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2018年9月

2018年9月28日 (金)

貴乃花“2度目の引退”の衝撃からすれば許容できる大仁田“7度目復帰”…金曜8時のプロレスコラム

 元横綱の貴乃花親方が2度目の“引退”会見を開いた。25日に「私、貴乃花光司は本日、年寄を引退致します」と表明した。本来なら親方が日本相撲協会を去ることは引退とは言わない。力士が現役を退く時は引退だが、親方が協会を辞める時は、退職と呼ぶ。だから、貴乃花親方の「引退届」は受理されず、芝田山広報部長(元横綱・大乃国)が「書類に不備がある」と説明したのだった。

 引退届が受理されなかったことで、スポーツ報知の1面見出しは、引退でも退職でもない、「廃業」という言葉を使った。そもそも相撲の世界では「廃業」という言葉は死語と化していた。かつて、廃業という言葉は、相撲協会を去ることを意味し、力士の引退と親方の退職のどちらにも使用されていた。だが、元小結・旭道山(現実業家)が、衆院選挙に出馬するため、協会に別れを告げた時(1996年)に、「廃業」では語感が悪いため、協会が使わない方針を示した。

 しかしながら、貴乃花親方の退職は、“廃業”という言葉を甦らせるに相当する衝撃的な出来事だった。平成の大横綱が定年を全うせずに角界を去ることが平成のうちに起きようとは、2003年初場所の引退原稿を書いた記者としても、想像できなかった。

 「武士に二言はない」ということから、一度、引退(退職)を届けたならば、二度と復帰(復職)することができないのが角界の厳しい掟(おきて)だ。元大関・小錦(現タレント・KONISHIKI)が引退した97年九州場所では、師匠が場所中に引退意向を明かしただけで、千秋楽を待たずに引退せざるを得なくなったことがあった。

 それを考えるとプロレス界は何度引退しても、何度復帰してもいい。大仁田厚(60)は、昨年10月31日に、後楽園ホールで7年ぶり7度目の引退をしているが、1年たったここにきて、7度目の復帰のにおいがしてきた。27日に、東京・新宿FACEで開催された「TCW世界インディー連合」(ジミー鈴木プロデュース)の興行で、大仁田のハロウィーン限定キャラ、でびる・にた男が登場したのだ。

 当初は大仁田がレフェリーを務めることが発表されていたが、にた男がリングに上がり、レフェリーながら、毒霧攻撃などやりたい放題。化身が復帰して観衆が沸いたからには、大将・大仁田が出て来ないわけがない。もう、好きなようにやってもらおうじゃないの。引退原稿を何度も書かされてきた記者としては、そう思わざるを得ない。

 大相撲とプロレスを比較することはナンセンスだが、そもそもプロレスは、大相撲を廃業した元関脇・力道山が日本に根付かせたもの。東富士、輪島、双羽黒、曙と廃業した歴代横綱を受け入れてきた許容の文化がある。だから、レスラーが何度引退してもいいし、何度もリングに復帰することに対して寛容だ。ファンも「また、大仁田か。しょうがないなぁ」と言って受け入れる度量がないと務まらないのである。貴乃花親方が知る必要のない世界ではあるが。(酒井 隆之)

2018年9月25日 (火)

925の日

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  貴乃花親方が相撲協会に退職届を提出した9月25日は衝撃の日となりましたが、9月25日は「山田邦子の日」でした。貴乃花親方の記者会見の速報原稿を会社でチェックしてから、招待されていた新宿・歌舞伎町の邦子の日パーティーにかけつけたのでした。

 貴乃花親方の退職に加え、広島のセ・リーグ優勝が決まるかもしれないというスポーツ紙にとっては、大変な日でしたが、この日は925の日のために、早番だったので、何とか駆け付けることができました。広島の優勝は持ち越されましたが、相撲界にとっては9・25は歴史に刻まれる日付となることでしょう。

