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2019年3月

2019年3月29日 (金)

「馬場さん追善興行」で流れなかった天龍と越中のテーマ…金曜8時のプロレスコラム

 以前、このコラムで「懐かしのスーパー・ファイターのテーマが国技館に響いた」として、「ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~」「アブドーラ・ザ・ブッチャー引退記念~さらば呪術師~」(2月19日・両国国技館)で流れたレスラーの入場テーマを紹介したところ、大反響を頂いた。

 当日流れた入場曲は、馬場さんが使用した日本テレビ「全日本プロレス中継」のオープニングテーマ「スポーツ行進曲」、そして晩期に使用した名曲「王者の魂」、ブッチャーの「吹けよ風、呼べよ嵐」、ミル・マスカラスの「スカイハイ」、ザ・ファンクスの「スピニング・トーホールド」、スタン・ハンセンの「サンライズ」、新日本プロレスからは、アントニオ猪木の「炎のファイター」、坂口征二の「燃えよ荒鷲」など、決定盤としてアルバムになってもいいほどの、昭和を思い起こさせる高貴な旋律が、国技館に響いた。

 「これを機に“プロレス入場テーマ総選挙”をネットで論争していただきたい」と書いたことで、様々なコメントを頂いたが、それらを集約するように浮かび上がったのが、昭和のアルバム「ウエスタン・ラリアット」(バップ、1982年)だった。

 「全日本プロレス夢の祭典プロレステーマ曲集」というサブタイトルで、収録曲は、「日本テレビスポーツテーマ」、「王者の魂」(ジャイアント馬場)、「ローリング・ドリーマー」(ジャンボ鶴田)、「サンダー・ストーム」(天龍源一郎)、「ギャラクシー・エキスプレス」(NWA世界ヘビー級チャンピオンのテーマ)、「スカイ・ハイ」(ミル・マスカラス)、「サンライズ」(スタン・ハンセン)、「スピニング・トー・ホールド」(ザ・ファンクス)、「ライディーン」(リッキー・スティムボート)、「移民の歌」(ブルーザー・ブロディ)、「チョーキング・ダウン」(夢の祭典のテーマ)…。

 冒頭では「こちらは超満員に膨れ上がりました格闘技の殿堂、東京・蔵前国技館です。さあこれより豪華な全日本プロレス夢の祭典、選手入場式がリング上で行われます」という日本テレビ・倉持隆夫アナウンサーの実況が入り、会場にいるような雰囲気が味わえた。

 ハンセンが新日本プロレスから全日本プロレスに引き抜かれ、大旋風を巻き起こしたことからアルバムのタイトルがハンセンの代名詞でもある必殺技「ウエスタン・ラリアット」(西部の投げ縄)になった。新日本プロレス時代はテレビ朝日の古舘伊知郎アナウンサーが「ウエスタン・ラリアート」と表現しており、昭和のプロレス少年は、アームタックルのことを「ラリアート」と信じ込んでいたが、アルバムのジャケットに「WESTERN LARIAT」とスペルを書かれれば「ラリアート」と読めようはずがなかった。そういう意味でも画期的なアルバムだった。

 「馬場さん追善興行」は、この名盤の要素を体現していたが、残念だったのは、天龍の「サンダー・ストーム」が流れなかったこと。2015年に引退した天龍源一郎氏(69)は、当初はこの大会の実行委員に名を連ねていたが、直前に退任。「各団体の協力も仰げ、無事に立ち上げの役目を終え、全日本プロレス出身の元プロレスラー天龍源一郎として陰ながら応援させて頂きたいと思います。ひと時ではありましたが実行委員として馬場さんのご恩に少しでも報いる事が出来、感謝しております」とのコメントを発表した。

 実行委員会と天龍プロジェクトの契約が成立しなかったということだが、天龍の「サンダー・ストーム」は1月30日に後楽園ホールで鳴り響いていた。越中詩郎(60)のデビュー40周年記念大会「侍祭り~平成最後の平成維震軍~」だった。この大会では、「馬場さん追善興行」で流れなかった“未収録曲”をフォローしていた。

 試合に出場した藤波辰爾(65)の「ドラゴン・スープレックス」、セレモニーに登場した長州力(67)の「パワー・ホール」は、新日本プロレスの歴史に欠かせない名曲だ。そしてクライマックスが天龍の「サンダー・ストーム」と越中の「SAMURAI」。

