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2019年4月12日 (金)

昭和の呪縛を解き、平成の夢をかなえたIWGPインMSG…金曜8時のプロレスコラム

 ◆新日本プロレス 米国マジソン・スクエア・ガーデン大会(6日、米マジソン・スクエア・ガーデン、観衆=1万6534人超満員札止め)

 新日本プロレスが、今月6日(日本時間7日)、世界で最も有名な格闘技の殿堂MSG(マジソン・スクエア・ガーデン)で米国の団体ROHとともに行った合同興行「G1スーパーカード」を開催し、超満員札止め1万6534人の大観衆を集めた。

 メインイベントのIWGPヘビー級選手権では、挑戦者のオカダ・カズチカ(31)が王者・ジェイ・ホワイト(26)を必殺のレインメーカーで撃破し、昨年6月以来、約10か月ぶりに王座奪回に成功した。

 これはIWGPが始まった1983年当時の新日本プロレス専務取締役営業本部長で“過激な仕掛け人”と呼ばれた新間寿氏(84)の考え方によれば、まさに理想のMSGでのIWGP“優勝決定戦”(タイトルマッチ)だった。当時の構想では、世界中で予選リーグを行い、それに勝ち上がってきた各国代表によって決勝リーグを戦い、その最終決着戦である優勝決定戦を、米ニューヨークの最高峰MSGで行うというのが、本来の青写真だった。

 結局は第1回優勝決定戦は1983年6月2日、東京・蔵前国技館で開催された。ご存じの通り、ハルク・ホーガンがアントニオ猪木を“舌出しKO”して、一般紙の社会ネタにもなったあの事件だ。なぜ、MSGではなく、蔵前になったかというと、全国の新日本プロレスのプロモーターが、総意として全日程を日本で開催してほしいという要望があったからだ。そのリクエスト通り、全国を巡業した全日程が満員になるというブームの絶頂だった。

 あれから36年、「G1スーパーカード」(メインイベント:IWGPヘビー級選手権)は、MSGで開催され、日本ではBSテレ朝チャンネルで生放送された。日本で特番を作ったわけではなく、米国で中継されたままの映像が字幕なし、同時通訳なしで日本に紹介された。そこで流れたCMとして、今年の「G1クライマックス」が、7月6日に米国アメリカン・エアラインズ・センターで開幕するというのがあった。「史上最もグレートなプロレストーナメント」としてのあおりVTRで、過去の新日本プロレスの名勝負が流された。

 1978年の第1回MSGシリーズ開幕戦(4月21日・蔵前国技館)でのアントニオ猪木VS坂口征二、1983年の第1回IWGP優勝戦(6月2日・蔵前国技館)でのハルク・ホーガンVSアントニオ猪木、そして1991年の第1回G1クライマックス優勝決定戦(8月11日・両国国技館)での蝶野正洋VS武藤敬司という象徴的な名勝負だった。

 G1クライマックスの名場面として、第1回G1優勝決定戦での“両国座布団乱舞”は予想できたが、これと同時に新間氏がプロデュースした蔵前での2試合が流れた時は、昭和のプロレスファンとして、感慨深いものがあった。あのIWGP構想がようやく、MSGで認められたような気がした。これまで新間氏は「IWGPはインターナショナル・レスリング・グランプリなんです。だから全世界から集まった強豪によるリアル・ワールド王者決定戦なんですよ。単なるタイトルマッチではありません」と当初の理念とは違っていることを強調していた。

 だが、今回は史上最多32人が参加した「ニュージャパンカップ2019」を日本で制したオカダがMSGでの”決勝”(タイトルマッチ)に進出したという図式だ。

 そんなことを考えていると、同日に米国最大のプロレス団体、WWEの最高峰となる祭典「レッスルマニア」前夜祭(米国時間6日、日本時間7日)の情報が入ってきた。ニューヨーク市ブルックリンのバークレイズ・センターでWWEの名誉殿堂「ホール・オブ・フェーム」の記念セレモニーが開催されたのだ。今年新たに殿堂入りしたD-ジェネレーションX、ホンキー・トンク・マン、トリー・ウィルソン、ハーレム・ヒート、ハート・ファウンデーションのブレット・ハート、ブルータス・ビーフケーキ、スー・エイチスン(ウォリアー賞)がこの記念セレモニーに登壇し、功績をたたえられた。

 レガシー部門ではブルーザー・ブロディ、ジム・バーネット、ルナ・バション、”プレイボーイ”バディ・ローズ、プリモ・カルネラ、プロフェッサー・トール・タナカ、スペシャル・デリバリー・ジョーンズ、ワフー・マクダニエル、ジョー・コーエンに加え、新間寿氏(84)が殿堂入りした。新間氏はWWEがWWFと呼ばれていた1980年代にWWF会長を務め、当時の王者、ハルク・ホーガンの日米での活躍に貢献した。

 日本人としては、2010年のアントニオ猪木、15年の藤波辰爾、17年の力道山、18年のヒロ・マツダに続いて5人目の殿堂入りとなったのだ。平成が終わろうとするまさにその渦中に、昭和に果たせなかったIWGPのMSG開催が実現し、その功績がWWEでたたえられたのだ。昭和から続く、あらゆる恩讐、因縁を一掃したIWGPインMSGだった。(酒井 隆之)

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