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2022年1月 3日 (月)

「海をあげる」

 今年最初の読書は、昨年のYahoo!ニュース本屋大賞ノンフィクション本大賞の受賞作「海をあげる」(上間陽子著、筑摩書房)でした。

 著者は学者の立場で、未成年の少女や若年出産した女性たちの調査を続ける琉球大学教授。幼い娘と暮らす沖縄での生活を綴った本作は、ノンフィクションというよりも、珠玉のエッセイ集と呼んだほうが相応しい気がします。学者として調査し、溢れてこぼれた詩のような言葉をつないでいって作品群となったのでしょうか。

 普天間基地に隣接した地域で暮らし、あくまで生活者目線で見た理不尽な社会へ向けられた言葉。それは、サラサラとしているようで、実はズシリとしています。

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2021年12月27日 (月)

「考える脚」

 読みそびれていた荻田泰永さんの「考える脚 北極冒険家が考える、リスクとカネと歩くこと」(KADOKAWA)をやっと読み終えました。

 「北極点無補給単独徒歩」、「カナダ~グリーンランド単独行」、「南極点無補給単独徒歩」の3つの記録に荻田さんの冒険観を織り交ぜた密度の濃い1冊でした。

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 どんな対象であれ、命を賭けてのめり込めるものを見つけて、実際に行動している人には魅力を感じます。荻田さんにとっては、極地冒険こそが、のめり込む対象でした。大学生の時に思いつき、ゼロからスタート。バイトして自力で資金を稼ぐことから始めて積み上げた活動には、深く共感すると同時に敬意を感じました。

 冒険家や登山家にとっては「いかにして活動の軍資金を得るか」というのは究極的な課題ですが、荻田さんはその点において非常にフェアで健全な考え方を持っています。

 「自分自身こそが自らの人生の主人公である」という生き方は「随所作主 立処皆真」という禅語そのものですね。

 そして、幸せな人生とは「やるべきこと やりたいこと できること」の3つが一致した人生だという言葉は、最も響きました。それを見つけるのに遅すぎるということはないでしょう。

2021年12月26日 (日)

「おおあんごう」

 「親ガチャ」なる言葉が、2021年の新語・流行語大賞のひとつに選出されました。インターネット発祥の俗語らしく、生まれもった環境や能力によって人生が大きく左右されるという認識に立って「生まれてくる子供は親を選べない」ことを意味するそうです。

 この「親ガチャ」で「当たった」と思える人は、あまりいないそうです。自分の場合はどうだろうか。ひもじい思いもせず、大学まで出してもらえたのだから、まあ満足しないといけないんでしょうけど「当たり」とは思えない。振り返れば親への不満なんていくらでもあるものでしょう。

 お笑いコンビ「かが屋」の加賀翔による初小説「おおあんごう」(講談社)はまさに「親ガチャ考」とでもいうべき作品です。

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 恐らく自伝的な要素が多いのでしょう。岡山の田舎町を舞台とする家族の物語。岡山弁での会話は、のどかなのに、登場する「細いゴリラのような父」は、とんでもない人物です。上半身裸で外をうろつき回るかと思えば、酒に酔っていろんな人にからみ出す。こりゃあ離婚も当然でしょう。

 私も18歳の時に両親が離婚しましたが、これならば自分の親父のほうがちょっとはましなのではないかと思ってしまいました。

 でも、とんでもなく破天荒な親の元に生まれてしまったという「親ガチャ」は、果たして「はずれ」と言い切ってしまって良いのだろうか。品行方正なら「当たり」。いやいや、そんな単純なものではないでしょう。読後も「親がちゃ」を巡る禅問答にはまり込んだまま、抜け出せずに、年を越すことになりそうです。

2021年12月 4日 (土)

「ホームレス女子大生 川を下る inミシシッピ川」

 報知新聞社から傑作冒険ノンフィクションが出版されました。「ホームレス女子大生 川を下る inミシシッピ川」(佐藤ジョアナ玲子著)。

 20代の著者は、10代で母を亡くし、父との確執もあって単身で米国へ。大学で生物学を学び、苦学していた大学4年生の夏休み直前、アルバイト先が決まらずにアパートを追い出されてしまいます。

 米国でいきなり「ホームレス」になった佐藤さんの手元にあるのは以前、知人から譲り受けた「カヤック」と3000円で買った「テント」、そして10万円の現金のみでした…。そこで思いついたのは、突拍子もない発想でした。

