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2022年3月27日 (日)

「砂まみれの名将 野村克也の1140日」

 新潮社の新刊「砂まみれの名将 野村克也の1140日」(加藤弘士著)を読みました。

 言わずと知れた球界きっての知将。愛妻の後を追うようにして霊山へと旅立ち、早くも2年が過ぎた。少年時代は貧困に育ち、卓越した運動能力を活かして「食っていくために」球界入り。現役時代は華やかな長嶋茂雄に対して自らを「月見草」と称した。引退後には指導者として、数々の一流選手を育てただけでなく、伸び悩む選手をも次々と再生していった―。

 活字をこよなく愛するこの人物の著書は膨大であり、功績はすでに多くの人に語り尽くされたようにも思う。だが「尽くされた」とは言い切れぬ空白の期間があったのではないか。

 本書は野村氏が社会人野球チーム、シダックスの監督を務めた2003年から2005年の3年間、番記者だった記者が当時を振り返り、果敢な追加取材を経て、語られていなかったノムさん像を浮かび上がらせたノンフィクション作品だ。

 阪神監督を限りなく解任に近いかたちで辞任に追いやられ、アマチュア野球の指導者に転じた名将。億単位の年俸を得ていた生活と決別し、砂ぼこりにまみれた球場で、自らの原点に立ち戻ることには、どんな意味があったのか。著者は自らの靴底をすり減らし、野村氏を追いかけた日々を振り返りながら、その問を解いていく。

 どれほどまで取材対象に惚れ込んでも、記者は広報とは異なる立場を守らなくてはいけない。不祥事があったならば、その事実は当然、しっかりと書かなくてはいけない。それだけではない。進退などに関わる他紙とのニュース合戦は、書かれる側にとっては迷惑千万としか言いようがないが、放棄すれば記者としての「死」を意味する。

 真剣に取材に打ち込んだが故に、関係者を激怒させるという事態に見舞われたことがない記者は、まずいないだろう。著者はその悲哀も余すところなく綴っている。

 優れた人物ノンフィクションは、書かれた本人も知らなかった人物像を描き出すものだ。決して美談ばかりに終始しない。書かれたくない話もあるだろう。だが、そこに自伝とは異なる意義がある。門外漢ながら一読者として思うのは、この本を天国の野村氏にも読んでみて欲しいということだ。どんな名言が飛び出すだろうか。

 本書の端正な文章には、野村氏への愛情と、その実像を読者に伝えたいという情熱がほとばしっている。そこに知られていなかった事実を盛り込んだ。掛け値なしの傑作というしかない。

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2022年3月23日 (水)

『「トランプ信者」潜入一年』

 ユニクロやamazonなどの労働現場に潜入し、その実態を明らかにして来たジャーナリスト、横田増生さんの最新刊『「トランプ信者」潜入一年』(小学館)を読み終えました。

 トランプとバイデンが争った2020年の米国大統領選。著者はトランプ陣営の共和党の選挙ボランティアスタッフとなり、「トランプ信者」たちの実像を地べたから取材しました。

 ジャーナリストであることがバレぬように、身分証明書としての運転免許証を現地で取得するという念の入れよう。トランプ赤帽をかぶって1000軒以上の戸別訪問をこなし、「議事堂襲撃」では、警官の催涙スプレーを浴びるという受難も。反トランプ派からは中指を立てられ、身の危険を感じてからは防弾チョッキやガスマスクを装着しての取材となりました。そして内側から見えてきたのは、副題の「私の目の前で民主主義が死んだ」という現実でした。

 事実確認(ファクトチェック)をすれば、荒唐無稽だと分かるはずの陰謀論を吹き回し、不都合な事実を「フェイク」と片付けてしまう「トランプ信者」たち。こうした類の人々いるのは、もちろん米国だけでなく、言うまでもなく私たちに身近なところにもいるでしょう。横田さんが取り組んだテーマは、民主主義の危機という世界的な問題の象徴だったのではないか、とも思えてきます。

 私は潜入取材といえばルポライター鎌田慧さんの「自動車絶望工場」を思い出します。今、この取材手法をとる日本の第一人者は横田さんでしょう。是非、英訳して米国の人々にも読んでみて欲しい渾身のルポです。

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2022年2月26日 (土)

「ソ連兵へ差し出された娘たち」

 昨年の開高健ノンフィクション賞受賞作「ソ連兵へ差し出された娘たち」(平井美帆著、集英社)を読み終えました。
 第2次世界大戦末期、ソ連が対日参戦し、満州への侵攻を開始すると、関東軍は居留民間人には何も知らせずに敗走。その後、取り残された民間人たちの苦難は小説などにもなり、よく知られていますが、本作品では、取り残された結婚前の女性たちが見舞われた凄惨な悲劇が、存命の当事者たちへの綿密な取材で明らかにされています。
 当時喧伝されたの国策に乗っかり、岐阜県から新天地・満州に移り住んだ黒川開拓団。敗戦後、日本への引揚船が出るまでは入植地での集団難民生活に入ります。現地民は襲撃を繰り返す暴徒と化し、本来ならば進駐して治安を守るべきソ連兵たちが取った行動は、略奪や「女漁り」でした。頭を悩ませた開拓団の幹部がとった手段は「人身御供」。それは読み進めるのも辛くなるほどの事実であると同時に、それを綴る著者の強い義憤が伝わって来ます。
 戦争で犠牲となるのが、弱い立場の女性や子どもたちであるということは、恐らく古今東西に共通することであり、戦時性暴力の本質でしょう。それは常に可視化されているとは限らない。
 時代も、場所も、状況も異なりますが、ロシアによるウクライナ侵攻が進んでいる今、目に見えない部分への犠牲に対して、せめて想像力を持っていたいものです。

