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2018年11月

2018年11月23日 (金)

“千の顔”ミル・マスカラスの最初の顔をドクトル・ルチャが発掘…金曜8時のプロレスコラム

 “1000の顔を持つ男”の異名を持つ、覆面レスラーのスーパースター、ミル・マスカラス(メキシコ)。年齢は76歳とされているが、それは“中の人”であって、いや、そんな言い方をするのも失礼なほど、マスカラスは永遠のヒーローだ。銀ラメに黒の鷲がはばたき、額に赤いMマークがあるトレードマークのマスク(通称・トレード)が有名で、その上にかぶる様々なオーバーマスクを脱いで、客席に投げ込む姿が日本ではおなじみだった。

 1964年にデビューし、リングネームが「千のマスク」だから、生まれながらにして、様々な顔を持つことが決まっていた。ならば、その第1号のマスクはどんな顔だったのか? これは、あまり知られていないというより、資料が存在せず、不明だった。プロレスファンの間では、謎めいたロマンだったが、それをこのほど発売された「国宝級マスク研究」(辰巳出版タツミムック、1600円+税)で発表されたのだ。

 このムック本は、プロレス専門誌「Gスピリッツ」で「“千の顔を持つ男”ミル・マスカラス 国宝級マスク大研究」を連載していたドクトル・ルチャが監修しているが、このルチャ博士こそ、元「週刊ゴング」編集長の清水勉氏(61)だ。「マスカラスのゴングか、ゴングのマスカラスか」と呼ばれたほどのゴング魂によるスクープだった。

 同書では、新たに発掘された未公開のマスクを加え、マスカラスの54年の歴史を網羅。さらに「初代タイガーマスク“虎の顔”50枚+α」やエル・サント、ドクトル・ワグナー、フィッシュマン、アニバル、カネック、ドス・カラス、マッハ隼人らのマスクを紹介。出てくるマスクの写真は、実際に本人が使用した本物ばかりというこだわりようだ。

 スクープは、締め切りの都合から編集後記にギリギリ間に合った形で、あまりクローズアップされていないので、ここでしっかり紹介しておこう。

 ドクトル・ルチャは、少年時代から50年にわたって、マスカラスのマスクのラインアップを調べてきた。だが、65年7月にマスカラスがメキシコでメジャーデビュー(アレナ・メヒコ)して以降は資料がそろったが、64年夏のグアダラハラでのローカルデビューからの1年間は、不明なことが多かった。初期のマスクは、4種類だったが、どれをデビュー戦でかぶったのか。

 2007年に休刊した「週刊ゴング」がたどりつけなかった史実を、清水元編集長は、ドクトル・ルチャに名を変えて、探り続けた。そして発掘した。廃刊した「KO」誌のバックナンバーをメキシコの弁護士事務所で発見。小さい記事の2枚のモノクロ写真からマスクが特定できたのだ。

 それは白いサテンに薄いピンクの縁取りのマスクだった。「マスカラスの源流の最初の一滴にたどりついた感動と興奮は忘れられません」とドクトル・ルチャは話す。

 マスカラスを生んだ専門誌「ルチャ・リブレ」にも載っていなかったネタだった。さらに「ルチャ・リブレ」誌でカラーグラビアになったそのマスクとコスチュームを紹介するという研究発表。「国宝級マスク研究」の書名にふさわしい、巻末スクープになった。もしマスク研究に学会があったとすれば、メダル表彰ものだろう。

 かつてプロレス週刊誌の黄金時代に過激な部数争いを行ったライバル、ターザン山本氏(72)は、プロレスのリングに上がって、大仁田厚(61)と乱闘する破廉恥ぶりを演じている。その一方で地道な調査報道を続けている清水氏に、記者として頭が下がる思いがした。(酒井 隆之)

2018年11月16日 (金)

平成最後の世界最強タッグ開幕! ハンセン? ブロディ? そこには昭和があった…金曜8時のプロレスコラム〈100〉

 このコラムも毎週金曜午前8時配信を2年続け、今回で100回目を迎えた。ページビューが落ちればやめようと思ってきたが、まだその時ではなさそうだ。ここは日本最長40年の歴史を誇る全日本プロレスの人気シリーズ「世界最強タッグ決定リーグ戦」にあやかろうと、開幕戦が行われた13日の東京・後楽園ホール大会をのぞいてきた。

 年末の風物詩とも言えるこのシリーズは、1978年から途切れずに開催されており、今年で41回目の最長不倒だ。これよりも歴史が古い、春の祭典「チャンピオンカーニバル」は1973年が第1回だが、83年から90年までは、リーグ戦が行われず「グランド」や「ワールド」が頭に付くなど、同一シリーズ名ではなかった。

 最強タッグは、77年の「世界オープンタッグ選手権」がその前身で、ドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクのザ・ファンクスとアブドーラ・ザ・ブッチャーとザ・シーク組の凶悪コンビによる公式戦最終試合での、ブッチャーのテリーへのフォーク攻撃が伝説の名場面になっている(ファンクスが反則勝ちで優勝)。この熱狂と興奮が、世界最強タッグリーグへとつながった。

 さて、41年後の開幕戦だ。まずオープニングで日本テレビのスポーツ行進曲が流れた。ジャイアント馬場、そして輪島大士が使用したあの入場テーマだ。現在の全日本プロレスは、日本テレビではなく、CS「GAORA SPORTS」が中継しているだけに、うれしい昭和の光景だった。

