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2018年7月

2018年7月27日 (金)

前田日明氏「UWFが分裂してなかったらヒクソンを攻略できた」…金曜8時のプロレスコラム

 元格闘王の前田日明氏(59)がプロデュースする総合格闘技大会「THE OUTSIDER第51戦SPECIAL 10周年記念Road to LasVegas」が21日、神奈川・川崎市とどろきアリーナで開催された。

 21試合が行われ、メインイベントとセミファイナルは、提携した米ラスベガスの格闘技団体FFC(Final Fight Championship)との対抗戦となった。メインは、高橋義生(49)=藤原組=が、ドゥスコ・トドロビッチ(24)=セルビア=に1回1分41秒、パウンドによるTKO負け、セミも岸野”ジャスティス”紘樹(23)=和術慧舟會トイカツ道場=が、イビカ・トラチェック(30)=クロアチア=に1回4分29秒、フロントチョークで敗れ、FFCの世界規模の実力を見せつけられた。

 前田氏は、16日に東京・新宿区の「居酒屋カンちゃん」(JR新大久保下車すぐ)で新日本プロレス時代の先輩、キラー・カン(現役時代の表記はキラー・カーン)氏(70)=本名・小沢正志=とトークショーを行った。出番待ちの厨房で前田氏と話す機会があった。

 11歳の長男と2歳の長女の父になった前田氏は、プロレス界よりも日本の将来が気になってしょうがないようだ。私は前田氏が旧民主党の応援演説(後に決別)を行っていた2009年に追っかけ取材したことがあるだけに、前田氏は社会ネタの持論を語り出した。西日本豪雨によって幼い命も犠牲になったことを他人事とは思えないという。「なんでスーパー堤防を事業仕分けしたんですかね。もしも首都圏直下型地震が起きた時に、子どもと会えるのかが心配」と言い、ともに大阪市出身ということもあり「大和川が決壊したら大阪市全部が水没するんですよ。知ってましたか?」と熱弁した。

 トークショーでも「どうなる日本」について話したかったようだが、“蒙古の怪人”との夢の2ショットを見に来たファンの前ではそうはいかなかった。カン氏とは、新日本プロレスの先輩・後輩で1983年の第1回IWGP決勝リーグの代表という接点があり、正規軍と維新軍でも抗争した大型ファイター同士。

 前田氏は先輩のカン氏を「小沢さん」と呼び、新弟子時代から敬意を持ち続けている。「小沢さんは、凶器ですよ。アマレスでオリンピックに出た吉田さん(長州力)が入門してきた時に、小沢さんはスパーリングで足首をきめたんですよ。スクワットもみんながハーフなのに小沢さんはフルスクワットでしたよね」と道場での強さを述懐。カン氏は「前田は空手やってただけあって礼儀正しいんですよね。強いし、顔はいいし、スーパースターになると思いましたよ」と持ち上げた。

 ファンからの質問では、前田氏の後輩の高田延彦氏(現RIZIN統括本部長)と船木誠勝(現役プロレスラー)が、ヒクソン・グレイシー(ブラジル)に総合格闘技で負けたことについての質問が飛んだ。前田氏は高田の実力を認めた上で、ヒクソン戦では精神的に負けていたことや、非情になり切れなかった船木の詰めの甘さを指摘。そして「あのままUWFが分裂せずに続いていたら、もっと研究を重ねて、ヒクソンを攻略できていたでしょうね」とつぶやいた。1991年に三派に分裂したUWF。前田、高田、船木、そして“組長”藤原喜明の知恵と技術を結集させていたなら…などと幻想してしまえるのも、プロレスファンならではのロマンだろう。

 93年の第1回UFCのファイナリスト(準優勝)になったジェラルド・ゴルドー(オランダ)を初めて日本のリングに上げたのは、前田氏のUWF(88年、前田氏が裏アキレス腱固めで勝利)だったし、後のPRIDEヘビー級王者・エメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)を“発掘”して、リングスで紹介したのも前田氏だった。