 花束を持ってセレモニーに登場した天龍は、腰が悪く歩行も困難だったが、長州に手を借りながらリングイン。「越中選手、40周年おめでとうございます」天龍の滑舌の悪い早口に場内は大爆笑。「お客さんは越中のヒップアタックを喜んでましたが、一言言わせてもらえれば、(バックステージの)寒い階段で45分も待たされて、お客さんは喜んでましたけど、もういいよ」と天龍は皮肉を込めたあいさつをかました後、笑顔で越中と握手した。

 この2人のテーマが「馬場さん追善興行」で流れなかったことに、昭和から平成にかけての“反骨のプロレス史”を感じずにはいられない。天龍は1976年に、越中は1978年に馬場さんの全日本プロレスに入門した直弟子だが、ともに“鎖国時代”の全日本から飛び出した。越中は85年に新日本プロレスに、天龍は90年にSWSに移籍。2人とも里帰りは果たしており、当時のわだかまりは霧消していることは承知の上で、不器用な昭和の漢(おとこ)の生き様を感じてしまうのだ。

 この全日本プロレス出身の2人が、シングルマッチで新日本プロレスのメインイベントを戦った1992年12月14日の大阪府立体育会館大会は、忘れられない。昭和プロレスが凝縮された平成の名勝負だった(20分47秒、パワーボムで天龍の勝利)。

 ところで、「馬場さん追善興行」と「越中40周年大会」のそのどちらにも鳴り響いたテーマ曲があった。それは、武藤敬司(56)の「HOLD OUT」だった。新日本プロレスのエースから全日本プロレスの社長にもなった男は、化身のグレート・ムタ以上の多面性で、平成のプロレス史を彩った。そこには、昭和の名曲とはまた違った響きがある。歌は世につれ、世は歌につれ-。間もなく新たな元号が発表されるが、プロレス・スーパー・ファイターのテーマは、いつの時代も心を奮い立たせるものであってほしい。(酒井 隆之)

2019年3月23日 (土)

東京ドーム開幕祭が開幕

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  いよいよプロ野球シーズンが開幕です。23日は東京ドームで巨人・ロッテのオープン戦が行われましたが、東京ドームシティGIANTS開幕祭が開幕しました。

 原監督のグータッチ像が4年ぶりに復活。今季の巨人のスローガン「和と動」(原監督・筆)がゲート前のスクリーンに映し出されると、ドームシティが厳粛な雰囲気に包まれました。

【巨人】東京ドーム開幕祭が開幕…原監督グータッチ像が4年ぶり復活  

【巨人】丸の丸型ホームランミートピザ…監督選手プロデュース弁当、グルメ全22種類発表

2019年3月22日 (金)

引退から1か月、飯塚高史が鬼になる直前に遭遇した時の話…金曜8時のプロレスコラム

 “クレイジー坊主”こと新日本プロレスのヒール、飯塚高史(52)が引退して1か月がたった。2月21日に東京・後楽園ホールで行われた「NEW JAPAN ROAD 飯塚高史引退記念試合」で、札止め1726人の観衆を前に無言でリングを去ってから何の音沙汰もない。

 スキンヘッドに長いひげ、181センチ、107キロのたたき上げの肉体。最後の6人タッグマッチでは、鈴木みのる、タイチと組んで、矢野通、天山広吉、オカダ・カズチカ組と対戦。天山から「飯塚! 目を覚ませ」と呼びかけられたが、かみついてヒール全開。最後は天山のムーンサルトプレスに散った(22分14秒、体固め)。

 天山と握手したものの、結局、またかみついて凶器の「アイアンフィンガー・フロム・ヘル」で地獄突き。タイチが「飯塚、本当に引退するのかよ。最後くらい自分の声でちゃんと答えろよ。コノヤロー」とマイクを促されたが応じず、応援に駆けつけたアイドルグループ「ももいろクローバーZ」をも無視して退場した。鈴木みのるが、無理やりテンカウントゴングを鳴らして終わらせた。

 試合後の囲みもなく、新日本プロレスでの一夜明け会見も開かれず。その後、入ってきた唯一の情報は、23日にCSテレ朝チャンネルの「ワールドプロレスリング 大特集」で「“怨念坊主”飯塚高史 大特集!」が放送されるということ。