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 「そうだ、家がないなら、テントに住めばいい!」。思いついたらすぐ行動。テントに住みながら、ミシシッピ川をメキシコ湾まで手持ちのカヤックで下ってみよう。そこで出会った現地の人々との交流や、珍奇な動物たちとの遭遇。その面白さは数ある冒険記の中でも一級品でしょう。

 貧しく、働いているわけでもないのに、手に入れた世界は途轍もなく豊か。そんなことがあるはずないと思う人には、是非この傑作を読んでみて欲しい。インチキ臭い探検・冒険記は日ごろから許せないと思っている私としても、絶対にお勧めできる一冊です。

2021年12月 3日 (金)

「水俣曼荼羅」

「ゆきゆきて、神軍」で知られるドキュメンタリー映画の巨匠、原一男監督の超大作「水俣曼荼羅」を渋谷のシアターイメージフォーラムで観てきました。
 6時間12分に及ぶ3部構成。水俣病の現在という深刻なテーマでありながらも観る者を全く飽きさせない原監督の力量には改めて驚異的なものを感じました。
 高度経済成長の代償とも言える四大公害病の一つ、水俣病。生まれながらにして不自由な体のまま育った胎児性の患者や小児性の患者たちの姿からは、今なおこの公害問題が終わっていないことが伝わってきます。
 原監督は国や県と裁判で争い、補償を求める当事者や医師、支援者らを20年にわたって撮影。その密度の濃い物語をまとめた6時間12分は、まさに「一瞬」に感じると言っても良いでしょう。
 絶対にお勧めしたい理由として、最も強調しておきたいのは「正義」を振りかざす教条主義的な映画とは対極にあるという点。苦しみながらも、明るく生きようとする当事者たちの表情、支援する人々の想い、糾弾され、押し黙るばかりの行政従事者…。あるがままの人間の業を目の当たりにするドキュメンタリーの醍醐味は、まさにここにあるでしょう。
 原監督が描いた「曼荼羅」は観終わった後も、生命力を持って頭の中で渦巻き続けています。

2021年11月28日 (日)

「家族不適応殺」

  2018年6月9日に起きた新幹線無差別殺傷事件の犯人を取材したルポ「家族不適応殺」(インベカヲリ☆著・角川書店)を読み終えました。
 「無期懲役の判決を得て、一生刑務所で暮らしたい」。この願望を叶えるため、当時22歳だった小島一朗は、東海道新幹線の車内で、男女3人をナタで襲撃。止めに入った男性1人を殺害し、女性2人に重軽傷を負わせました。
 そして法定において「希望どおり」の判決が言い渡された時には裁判長の制止を無視して大声で万歳三唱―。
 写真家でもある著者は、拘置所の小島と手紙のやり取りをし、複数に渡って面会。なぜこのような異常な人間になってしまったのかという疑念は、小島の家族への取材を繰り返す中で、少しずつ解けていきます。
 「刑務所に入りたい」「死刑になりたい」。これらの身勝手な願望を叶えるための犯行は、小島が起こした事件の後も繰り返され、今年も8月6日には小田急線内で、10月31日には京王線内で刺傷事件が起きています。何が暴発する彼らを生み出しているのか。まず、その背景を知ることは意義のあることだと思います。

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2021年11月13日 (土)

「狩りの思考法」

探検家・ノンフィクション作家、角幡唯介さんの最新刊「狩りの思考法」(アサヒグループホールディングス)を読み終えました。
 1年間のうち約半分を北極圏グリーンランドのイヌイット集落シオラパルクに「単身赴任」し、犬ぞりで移動しながら狩猟で食料を調達するという行動原理を、角幡さんは計画性のある探検ではなく「漂泊」と表現しています。
 本書は狩猟民イヌイットと同様に「漂泊」を行動原理とすることにより、体感した狩猟民の世界観、思考法を活字化したエッセイです。
 その象徴的な現地の言葉が「ナルホイヤ」。これは「未来はわからないのだから計画にとらわれず、目前の状況に集中しろ」という倫理観らしいのですが、日本語で最も近いニュアンスの言葉は、どうやら「知らんがな」といった半ば投げやりな感じになるようです。
 イヌイットのこの投げやりとも言える態度については、古典的な名作ルポとして知られる本多勝一の「カナダ・エスキモー」の中でも言及されています。約60年前に出版されたこのルポの中では、その根源的な理由までは書かれていないのですが、角幡さんは自らの狩猟体験を通じて、一つの答えを導き出しました。ここが肝となるところでしょう。
 言うまでもなく、人間は他の生命を奪って自らの食料としなければ、命を保てないわけですが、日常的にはそれを意識することはありません。それが農耕以前の狩猟という人間と自然との始原的な営みにまで立ち返ると体で実感することができる。逆に白熊や海象(セイウチ)からみれば、人間が「獲物」という立場に変わるわけです。明日は獲物をとっているかもしれないし、獲物になっているかもしれない。確かなことは「今」だけということです。
 読んで感じたのは禅の真髄と言われる「当処 即今 自己」と通底する価値観なのでないか、ということです。もちろんイヌイットに禅文化があるわけではないでしょうが、人間の営みを始原にまで辿っていくと同じところに帰一していくということなのかもしれません。
 角幡さんは野性の中に生きながらもハイデガーの「存在と時間」や井筒俊彦の「意識と本質」などの難解で抽象的な哲学書を読み込んでいる探検家です。これまで触れて来た哲学に「ナルホイヤ」の精神を照射してみたのではないでしょうか。本書の中では、そこまでは踏み込んでいませんが、気になるところです。
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2021年11月12日 (金)