 前田氏が新たな世界戦略へ向けてパートナーになったFFCは、元K―1プロモーターのオルサット・ゾフコ氏がオーナーで、米ラスベガスのカジノ・ホテルグループ「シーザーズ・エンターテイメント」と提携し、今秋から総合、ボクシング、キックボクシングの試合を毎週、開催するという。日本人ファイターとして、北京五輪柔道100キロ超級金メダリストの石井慧(31)と契約を結んだ。鳴り物入りで総合デビューしながら、伸び悩んでいる石井に前田氏のUWF魂が吹き込まれ、新たなロマンが生まれてくれればいいなと願う。(酒井 隆之)

 
 

2018年7月20日 (金)

マサ斎藤さん死去で“日本初ヒールユニット”狼軍団が全滅、いやホーガンがいた…金曜8時のプロレスコラム

 “獄門鬼”マサ斎藤(本名・斎藤昌典)さんが14日に亡くなったことが16日に健介オフィスから発表された。75歳だった。以下、敬称略で書かせてもらうと、マサ斎藤と言えば、アントニオ猪木との巌流島決戦(1987年10月)や、同年12月にTPG(たけしプロレス軍団)の刺客として、ビッグバン・ベイダー(6月に63歳で死去)を連れてきた参謀として、ゴールデンタイムのプロレススペシャルを盛り上げた敵役だった。

 私にとっては、ヒロ・マツダ率いる狼軍団の副将としてのイメージが強い。1978年に新日本プロレスが開催したプレ日本選手権で、狼軍団が旋風を巻き起こした。猪木が提唱した日本選手権に、全日本プロレス、国際プロレスは乗ってこず、フリーの日本人を集めたことで生まれたのが狼軍団で、ヒールユニットの元祖と言える。その後の、はぐれ国際軍団、革命軍、維新軍団、ブロンドアウトローズ、平成維震軍、nWoジャパン、魔界倶楽部、さらに今、最も勢いのあるロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンへとつながるルーツだ。

 プレ日本選手権に出場した狼たちは、ヒロ・マツダ、上田馬之助、マサ斎藤、サンダー杉山、剛竜馬。マツダが総帥で、2番手は日本プロレス入門順では馬之助だが、一匹狼ぶりが強く、明大出身で東京五輪レスリング代表のマサが副将に適任だった。

 狼軍団は、そろいの黒のジャージー姿がカッコよかった。その中で、あえて黒ジャージーを着ない馬之助のアウトローぶりも怖かった。決勝では、マツダが猪木の卍固めに敗れたが、試合後の黒ジャージーの乱闘劇は、ドキュメンタリー映画「激突!格闘技 四角いジャングル」(三協映画)にも登場している。

 マサさんに狼軍団について聞く機会はなかったが、2000年10月9日の東京ドームで新日本VS全日本の対抗戦が実現した時に話を聞いた。「対抗戦はあの頃の全日本なら考えられなかったこと。全日本が渕と川田の2人になったから実現したんですよ」夢の対抗戦を盛り上げるべき新日本の取締役としては、あおりに欠ける正直すぎるコメントだったが、過去に自身が経験してきた対抗戦への自負がうかがえた。

 狼軍団総帥のマツダさんは99年に62歳で亡くなった(今年、WWE殿堂入り)。杉山さんは2002年に62歳で、剛さんは09年に53歳で、馬之助さんは11年に71歳で鬼籍に入っている。そしてマサさんが亡くなり、プレ日本選手権に出た狼軍団は誰もいなくなった。

 馬之助さんが亡くなった時に力道山OB会から頂いたDVD「悪逆無道!極悪ヒール烈伝」(ビデオ・パック・ニッポン)を見返してみた。78年10月の“日本初ヒールユニット”狼軍団の軍団結成フロリダ特訓という映像を見ると、マツダ、斎藤のスパーリングに交じって、若き日のハルク・ホーガンが映っていた。そう言えば、ホーガンにプロレスを教えたのはマツダだった。軍団結成時にいたのだから、立派なメンバーだ。