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2022年2月22日 (火)

「世界でいちばん私がカワイイ」

 新聞という伝統メディアに身を置く者として、インターネットによって、その環境が劇的に変化させられていることは、今さら当たり前すぎることでしょう。中でもマスメディアには全く関わりのない個人が発信し、影響力を持ち得るようになったという点は、既存メディアの価値観を大きく揺さぶるものとなる力を持っています。

 特異なメイクのYouTuber、ブリアナ・ギガンテさんも、その発信力を備えた一人かもしれません。この度、新刊「世界でいちばん私がカワイイ」(幻冬舎)を出版されたので、読んでみました。

 ご自身の人生を踏まえた上でのエッセイなのですが、まず感じるのは、弱点を強みに転換するという発想は多くの人を勇気づけうるものであるということ。根が大変真面目で、しっかりした価値観をお持ちですね。そして気づいたのは、これは形を変えた現代の「法話集」であるということです。

 「指先まで神経が行き届いた人は自然と所作が美しくなる」という言葉には非常に禅的なものを感じますし、言葉を選ぶ大切さは「愛語」ですし、バランスを取ることの大切さは「中道」でしょう。各章ごとに禅語を当てはめてみたくなって来ます。

 「法話集」に譬えましたが、説教臭さや押しつけがましさとは、対極にあります。今の自分を肯定して、生きていいんだ、と気づかせてくれる好著でした。

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2022年2月12日 (土)

新宿区にJリーグクラブを

 新宿区にJリーグクラブが誕生する可能性が少しずつ高まって来ています。
 今季からアマチュアサッカーリーグの最高峰、JFLに昇格したクリアソン新宿が11日、新体制を発表。元ジュビロ磐田のMF上田康太選手ら新加入選手が紹介され、成山一郎監督が「J3昇格」と明確な目標を宣言しました。


 クリアソン新宿は「サッカーを通じて感動を創造する」という理念を持ったクラブを東京23区内に創りたいという思いで、代表の丸山和大さんが創設。2009年に東京都社会人リーグ4部に参入して以来、着実にカテゴリーを上げ、関東1部リーグだった昨年、刈谷FCとの入れ替え戦を制して、JFL昇格を決めました。


 代表の丸山さんは、私と同じ立教大学経済学部経営学科出身。それだけでも応援したくなりますが、掲げている理念は本当に共感できるものです。人口の1割が外国人だという新宿という街で、サッカーを通じて「多文化共生」を実現して行こうという取り組みは、様々な国の人が参加するフットサル大会「グローバルカップ」を開催するなど、具体的な行動を伴ったものでした。


 新宿発で理念を広めていくためには、もちろんこれからも勝っていくことが大事でしょう。JFLではいよいよ全国区での戦いが待っています。「インパクト(影響力)の最大化のためにはカテゴリーにはこだわりたい」」と丸山さん。お隣の中野区民としては、エリアを超えて応援していけるクラブに育つよう、祈っています。

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2022年1月30日 (日)

「沢村忠に真空を飛ばせた男」

  「講談社 本田靖春ノンフィクション賞」の受賞作「沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修評伝」(細田昌志著、新潮社)をやっと読み終えました。


 二段組み560ページの超大作。1月の読書時間はほぼこの1冊を読み切るのに費やしてしまいましたが、それだけの価値があるノンフィクションでした。


 「キックの鬼」の異名で1970年代に活躍したキックボクサー・沢村忠。必殺の真空飛び膝蹴りで、タイから来たムエタイの猛者をバッタバッタとなぎ倒し、国民を熱狂させた格闘家です。しかし、そのすべては本当に真剣勝負だったのだろうか。もし、そうでなかったとするならば、なぜだったのか。

 本書の主人公は、沢村ではなく、沢村や歌手の五木ひろしを生み出したプロモーターの野口修です。父で、戦前のボクサー、ライオン野口(野口進)にまで遡って、その生い立ちから辿っていく本書は、一部の芸能史も含む、戦後のプロ格闘技興行史なのですが、それを柱に、知られざる政界やフィクサー、裏社会の逸話が散りばめられており、全く飽きるところがありません。

 読み終えて、最も感じたことは、日本のプロ格闘技興行というのは、野口修という人物のパーソナリティーが今も色濃く反映されているのではないか、ということでした。

 格闘技ファンはもちろんですが、そうでない人にも是非お勧めしたい。放送作家である著者はこの一冊の取材・執筆に10年を費やしたそうですが、それだけの価値があるノンフィクションです。