「ニュースの未来」

 ノンフィクションライター、石戸諭さんの「ニュースの未来」(光文社新書)を読みました。インターネット時代に入って、新聞やテレビなどの伝統メディアは構造の転換を迫られていますが、かといって新興ネットメディアも十分な収益が上がるほど成功しているケースも多くはありません。
 
 「ニュース」に携わる人たちが自信を失いつつある現状を踏まえつつ、本来の「ニュース」の役割とその創造性、可能性について多角的に語った優れた論考だと思いました。
 
 著者は2006年に新聞記者になり、10年でネットメディアの「Buzzfeed Japan」に移籍。2年後にフリーのライターとして独立しています。新聞も、ネットメディアも「限界」を感じての判断ですが、いずれも惰性では身を置きたくなかったのでしょう。
 
 ニュースを語る上で、ノーベル賞作家のガルシア・マルケスを冒頭にもって来る展開は非常に独創的。著者が相当な量のジャーナリズム関連書籍やノンフィクションを読み込んで、自身のライターとしての価値観に落とし込んでいることが伝わる1冊でした。新たな気づきも多かったです。

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2021年10月25日 (月)

「コレクティブ 国家の嘘」

 渋谷のシアターイメージフォーラムで公開中のドキュメンタリー映画「コレクティブ 国家の噓」(アレクサンダー・ナナウ監督)を観てきました。ルーマニアの作品です。
 2015年に首都ブカレストのライブハウスで起きた大火災で27人が死亡。それだけでは収まらず、4か月後には入院先でさらに37人が亡くなる大参事となった。政府の保健相は「医療過誤ではない」と主張するが、使用された消毒液が10倍薄められていたことが判明。そこに切り込み、調査報道に乗り出すのは、なんとスポーツ新聞の記者でした。
 権力は利権があるところと癒着し、都合の悪い情報は隠蔽する。ルーマニアという比較的なじみの薄い国でのことなのに、まったく他人ごととは思えず、私たちが政治に対して感じている不信感をそのまま見出したようにも感じました。
 何より勇気づけられたのは、事実を明らかにしたルーマニアのスポーツ紙記者、トロンタン氏の業績が、市民から「スポーツ新聞史上最高の調査報道」と称賛されるところでした。
 遠い国にも、ジャーナリズム精神をもって奮闘している大衆メディアの記者がいるのです。
 

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2021年9月13日 (月)

「ミッドナイトトラベラー」

 渋谷のシアター・イメージフォーラムでドキュメンタリー映画「ミッドナイトトラベラー」(監督 ハッサン・ファジリ)を観てきました。
 2015年、タリバンから死刑宣告を受けた映像作家が、妻と2人の娘を連れてアフガニスタンから欧州まで5600キロの旅をした模様を3台のスマートフォンで撮影したという異色作。
 故郷を追われ、安住の地を求める難民という存在を私たちは知っていますが、その一人ひとりの背景はよく知らない。また受け入れ先を求める中で、どのような仕打ちを受けるのかということも、よく知らないでしょう。
 この作品はその冷徹な現実を何としても伝えようと、スマホで撮影した映像作家の執念と信念が込められているように思いました。改めて映像が伝える力の大きさを感じるとともに、私たちが所有しているスマホであっても、それが成し得るということに感じ入るものがありました。
 

Midnight_traveler

 

甲斐毅彦

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