 現在64歳のホーガンは、2003年10月13日の東京ドームでの蝶野正洋戦以来、日本では試合をしておらず、15年に人種差別発言が発覚し、WWEから解雇されている。一時は名誉回復の動きもあったが、活動再開の外電は入っていない。75歳にして、2020年東京五輪の聖火ランナーになることを目指してリハビリに励んでいたというマサ斎藤さん。“狼軍団の末弟”ホーガンの復活に期待したい。(酒井 隆之)

 ◆マサ斎藤(まさ・さいとう) 本名・斎藤昌典(まさのり)。1942年8月7日、東京都生まれ。明大在学中の63年、レスリング日本選手権で2冠となり64年の東京五輪にフリースタイルのヘビー級で出場。65年6月に日本プロレスでデビュー。68年に渡米し、AWAなどで活躍。74年以降は定期的に新日本プロレスに参戦。87年10月にアントニオ猪木と巌流島決戦。AWA世界ヘビー級王者にもなった。99年2月、日本武道館でのスコット・ノートン戦で引退した。

 ◆ハルク・ホーガン 本名テリー・ボレア。1953年8月11日、米ジョージア州生まれ。77年デビュー。79年、テレビ番組「超人ハルク」を由来にリングネームを改め、WWF(現WWE)に登場。80年から新日本プロレスに参戦し、83年の第1回IWGP決勝戦で、アントニオ猪木にKO勝利。WWF世界ヘビー級王者として、世界のスーパースターになった。俳優としても映画「ロッキー3」、ドラマ「特攻野郎Aチーム」などに出演。2012年にはセックス動画が流出して訴訟を起こす騒動になり、15年には、その動画での人種差別発言が発覚し、WWEから解雇された。得意技はアックスボンバー。身長201センチ、体重120キロ。

2018年7月16日 (月)

前田日明氏がキラー・カン氏と再会対談…カン氏が長州力をスパーリングできめたエピソードなど披露

 元格闘王の前田日明氏(59)が16日、東京・新宿区の「居酒屋カンちゃん」(JR新大久保下車すぐ)で、トークショーを行った。店主で新日本プロレス時代の先輩、キラー・カン(現役時代の表記はキラー・カーン)氏(70)=本名・小沢正志=と再会し、夢の対談が実現した。
 “蒙古の怪人”として米国でトップヒールだったカン氏とUWF、リングスの創始者でプロレスと総合格闘技を結びつけた前田氏とは、新日本プロレスの先輩・後輩で1983年の第1回IWGP決勝リーグの代表という接点があり、正規軍と維新軍でも抗争した大型フィター同士。プロレスグッズを展開するチームフルスイングが企画し、旧交を温めた。
 前田氏は先輩のカン氏を「小沢さん」と呼び、新弟子時代から敬意を持ち続けている。「小沢さんは、凶器ですよ。アマレスでオリンピックに出た吉田さん(長州力)が入門してきた時に、小沢さんはスパーリングで足首をきめたんですよ。スクワットもみんながハーフなのに小沢さんはフルスクワットでしたよね」と道場でのエピソードを披露。カン氏は「前田は空手やってただけあって礼儀正しいんですよね。強いし、顔はいいし、スーパースターになると思いましたよ」と持ち上げた。
 前田氏が師と仰いだカール・ゴッチさんからカン氏が手ほどきを受けていたことや、カン氏のフロリダの自宅がゴッチ邸の近くにあり、日本料理の付き合いがあったというエピソードを聞き入り、前田氏はカン氏をさらにリスペクトした様子だった。前田氏は入門前のストリートファイト武勇伝や、カレリンとの引退試合、さらに下ネタを多発して笑わせた。
 前田氏は、今月21日に総合格闘技大会「THE OUTSIDER第51戦SPECIAL 10周年記念Road to LasVegas」(神奈川・川崎市とどろきアリーナ)をプロデュースする。

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