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2019年5月 1日 (水)

「報知」が伝えた大相撲 第25回

 ◆昭和61年7月21日付最終面

 スポーツ報知は、明治5(1872)年に「郵便報知新聞」として創刊しました。今年147周年を迎える報知の歴史的記事を元大相撲担当キャップの現メディア局デスクが掘り起こします。第25回は、亡くなった元双羽黒の北尾光司さんが、第60代横綱昇進を決めた昭和61(1986)年名古屋場所です。

 元双羽黒の北尾光司さんが慢性腎不全のため2月10日に55歳で死去していたことが3月29日になって遺族から明かされた。昭和61年名古屋場所後に、幕内優勝がないまま22歳で横綱に昇進したが、翌62年12月に師匠立浪親方(元関脇2代目羽黒山)とのトラブルで引退。在位8場所で優勝が1度もないまま廃業した不名誉な横綱として人々の記憶に刻まれている。
 だが、昇進当時の記事に光を当ててみると、望まれて昇進したことが分かる。昭和61年名古屋場千秋楽(7月20日)、綱取り大関の北尾は、1差で追う横綱千代の富士を上手投げで破り1敗で並んだ。優勝決定戦では寄り切られたものの、14勝の優勝同点。直前の夏場所も千代の富士との千秋楽相星決戦で敗れての13勝2敗。2場所連続で「優勝に準ずる成績」だった。
 当時の春日野理事長(元横綱栃錦)は「まだ子供だけれど素質はあり、将来性を買う」と横綱審議委員会への諮問を決定した。翌21日の横審で、高橋義孝委員長は「満場一致にはならなかった(6対1)が、私個人としてはまれに見る逸材だと思う」と推挙。「前途洋々の横綱です」と春日野理事長の大きな期待が昇進ムードをあおっていたことが読み取れる。
 この年に5場所優勝することになる千代の富士の“ウルフ1強”時代(1横綱5大関)に立ちはだかる“ヤング横綱”(懐かしい表現)は時代に求められていたのだ。23日の昇進伝達式では、立浪部屋が輩出した横綱の双葉山と羽黒山にあやかって、双羽黒という四股名が立浪親方から与えられた。
 この場所の本割で唯一、北尾に土をつけた同じ昭和38年生まれ“花のサンパチ組の関脇・保志(九重部屋)が、同時に大関に昇進し、北勝海と改名した。北勝海は翌62年夏場所後に横綱に昇進し、現在、八角理事長として日本相撲協会の看板を守っている。
 かつての盟友にも知らせないで、北尾さんは旅立った。横綱からスポーツ冒険家、プロレスラー、格闘家、ナイフ評論家、日本刀評論家…と誰にもまねできない奔放な生き方を貫いた。今や死語と化した“新人類”という当時の流行語を平成の最後まで全うした。【酒井 隆之】


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