山田邦子が925の日に、高山善廣の復活支援と乳がん検診啓発チャリティー「みなさんの力を貸してください」  

2018年9月21日 (金)

IWGP、初代タイガーマスクを仕掛けた新間寿氏は本当に引退するのか…金曜8時のプロレスコラム

 新日本プロレスの昭和の黄金時代に、アントニオ猪木(現参院議員)の右腕として“過激な仕掛け人”と呼ばれたリアルジャパンプロレスの新間寿会長(83)がプロレス界から引退するという。

 新間氏が仕掛け人としてプロレス界に残した功績ははかりしれない。猪木とボクシング世界ヘビー級王者のムハマド・アリとの格闘技世界一決定戦(1976年6月26日・日本武道館)を実現させ、さらに梶原一騎原作のアニメ「タイガーマスク」を実際のリングでに登場させた(1981年4月23日・蔵前国技館で佐山サトルの初代タイガーマスクがデビュー)。

 そして現在も新日本プロレスの最高峰のタイトルとして歴史を刻む、IWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)を創設した(1983年に第1回大会開催)。WWF(現WWE)の会長も務めたレジェンドである。

 最後のプロデュース興行と宣言した20日のリアルジャパンプロレス「新間寿プロデュース 初代タイガーマスク佐山サトル認定 原点回帰プロレス」(東京・後楽園ホール)で新間氏を直撃した。

 「本当にやめるんですか?」やや耳が遠くなったようで、聞き返されたが、張りのある声で「ただ老兵はさみしく消えゆくのみですよ」と笑みを浮かべながらはっきり言い切った。

 そして失礼ながら「何回目の引退ですか?」と聞いた。日本プロレス、東京プロレス、新日本プロレス、ユニバーサルプロレス(旧UWF)、世界格闘技連合…。プロレス団体ではないが、猪木氏と共闘したスポーツ平和党でも内紛の末、去っている。

 「何を言うんですか。自分から宣言するのは初めてですよ」そう言われてみれば、そうかもしれない。初代タイガーマスクの最初の引退から端を発した1983年の“真夏のクーデター”では専務取締役営業本部長を解任されたのだった。これが84年の旧UWF旗揚げへとつながった。

 88年の格闘技連合では大仁田厚を新生UWFの大阪大会に送り込み「大仁田さん、チケット持ってますか」と門前払いされた“事件”につながるなど、新間氏が仕掛けるネタは必ず話題になり、その後、フェードアウトしたり、猪木氏との決別は何度も宣言しているが、確かに引退は宣言していなかったかもしれない。

 「お互いに体調がよくない佐山とハワイに行こうという話になった時に、『今のプロレスは面白いか』と聞いた。『新間さんどうですか』と言うんで『まったく面白くないよ』と言った。踊るようなレスラーはいっぱいいるけど、観客を引きつけるプロレスラーらしいプロレスラーがいなくなった。まずリング上に人がいなくなった。そしてリング外を盛り上げる人も出てこない。83歳にもなって礼儀正しくおどおどしながら、リングに上がって『新日本にいた新間だ』と言ってももうダメですよ。みにくい姿を見せることなかれ」とこの日は、リングに上がってマイクを持つことはなかった。

 52年にわたるプロレス人生のピリオドは、11月に新日本プロレス時代に数々の思い出がある東京・京王プラザホテルでお別れ会を開くという。「あの昭和の新日本プロレス時代をともに語り合い、自分たちが好きだったアントニオ猪木、ジャイアント馬場、ストロング小林、長州力、藤波辰爾、タイガーマスクの試合(VTR)をともに見ながら…。そういう夢を毎年1回、命が続く限り続けていきたい…」名調子は不滅だ。

 この毎年開催するというパーティーで昭和のファンから熱望されることだろう。「後楽園ホールで興行をやってくださいよ」と。まだ50代前後の昭和のファンの熱気が消えるまで、“過激な仕掛け人”に引退はないような気がするが、どうだろうか。(酒井 隆之)

 
 

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