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2018年10月

2018年10月26日 (金)

プロレスラーメンショー

 

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 この季節になるといつも東京・駒沢オリンピック公園中央広場に行きます。報知新聞社後援の「東京ラーメンショー2018」は今年で10回目。レジャー担当デスクになったのがちょうど10年前で、メディア担当になってからも欠かしていません。

 いつもは初日に顔を出しますが、今年はプロレス開催日に合わせて試食してきました。DDTのラーメンショープロレスを初めて見ましたが、文化系プロレスと呼ばれるDDTだけに最高の演出でした。やはりお祭りに、ラーメンとプロレスは欠かせません。学園祭シーズンの秋、学生に戻った気分になりました。

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“凄いヤツ”か“ダメなヤツ”か谷津嘉章が復活…金曜8時のプロレスコラム

 モントリオール五輪レスリング代表で、初代世界タッグ王者の谷津嘉章(62)がプロレスのリングに本格復帰した。藤波辰爾(64)が主宰するドラディションの「THE REVENGE TOUR」に参戦し、19日に東京・後楽園ホール、21日に大阪南港ATCホールで試合を行った。

 谷津は2010年10月30日に新宿FACEで、自身が主宰していたSPWFのリングで引退試合を行ってから、友情参戦で顔見せ的にリングに上がることはあったが、「ちゃんとしたプロレス会場でやるのは初めて。プロレスの聖地、後楽園ホールでやるのも10年ぶりぐらい」という。

 ヒロ斉藤(57)とタッグを結成し、東京大会では、新崎人生(51)、新井健一郎(46)組と、大阪大会ではAKIRA(52)、KAZMA SAKAMOTO(36)組と対戦した。谷津は、アマレスのようなグラウンドレスリングから、必殺技のブルドッキングヘッドロック、監獄固めなどを披露。試合は東京では、斉藤がダイビングセントーンで新井に勝利し、大阪では斉藤がKAZMAの首固めに敗れた。「ちょっと怖かった。デビュー戦以上に感激した」とコメントした。

 後楽園ホールでは、グッズ売り場に出向き、Tシャツとサイン色紙を売っていた。谷津を取材するのは、2003年以来15年ぶりだった。当時、大相撲の幕内力士だったモンゴル出身の旭鷲山の四股名を三重・伊勢市上野町にある実際の山(鷲嶺高原の一角)に命名するというイベントに谷津も来ていたのだ。当時、旗揚げしたばかりのWJ(ワールドジャパンプロレス)の選手兼営業担当として、全国にチケットを売り歩いていた時で、こんな山にまで営業をと感心したものだった。

 今回、谷津がグッズ売り場で売っていたのは「凄いヤツ」Tシャツだった。アマレス重量級最強という看板を引っさげて、新日本プロレスに入団した1980年の会見で、同席したアントニオ猪木(当時社長)のダジャレに応じ「ダメなヤツと言われないように、凄いヤツになれるようにがんばります」と宣言したことをネタにしたものだった(チームフルスイング製)。

 プロレス入りした谷津は、凄いヤツとダメなヤツの繰り返しだった。80年12月に米国の殿堂マジソン・スクエア・ガーデン(MSG)でカルロス・ホセ・エストラーダを相手に破格のデビュー戦を行った。MSGでエストラーダ戦と言えば、藤波が78年にWWFジュニアヘビー級王座を奪取したサクセスストーリーの再現でもあった。だが、凱旋帰国した日本デビュー戦となった81年6月24日の蔵前国技館決戦は猪木をパートナーにテレビ朝日でゴールデンタイム生中継という舞台を用意されながら、相手のスタン・ハンセン&アブドーラ・ザ・ブッチャーに、一方的にいたぶられる公開リンチとなってしまった。

 再渡米してトラ・ヤツとしてヒールになって83年に逆上陸するとアマレスの先輩、長州力の維新軍団に入り、11月の蔵前での正規軍との対抗戦では、負けはしたがメインイベントで猪木とシングルマッチを戦い、翌84年4月の対抗戦では、藤波と高田延彦(当時信彦)を撃破し、荒武者としての凄味を見せた。

 長州とともにジャパンプロレスを旗揚げし、全日本プロレスで長州とのコンビで、ジャンボ鶴田&天龍源一郎から、インタータッグ王座を奪取。プロとしてアマレスの全日本選手権にも出場し、重量級で優勝もしている。

 長州は新日本にUターンしたが、ここで決別し、鶴田と五輪コンビを結成。87年に世界最強タッグ決定リーグ戦に優勝し、88年には初代世界タッグ王者に輝いた。「オリャー」の掛け声をファンが会場で連呼する変なブームも作った。

