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2018年10月

2018年10月16日 (火)

黄金の風船

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  第54代横綱・輪島大士さんが天に召されました。告別式のフィナーレは黄金の風船でした。輪島さんのトレードマークだった黄金の締め込みにちなんで、黄金の風船が輪島さんの勝利数にちなんで673個飛ばされました。

 黄金の風船を見るのは東京ディズニーリゾート30周年以来5年ぶりの”めでたい”ことでした。告別式でデーモン閣下が「めでたしやー」と歌ったのが決して不謹慎ではないくらい輪島さんは大きな人でした。

 私が相撲担当の時は、すでにアメリカンフットボール界の人でしたが、「親方」と呼ぶと「総監督と呼びなさい」と言われ、プロレスの話を聞こうとすると「フットボールの話をしようよ」と返されました。過去に執着せず、常に今を生きていた人なんだなと思いました。そして黄金の風船が永遠の今になったのでした。

デーモン閣下、輪島大士さんに惜別の献歌「千秋楽」歌い上げ「感慨深い」  

横綱レスラー・輪島がいたから新生UWFが生まれた!?…金曜8時のプロレスコラム  

2018年10月12日 (金)

横綱レスラー・輪島がいたから新生UWFが生まれた!?…金曜8時のプロレスコラム

 プロレスラーとしても活躍した大相撲第54代横綱の輪島大士(本名・輪島博)さんが下咽頭、肺がんによる衰弱で8日に東京都内の自宅で亡くなった。70歳だった。

 日大で2度の学生横綱に輝き、花籠部屋から幕下付け出しでデビュー。わずか3年半で横綱に昇進した。学生出身初の横綱で、本名のまま横綱になったのも初めて(現時点でどちらも唯一)。「黄金の左」を武器に史上7位の14回の幕内優勝。大関・貴ノ花と「貴輪(きりん)人気」を誇り、横綱・北の湖と「輪湖(りんこ)時代」を築いた。

 輝かしい横綱時代と比べて、38歳で入門したプロレス時代はわずか2年8か月と短く、訃報においても、付け足しのような報じられようで、プロレス時代にフィーチャーしたものはなかった。

 親方時代に報知新聞の評論家を務めていたというご縁もあり、引退後の輪島さんと酒席をともにしたこともあったが、プロレスの話を聞こうとすると、いつも大相撲やアメリカンフットボールの話に変化された。「ウォリアーズにちゃんこをごちそうしたら喜んでくれたよ」という米国時代のエピソードを聞けたぐらいか。あまり語られなかった横綱レスラー輪島をおさらいしてみると…。

 横綱を引退後に花籠親方として部屋を継承した輪島さんは、年寄名跡を借金の担保に入れるという不祥事が発覚して廃業(日本相撲協会を退職)。1986年4月13日に、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスへの入団発表を行い「裸一貫で」出直した。横綱時代130キロだった体重は103キロと発表された。

 世界タッグ五輪に出場したジャイアント馬場&2代目タイガーマスク(三沢光晴)に付いて渡米し、米国武者修行が始まった。8月7日にカンザスシティーで馬場とのタッグでデビュー(フェリス、ホッグ組に勝利)。黄金の左をモチーフにしたゴールデン・アームボンバーという必殺技を編み出し、シングルも含め7連勝を飾った。

 凱旋帰国して11月1日に地元の石川・七尾市総合市民体育館で国内デビュー。タイガー・ジェット・シンとのシングルマッチは、日本テレビで午後7時から生中継された。

 その後の輝かしい舞台は、当時世界最高峰のNWA世界ヘビー級王座に挑戦したことだろう。87年3月12日、日本武道館での王者、リック・フレアーとのタイトルマッチ。これはジャパンプロレスから全日本プロレスに参戦していた長州力のために用意された舞台だった。長州が新日本プロレスに復帰すべく、1月に戦線離脱したからこそ、転がり込んできたチャンスだった。

 長州の離脱は、ジャンボ鶴田&天龍源一郎の鶴龍コンビとの抗争に刺激がなくなったことに加え、ゴールデンタイムの主役を輪島に奪われたからだとも言われている。この年の新春バトルロイヤルでニアミスしただけで、輪島と長州がリングで肌を合わせることはなかった。

 全日本マットを引っかき回した長州がいなくなったことで、消化不良となった天龍が、激しい戦いを求めて、鶴田、輪島にケンカを売る行動に出る。阿修羅原と共闘した天龍革命である。張り手を受けてもなかなか本気にならなかった鶴田に対して、輪島は天龍の餌食になった。元前頭筆頭の天龍に顔面を蹴られて、苦しそうにリングにはう元横綱の姿は悲壮感が漂い、天龍同盟の非情さを演出した。この年の11月7日、後楽園ホールでの唯一のシングルマッチは、天龍のキック、エルボーに輪島はリングアウト負けを喫している。

 そして、新日本に戻った長州は、この12日後の後楽園ホールで事件に遭う。11月19日、6人タッグでの前田日明による顔面襲撃事件だ。木戸修にサソリ固めをかけようとした長州に前田が顔面にキックを見舞い、眼窩底骨折の重傷を負わせた。

