鹿取熱投」「V打だMVPだクロウ」「G党88いい予感」と開幕前に景気のいい見出しが躍った。

 だが、この88年シーズンは巨人は中日にリーグ優勝を明け渡し、西武が日本シリーズ3連覇を果たすことに。その結末を考えれば、巨人は春の王者になっておいてよかった。東京ドームの記念すべき優勝チーム第1号という歴史を刻んだのである。

(資料探偵・酒井 隆之)=毎週土曜日午前9時に配信=

2018年3月23日 (金)

東京ドーム開幕祭が開幕!

Dsc_0519  東京ドームの正面に巨大なダルマが出現しました。プロ野球の開幕を呼びかける開幕祭が開幕したのです。

24日には巨人・高橋由伸監督がダルマの片方の目を入れるそうです。今年の開幕祭では、ドーム前の特設テントで、30年間の巨人の開幕戦スタメンが掲示され、東京ドームの外野フェンスや膜屋根、ピッチャープレートなどが展示されている。膜屋根の素材を初めて触りましたが、想像していた素材とは違っていてびっくりさせられました。

 ドーム内に入らなくても、東京ドームシティで雰囲気を味わうだけでも楽しめます。開幕祭は巨人の開幕3連戦(阪神戦)が終わる4月1日をもって終幕します。お早めに。

東京ドーム30周年オブジェが出現…「AKIRA」の大友克洋氏が制作  

東京ドーム30周年連載はこちら

テレ朝「ワールドプロレスリング」で飛び出した「ジャンボ鶴田」発言…金曜8時のプロレスコラム

 18日未明に放送されたテレビ朝日系の新日本プロレス中継「ワールドプロレスリング」で、面白いシーンがあった。鈴木軍の“世界一性格の小ズルい男”タイチ(38)が、デビューから15年にして、まさかのヘビー級転向という話題についてカメラに向かって語っていた。

 「年数とか関係ないだろ、別に。1年だろうが、2年だろうが、30年だろうが。『人生はチャレンジだ』って、ジャンボ鶴田が言ってたよ。会ったことないけど」とにやけながらコメントしたのだ。

 新日本プロレスの中継で元全日本プロレスのエース、ジャンボ鶴田さんの名前が出るとは…。タイチは、実は、最初に入門したのは全日本プロレスだった。鶴田さんが亡くなったのは2000年で、タイチが入門したのは翌01年だから、接点はなかった。それでも、鶴田さんの名言は、刷り込まれていたのだ。

 「人生はチャレンジだ」この名言は、実は鶴田さんの師匠・ジャイアント馬場さんの言葉だったことを思い出した。99年3月6日、日本武道館で行われたジャンボ鶴田引退セレモニーで、鶴田さんは、こうスピーチした。

 「米国のポートランド州立大学の教授に就任することが決まりました。ジャイアント馬場選手のちょうどご逝去ということになり、時期の延期とか中止なども考えましたが、馬場選手がいつも僕にそう言ってくれたみたいに『人生はチャレンジだ! チャンスは掴め!』と、その言葉を信じ今日の決断となりました」

 師匠・馬場さんのことを亡くなってからも「馬場選手」と呼ぶとは。インタータッグの王者コンビだったというパートナー意識が強かったのか。スピーチを続けよう。

 「私はここに引退はしますけど、全日本プロレスには有望な若手がたくさんおります。三沢、川田、小橋、田上、いい選手がいっぱいいます。ですから、ファンのみなさま、ぜひ、これからも全日本プロレスに熱きご指導とご支援を切に切によろしくお願い致します」

 こう言って締めたセレモニーだったが、鶴田さんは翌2000年5月13日に49歳で亡くなり、全日本プロレスは、プロレスリング・ノアとに分裂した。6月18日のジャンボ鶴田さんメモリアル献花式の模様を伝えた6月21日深夜の放送分をもって日本テレビの「全日本プロレス中継」は打ち切りとなった。

 翌週からプロレス格闘技・総合情報番組「コロッセオ」が始まって、すぐに終わった…ということはさておき、あの時から眠っていたジャンボ鶴田さんの名前が「ワールドプロレスリング」で飛び出したことは、例えタイチが思いつきの小ネタで言ったのだとしても、しっかりとすくい上げておきたいと思った。

 鶴田さんは、新日本プロレスにたった1度だけ参戦したことがある。以前にもこのコラムで書いたが、東京ドームで1990年2月10日に開催された「スーパーファイトin闘強導夢」で、鶴田さんは谷津嘉章と組んで、木村健吾、木戸修組と対戦。鶴田さんが空中胴締め落としで木戸にフォール勝ちしている。だが、この映像はお蔵入りになったまま。同じく全日本(日本テレビ)から参戦した天龍源一郎の試合(天龍&2代目タイガーマスクVS長州力&ジョージ高野)はDVDで復刻されているのにである。

 タイチの発言が、“鶴田in新日本”の解禁の予告であったとしたなら…。私の“妄想”には無理がありそうだが、馬場さんから鶴田さんに継承された「人生はチャレンジだ」を勝手に継承してしまったタイチのヘビー級転向を応援していきたいと思う。(酒井 隆之)

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