 ここまでは凄いヤツだったが、90年にSWSの旗揚げに参加してから、ダメな時代が続いた。長州と再合流した03年旗揚げのWJも失敗に終わった。その時のトラブルから、10年の谷津の引退試合に長州は姿を見せなかった。

 リング復帰した谷津は報道陣の囲み取材に「引退しているから。2010年の10月30日は何だったのって。あれはSPWFの解散式だったのかって思うよね。本当は上がりたくなかったけど、上がってしまうとプロレスラーだから」と言い、藤波、そして長州との対戦にも興味を示した。

 あらためて長州について聞いてみた。「時間がたって、許してるのか」と。「許すも何も、俺は最初から許してるから。あっちが許してないのかどうなのか…。長州はよくテレビに出てるね。バラエティーに。あの時(WJ時代)に営業のためにテレビに出てくれってあれだけ言ってたのに、出てくれなかった。もっと早くそれに気付いてくれたら…」呼び捨てにして、憎まれ口をたたくようになったが、やはり兄弟子の長州のことは特別な存在として意識しているようだ。

 66歳になった長州は来年中の引退を表明し、「POWER HALL2018イヤー・エンド・スペシャル」を12月28日に後楽園ホールで開催する。谷津嘉章が凄いヤツなのか、それともダメなヤツになるのかは、この長州の最後の花道に絡むことができるかで判定してもいいのではないだろうか。恩讐を超えた維新プロレスの世界に期待してみたい。(酒井 隆之)

2018年10月19日 (金)

前田日明をびびらせた横綱・輪島伝説…金曜8時のプロレスコラム

 8日に亡くなった大相撲第54代横綱の輪島大士(本名・輪島博)さん(享年70)のプロレス時代の話を先週に「横綱レスラー・輪島がいたから新生UWFが生まれた!?」として書いた所、大きな反響を頂いたので、今週も“輪島伝説”です。

 まず、先週に掲載した写真「キラー・カーンにスピニング・トーホールドを決める輪島大士」が話題になった。カーンを攻める輪島にチョップを見舞う阿修羅原という珍しい構図。資料室から発見した1枚だが、どんな試合だったのかというリクエストをもらった。調べてみると、1987年1月25日の全日本プロレス新春ジャイアント・シリーズ東京・後楽園ホール大会のセミファイナルだった。

 対戦カードは6人タッグマッチで、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、輪島大士VSキラー・カーン、阿修羅原、鶴見五郎。プロレスを連日報じていない報知新聞に、なぜこの試合の写真が、残っていたのか。実は記事になっていたのだった。翌26日付のスポーツ面の下の方に4段の囲み記事として載っていた。

 「6人タッグで強烈アピール どうだ!! 輪島ケンカ殺法」という見出し。結果は10分31秒、鶴田が鶴見を体固めで仕留めている。輪島は「“極悪トリオ”に一歩もヒケをとらず、最後はカーンと場外乱闘でもつれ合うなど、先輩格の鶴田、天龍のお株を奪うたくましいファイトで満員のファンを喜ばせた」とある。

 長州力の離脱直前で、天龍が鶴龍コンビを解消し、龍原砲を結成する前の過渡期に組まれた話題性の薄い6人タッグマッチ。前年11月に故郷の石川・七尾でデビューし、12月に日本武道館で東都デビューまで追いかけた輪島の続報をと取材したものだろう。専門誌の追悼グラフでもお目にかかれないだろうマニアックな写真だった。

 そして反響と言えば、輪島さんとUWFを並べたことで、「少年時代の前田日明が横綱時代の輪島にケンカを売った」という伝説についての書き込みが複数あった。忘れていたが、これについて前田日明氏から聞いたことがあった。

 空手道場で腕を磨いていた前田日明少年は、大阪のミナミでチンピラ相手に腕試しをしていたという。春場所で大阪に来ていた力士を見ては「序二段ぐらいだったら勝てるだろう」と息巻いていた。ある日、ちゃんこ店の入口で見つけた力士に、ケンカを売ろうとしたら、何か後ろに気配がする。振り向くと、そこに横綱・輪島が立っていた。その存在感に圧倒された前田少年は「お疲れ様です」と言って退散したというネタだった。

 その2人が十数年後の1987年にプロレス界で対極のヒーロー同士になろうとは。輪島は土曜夜7時の「全日本プロレス中継」、前田は金曜夜8時の「ワールドプロレスリング」の看板選手だった。ゴールデンタイムの最後の起爆剤でもあった。(酒井 隆之)

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