 午後2時から3時間にわたって飯塚の過去の映像が流される。もちろん本人が振り返ったりはしない。番宣資料によると「1985年5月に新日本プロレスに入門。1986年11月にプロレスデビューをはたす。旧ソ連(現ロシア)へのサンボ留学など、長らく本隊の正統派選手として活躍していたが、2008年3月に天山広吉との友情タッグを裏切って、G.B.Hに加入。以降はルックスや試合も凶悪スタイルに変貌し、アイアンフィンガー・フロム・ヘルで幾多の戦士を窮地に陥れた。そんな新日本マットを代表する狂気あふれるヒールレスラーとして活躍した飯塚高史選手の引退を記念して過去の名試合を大特集!!」という紹介だ。

 予定されている対戦カードは、1989年に長州力からパートナーに抜擢されスーパー・ストロング・マシン、ジョージ高野組からIWGPタッグ王座を奪取した出世試合から、前述の引退試合まで11試合。2000年に佐々木健介に挑んだIWGPヘビー級選手権や、天山とのシングルマッチもある。

 引退から第2の人生が発表されていない謎の空白の時間だからこそ、アーカイブを神秘的に楽しめることだろう。ついでに、この空白の期間だからこそ、書いておきたいことがある。

 あれは2年前の両国国技館でのことだった。デスク勤務のため、取材を担当記者に委ねて興行の途中で中座。バックステージのトイレに立ち寄った。この日は使用されていない大広間前で、選手控え室からも遠いトイレだったが、入った時に上半身裸の男が手を洗っていた。「お疲れ様です」と言いながら足を小便器の方に進めてから、出番前の飯塚であることに気付いた。

 決して花道を使用せず、観客席の後方からサプライズで暴れながら入場する飯塚は、控え室(支度部屋)や花道とは反対の見えない所でスタンバイしておく必要があったのだ。こちらもイレギュラーな行動をしたから、普段なら入れるはずのない、出番前の控え室に侵入してしまった。「やばい」と思いながら用を足して、出て行くとき、鏡越しに目が合い、会釈に応じてくれた。

 “鬼”になる前でよかった。「ドレッシングルームは、レスラーが人間から鬼に変わる場所」と言ったのは作家の村松友視氏だったか。そして、試合後に人間にまた戻る場所でもあるのが控え室。鬼のままフェードアウトした飯塚は、“人生の支度部屋”で長風呂に入っているのだろうか。また、鬼になって出てきてほしいと思ってみたりもする。(酒井 隆之)

 ◆飯塚 高史(いいづか たかし) 1966年8月2日、北海道室蘭市生まれ。52歳。本名(旧リングネーム)は飯塚孝之。1985年5月、新日本プロレス入門。86年11月2日、野上彰(現・AKIRA)戦でデビュー。89年、馳浩とグルジアでサンボ修行し、異種格闘技戦に挑んだ。08年、天山広吉との「友情タッグ」を結成。同年4月に真壁刀義、矢野通組のIWGPタッグ王座に挑戦も試合中に天山を裏切り、ヒールに転向。以降は頭をスキンヘッドにし「クレイジー坊主」として無言を貫き、入場時には観客席を破壊する狂乱ぶりを披露。テレビ朝日の野上慎平アナウンサーを試合のたびに襲撃することでも話題を呼んだ。

 ◆CSテレ朝チャンネル「ワールドプロレスリング “怨念坊主”飯塚高史 大特集!」(3月23日午後2時~)放送予定カード

 ・マシン、高野vs長州、飯塚(1989年7月13日)

 ・飯塚、野上vs齋藤、青柳(1994年1月4日)

 ・橋本、平田vs山崎、飯塚(1996年6月12日)

 ・佐々木vs飯塚(2000年7月20日)

 ・真壁、矢野vs天山、飯塚(2008年4月27日)

 ・天山vs飯塚(2008年10月13日)

 ・天山vs飯塚(2011年1月4日)

 ・天山、小島vs矢野、飯塚(2012年5月3日)

 ・天山、小島、永田、桜庭vs矢野、飯塚、裕二郎、YOSHI(2014年3月6日)

 ・矢野、飯塚vs鈴木、ベンジャミン(2014年5月25日)

 ・引退試合 オカダ、天山、矢野vs飯塚、鈴木、タイチ(2019年2月21日)

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