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2022年1月29日 (土)

ドキュメンタリー映画「テレビで会えない芸人」

 政界などの痛烈な批判をコントに盛り込むお笑い芸人・松元ヒロさんを追ったドキュメンタリー映画「テレビで会えない芸人」(監督・四元良隆)の上映がポレポレ東中野で始まりました。プロデューサーは「ヤクザと憲法」「さよならテレビ」などの衝撃作を手掛けてきた阿武野勝彦氏です。

 チャップリンに憧れ、お笑いの道を歩み、かつては社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」の一員としてテレビ番組にも出演していたヒロさん。しかし、現在は活躍の場を舞台に移しています。ライブ会場はいつも満席。映画の中では、活気に満ちた会場でキレキレのコントを披露する姿も見ることができます。

 これだけ人を惹きつける力があるのに、なぜテレビから消えてしまったのか。それがこの作品の大きなテーマなわけですが、是非観た上で、その訳を感じ取ってみて頂きたいと思います。

 このネタってテレビでできるのか。できないのか。「それを考えながらテレビに出るのが嫌なんですよ」。ヒロさんのこの言葉が私の心には刺さりました。

 ヒロさんにはこれまで何度かお会いしていますが、人間的にも本当に素晴らしく、心から尊敬できる人物です。

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https://tv-aenai-geinin.jp/

2022年1月 3日 (月)

「海をあげる」

 今年最初の読書は、昨年のYahoo!ニュース本屋大賞ノンフィクション本大賞の受賞作「海をあげる」(上間陽子著、筑摩書房)でした。

 著者は学者の立場で、未成年の少女や若年出産した女性たちの調査を続ける琉球大学教授。幼い娘と暮らす沖縄での生活を綴った本作は、ノンフィクションというよりも、珠玉のエッセイ集と呼んだほうが相応しい気がします。学者として調査し、溢れてこぼれた詩のような言葉をつないでいって作品群となったのでしょうか。

 普天間基地に隣接した地域で暮らし、あくまで生活者目線で見た理不尽な社会へ向けられた言葉。それは、サラサラとしているようで、実はズシリとしています。

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2021年12月27日 (月)

「考える脚」

 読みそびれていた荻田泰永さんの「考える脚 北極冒険家が考える、リスクとカネと歩くこと」(KADOKAWA)をやっと読み終えました。

 「北極点無補給単独徒歩」、「カナダ~グリーンランド単独行」、「南極点無補給単独徒歩」の3つの記録に荻田さんの冒険観を織り交ぜた密度の濃い1冊でした。

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 どんな対象であれ、命を賭けてのめり込めるものを見つけて、実際に行動している人には魅力を感じます。荻田さんにとっては、極地冒険こそが、のめり込む対象でした。大学生の時に思いつき、ゼロからスタート。バイトして自力で資金を稼ぐことから始めて積み上げた活動には、深く共感すると同時に敬意を感じました。

 冒険家や登山家にとっては「いかにして活動の軍資金を得るか」というのは究極的な課題ですが、荻田さんはその点において非常にフェアで健全な考え方を持っています。

 「自分自身こそが自らの人生の主人公である」という生き方は「随所作主 立処皆真」という禅語そのものですね。

 そして、幸せな人生とは「やるべきこと やりたいこと できること」の3つが一致した人生だという言葉は、最も響きました。それを見つけるのに遅すぎるということはないでしょう。

2021年12月26日 (日)

「おおあんごう」

 「親ガチャ」なる言葉が、2021年の新語・流行語大賞のひとつに選出されました。インターネット発祥の俗語らしく、生まれもった環境や能力によって人生が大きく左右されるという認識に立って「生まれてくる子供は親を選べない」ことを意味するそうです。

 この「親ガチャ」で「当たった」と思える人は、あまりいないそうです。自分の場合はどうだろうか。ひもじい思いもせず、大学まで出してもらえたのだから、まあ満足しないといけないんでしょうけど「当たり」とは思えない。振り返れば親への不満なんていくらでもあるものでしょう。

 お笑いコンビ「かが屋」の加賀翔による初小説「おおあんごう」(講談社)はまさに「親ガチャ考」とでもいうべき作品です。

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 恐らく自伝的な要素が多いのでしょう。岡山の田舎町を舞台とする家族の物語。岡山弁での会話は、のどかなのに、登場する「細いゴリラのような父」は、とんでもない人物です。上半身裸で外をうろつき回るかと思えば、酒に酔っていろんな人にからみ出す。こりゃあ離婚も当然でしょう。

 私も18歳の時に両親が離婚しましたが、これならば自分の親父のほうがちょっとはましなのではないかと思ってしまいました。

 でも、とんでもなく破天荒な親の元に生まれてしまったという「親ガチャ」は、果たして「はずれ」と言い切ってしまって良いのだろうか。品行方正なら「当たり」。いやいや、そんな単純なものではないでしょう。読後も「親がちゃ」を巡る禅問答にはまり込んだまま、抜け出せずに、年を越すことになりそうです。

甲斐毅彦

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