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2009年12月 8日 (火)

足利事件

 1990年に栃木県足利市で起きた保育園児(当時4歳)誘拐・殺害事件の犯人として無期懲役が確定した後、DNA鑑定で型の不一致が判明して今年6月に釈放された菅家利和さん(63)のインタビューをさせていただきました。

 17年ぶりに外の世界に戻って初めて綴った手記「冤罪 ある日、私は犯人にされた」(朝日新聞出版・1260円)では、生い立ち、逮捕の経緯、刑務所での過酷な暮らしが克明に記されています。

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 ある日突然、犯人にされた―。冤罪という言葉すら知らなかった菅家さんをしょっ引いて犯人に仕立て上げたのは、警察、検事を始めとする司法権力。しかし、マスコミも「共犯者」だったという一面も否定はできません。菅家さんは、手記の中で笑えない話も振り返っています。

 逮捕後、ある新聞に「送迎バスの運転手として勤めていた保育園の子どもたちからは『変なおじさん』と呼ばれていた」という記事が載ったそうです。だが、その真相は、菅家さんが保育園児を喜ばせるために志村けんの物まねをしていただけだった、というのです。

 「子どもが好き」がいつのまにか「ロリコン趣味」にすり替えられ、精神鑑定を担当した犯罪心理学者の福島章氏(現・上智大名誉教授)からも「小児性愛者」と断定されてしまいます。しかし、逮捕当時、独身生活を送っていた借家からは133本のアダルトビデオが出てきたものの、ロリコンものは1本も出てきませんでした。菅家さんは苦笑いしながら振り返っていました。「どちらかといえば自分の好みはグラマーで大人っぽい女性でした。警察だってロリコンじゃないって分かっているはずなのに。再審には福島先生にも出てきてもらいたいですよ」

 手記に綴られている獄中生活は凄惨です。家族も、国選弁護人も無罪を信じてくれませんでした。気の弱い菅家さんは、雑居房の中で暴走族上がりの「先輩」のイジメに遭い、肋骨を2本へし折られてしまいます。無罪を確信する支援女性への書簡や、私選弁護人を買って出た佐藤博史弁護士が救出する場面は涙を誘います。

 6月の電撃釈放から半年。横浜市の佐藤弁護士宅の近くで一人暮らししていた菅家さんは12月に故郷・足利市に戻り、市営住宅での生活を始めました。来年4月には足利市役所で臨時職員として雇用される予定です。職種候補はすでにいくつか挙がっているそうで、公民館の巡回警備員などのほかに、スクールバスの運転手も案の一つ。ですが「運転手はもう、ちょっとねえ・・・。事故でも起こして子供が死んだりしたら『やっぱり菅家か!』って思われちゃうから」と苦笑いしていました。

 一度結婚歴はあるものの、女性と目を見て話すことも苦手なほど話し下手だったそうですが、理不尽な試練を経た今では週2、3回の講演をこなしています。問題は食生活。もともとお酒は飲まれないそうですが、最近では壁の中では食べられなかったカップラーメンとコーラが多いそうで、少し胃を悪くされているそうです。

 近い将来には「婚活」も視野にあるようです。「出てから3つくらい話はあって、足利の市長さんからも写真入りで紹介があったんですよ。でもまだ全然乗り気じゃなくて。年もそうだけど、裁判がまだ終わってないし」。再審公判で菅家さんは、刑事司法の欺瞞を徹底的に暴く覚悟でいます。完全に平穏な生活を取り戻す日は、まだ少し先になるようです。

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甲斐毅彦

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