 そして、入場式(開会式)では、世界最強タッグのテーマ「オリンピア」が流れ、選手が入場してきた。参加チームをおさらいしておくと、前年覇者の諏訪魔、石川修司組(世界タッグ王者)、秋山準、関本大介組、宮原健斗、ヨシタツ組、ゼウス、ボディガー組、野村直矢、青柳優馬組(アジアタッグ王者)、大森隆男、征矢学組(2016年全勝優勝)、ジェイク・リー、崔領二組、ジョー・ドーリング、ディラン・ジェイムス組、TAJIRI、ギアニー・ヴァレッタ組、真霜拳號、KAI組、パロウ、オディンソン組。

 一昨年に取材した時は、外国人が不参加の世界最強タッグに、がっかりした。昨年はジョー・ドーリングと太陽ケアが戻ってきてくれたが、物足りなかった。今年はジョーのパートナーにディラン・ジェイムス(ジェームス・ライディーン)、TAJIRIがギアニー・ヴァレッタを連れてきた。そして、“未知の強豪”(昭和の響き)パロウ&オディンソンの初来日。並ぶだけで豪華だ。

 「バシッ」という音が響き、会場が静まりかえった。TAJIRIが竹刀をたたき付けながら入ってきた。ヴァレッタはチェーンを振り回している。そして、ジョーは、テンガロンハットをかぶり存在感たっぷり。最強タッグはこれでなきゃ。竹刀=上田馬之助、チェーン=ブルーザー・ブロディ、テンガロンハット=スタン・ハンセン。昭和の光景だ。この3アイテムがそろうのは、1983年大会以来35年ぶりということになる。

 「入場式はバルコニーの方がうまく撮れますよ」と福田昌弘広報からアドバイスを受けた通り、リングサイドではなく、バルコニーでカメラを構えていて正解だった。期待にこたえてくれるかのように、22選手がリングに集まると、乱闘が始まった。

 関本がKAIに、石川が宮原に、パロウが野村に、突っかかるのが一望できた。狭い中で、この日対戦する者同士が、しっかり獲物を見つけて、つかみかかるこの嗅覚。これぞプロレスラーだ。苦笑しながらリングからエスケープしていくジャイアント馬場さんの姿が見えたような気がした。(酒井 隆之)

2018年11月 9日 (金)

全日本ダブルフォールで思い出すJ鶴田、大仁田のNWA戦…金曜8時のプロレスコラム

 石原軍団の俳優・金児憲史(40)と神田穣(23)が3日に東京・後楽園ホールで開催された全日本プロレス「Lucha Fiesta Tour 2018 supported by AJP」に参戦し、レスラーデビューを飾った。

 「西部警察」のテーマに乗ってリングに上がった2人は、覆面レスラー・カーベル伊藤(正体不明の100円レンタカー、カーベル伊藤一正社長)と組んで、大久保一樹(39)、原学(36)、佐野直(39)との6人タッグマッチに挑んだ。長州力が憧れだった金児は、大久保を相手にミドルキック3発からのギロチンドロップ、大技ブレーンバスターを披露。ヒップに「石原軍団」の4文字が刻まれた白パンツで覚悟を決めた神田は原に対し、ローキックからのスリングブレイド、ヒールホールドを敢行し、猛特訓の成果を発揮した。

 相手の反則(マスクはぎ)によって勝利を手にした金児は「失礼のないように本気でやりました。一皮むけて、いい40歳を迎えられました」と真っ赤になった胸板をさすると、神田は「成長できました。次は役者に専念したい…と思いつつ機会があればもう一度やりたいです」と汗を拭った。

 この試合は第3試合で、第6試合には、TAJIRI(48)が持つ、GAORA TV選手権の防衛戦が行われた。相手は因縁のスペル・クレイジー(44)。結果はロメロスペシャル崩れで両選手の肩がマットについてしまうハプニングで、和田京平レフェリーが同時に2人に3カウントを入れるという、ダブルフォールで引き分けとなった(12分46秒)。

 第16代王者TAJIRIが4度目の防衛に成功したわけだが、ここで思い出されるのが、昭和の全日本プロレスで起きてしまった2つのダブルフォール事件。その1つは、1982年6月8日の東京・蔵前国技館大会で、ジャンボ鶴田がリック・フレアーが持つ、NWA世界ヘビー級選手権に挑戦した時だ。鶴田がフレアーに、ジャーマンスープレックスホールドを決めた。

 ジャイアント馬場以来、日本人2人目のNWA世界王座奪取か思われたが、鶴田のブリッジが崩れて自身の肩もついてしまっており、ジョー樋口レフェリーが同時に2人の3カウントを数えたのだ。ダブルフォールによる引き分けで、フレアーの防衛となった。

 そしてもう一つは、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王者の大仁田厚が前王者のチャボ・ゲレロとのリターンマッチが行われた同年7月30日の川崎市体育館大会。同じように、ジャーマン崩れだった。ミスター林レフェリーが失神している間に、チャボが大仁田にジャーマンを決めた。

 サブレフェリーの和田京平が3カウントを数えた。だが、崩れたチャボの肩もついており、息を吹き返したミスター林がチャボに対しても3カウントを数え、ダブルフォール。チャボが強引にベルトを持ち帰ったが、王座はNWA預かりに。大仁田は泣きながら「もう1回やらせてください。チャボともう1回やらせてください。お願いします」とアピール。

 この因縁が、その後のチャボのトロフィー殴打大流血事件へとつながるのだった。いずれにしても、こんなダブルフォール劇は、新日本プロレスでは、起きなかった。全日本ならではの、ハプニング。その昭和の遺物が、平成の最後に起ころうとは…。石原軍団においしい所を持っていかれた後楽園大会だったが、ダブルフォールという全日本の伝統ある“お家芸”の面白さを感じさせられた大会でもあった。(酒井 隆之)

 
 

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