 その結果、前田は新日本から解雇され、翌88年に新生UWFを旗揚げするのだった。前田は近年になって、インタビューやトークショーで、この顔面キックは、天龍の輪島へのキックがモチーフになったというのを定説にしている。私も直に聞いたことがある。「天龍さんが輪島さんにやったキックぐらい、吉田さん(長州力)なら大丈夫だと思った」と。

 「風が吹けば桶屋が儲かる」的な論法になるが、レスラー輪島の存在が、爆発的なブームを巻き起こした新生UWFの誕生につながっているのだ。輪島さんが思い出したくもなかった、わずか2年半のプロレス時代。歴史の転換点の中で、リングにはいつくばった輪島さんがマット界に果たした役割は、決して小さくはなかった。(酒井 隆之)

2018年10月 5日 (金)

RIZINゴールデンタイムに流れたブッチャーのテーマ…金曜8時のプロレスコラム

 台風24号が直撃した9月30日に総合格闘技「RIZIN.13」が、さいたまスーパーアリーナで開催された。メインイベントは、“神童”那須川天心(20)=TARGET=と元UFCファイター・堀口恭司(27)=アメリカン・トップチーム=の軽量級世紀の一戦、さらに9月18日にがんのため亡くなった格闘家・山本KID徳郁さん(享年41)の姉・山本美憂(44)=KRAZY BEE=による追悼マッチなど話題満載。

 フジテレビでは、この2試合を午後7時57分からのゴールデンタイム枠で生中継を予定していたが、JR東日本が台風に備えた計画運休を午後8時から実施することを発表。榊原信行実行委員長(54)は、大会史上最多2万7208人の大観衆への影響を考えて、この2試合は午後8時以前に消化する必要が生じ、試合順の入れ替えと生中継の断念を決断した。

 録画中継となったフジテレビの番組はどうなったか。予定の午後7時57分は、台風の臨時ニュースという生放送だった。そして午後8時2分からRIZIN中継がスタート。KIDさんへの黙とう、オープニングを経て、つかみの“第1試合”は、大会第6試合の元幕内・大砂嵐(26)=エジプト=とボブ・サップ(44)=米国=の無差別級野獣対決だった。

 サップの入場テーマ「2001年宇宙の旅」(「ツァラトゥストラはかく語りき」)に続いて、入場コールされた総合格闘技デビューの大砂嵐。会場に鳴り響いたのは、あの恐怖の旋律「吹けよ風、呼べよ嵐」(ピンク・フロイド)だった。そう、“黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーのテーマ曲だ。ブッチャーと対戦経験のある解説席の高田延彦統括本部長(56)は「『吹けよ風、呼べよ嵐』ね」と感慨深げにうなり、ちょうどその時、ニュース速報で「台風24号は和歌山・田辺市付近に上陸」というテロップが…。

 昭和のゴールデンタイム。全日本プロレスの看板外国人だったブッチャーが、新日本プロレスを中継するテレビ朝日「ワールドプロレスリング」(当時、金曜午後8時)に、このテーマ曲とともに登場したシーン(1981年5月)は、黄金時代の名場面だった。

 引き抜き合戦で、入れ替わるように新日本から全日本に移籍した、タイガー・ジェット・シンは、日本テレビ「全日本プロレス中継」で、「吹けよ風、呼べよ嵐」を踏襲したが、シンのテーマ曲は、やはり新日本時代の「サーベルタイガー」だろう。その名曲「サーベルタイガー」は、RIZINでは、シング・心・ジャディブ(インド)が使用している。榊原委員長がどれだけ昭和のプロレスが好きなのかがわかる。

 大砂嵐のコスチュームは、ツタンカーメンで有名なエジプトの王(ファラオ)の装束に杖。この男、プロレス向きだ。試合は前日計量167.40キロの大砂嵐と147.90キロのボブ・サップによる、スーパーヘビー級同士の殴り合い。技術を競うスポーツではなく、本能のままぶつかり合うストリートファイトだ。

 最終の3回には、スタミナ切れでお互いが口を開けて、にらむだけで前に出て行かない。2回終了時には大砂嵐が大の字になって、しばらく立ち上がれなかった。大砂嵐は二本差してからの右すくい投げも決めたが、高田本部長が「西部劇のけんか」と評した乱戦だった。

 那須川と堀口の真剣を抜き合うような1ミリのミスも命取りになる攻防と比べると、「茶番」と評されても仕方がないが、これぞ大衆格闘技。マニアじゃなくても楽しめる、ゴールデンタイムには不可欠な要素だ。精も根も尽き果てた2人が、終了のゴングと同時に抱き合うと、笑いとともに大歓声に包まれた。“世紀の一戦”の大歓声とは明らかに異質なものだったが、その両方を体感できた大観衆は、台風から逃げなかっただけの価値を感じたことだろう。

 さて、入場のテーマ曲について。酸欠状態から呼吸を整えた大砂嵐は「僕の名前に似ている。ブッチャーのことは知らなかった」とコメント。そして「ボブ・サップと大晦日にリベンジしたい」とアピールした。競技性重視ならば、代表選手になるのは難しいだろう。だが、地上波中継と興行を意識するならば、こんな魅力的な男はいない。プロレス、UWF、格闘技という進化と復興に揺さぶれてきた日本のマット史を考えずにはいられなかった。(酒井 隆之)

 
 

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