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2010年3月13日 (土)

さらば急行「能登」

 13日のJRダイヤ改正で、寝台特急「北陸」と急行「能登」が廃止となりました。「北陸」に乗ったことはないけれど、大学時代山岳部で過ごした私にとっては「能登」は、最も思い出深い列車でした。

 大学山岳部の主戦場は四季を通じて北アルプスです。

約2週間ほどの合宿を終えて、富山の駅まで戻ってくると駅近くの銭湯で久々の風呂につかり、安い居酒屋チェーン店で打ち上げ。そして深夜「能登」に乗って帰京するというパターンが多かったです。

 「能登」は寝台車ではないので完全に体を横たえることはできません。椅子を最大限に倒して寝たり、混んでいるときはデッキに体を埋めて寝たりしていました。それでも厳冬期の合宿を終えた貧乏学生にとっては快適な列車だったと思います。

 終着の上野駅が近づくと、車内アナウンスの前にやさしいオルゴール音が鳴ります。このメロディーは僕らにとっては厳しい合宿の終わりを告げる癒しのメロディーでした。

 大学卒業後は、なかなか乗る機会がなかったけど、4年前に直江津へプロレス巡業の取材に行った帰りに15年ぶりくらいに利用しました。

 取材後、ひなびた居酒屋で1杯飲みながら、どこの宿に泊まろうかと考えている時にひらめきました。「そうだ!能登号があった!」

 0時過ぎに直江津駅から乗り込み、ほろ酔い状態で山岳部時代の懐かしい思い出に包まれながら上野駅へ向かいました。

 あれが最後になってしまった・・・。

 年を重ねるごとに、旅をするにも快適さを求めるようになりましたが、金がなくてもすべてが新鮮に感じられた学生時代のような旅がたまらなく懐かしくなることがあります。

 月並みな表現ですが、昭和の面影を残す旅情との惜別。

 撮り鉄の皆さんほどではないけど、私も寂しい思いにかられました。

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コメント

 テーミスの秤さん、いつもコメントありがとうございます。大垣行きの列車は「ムーンライトながら号」ですね。私は学生時代、青春18キップを買ってあの列車から乗り継いで下関まで行き、関釜フェリーで韓国に渡った思い出があります。フェリーが学割で6800円でしたから、東京から釜山まで片道9000円くらいでの貧乏旅行でした。旅情のある旅がしにくくなっていくのは本当に寂しいですよね。

 先輩コメントありがとうございます。能登に寝台車がついていたなんて初めて知りましたよ。完全に肉体、精神ともに軟弱化した今は夜行列車での山行も、ステーションビバークもする自信がありません。5月か6月ぐらいにでも久々に谷川岳に行こうと思っているのですが、ご一緒にいかがですか?

 この手の寝台特急がなくなっていくのは寂しいですね。JRの経営改革のひとつなのかもしれませんが、青春の象徴だったものが失われていくだけではなく、企業の公益的役割も失っているような気がします。
鉄道ファンが多く集まったのもわかる気がします。

 今でもあるのかどうか、わかりませんが大垣行きの深夜列車。私はあれが忘れられません。新幹線も航空機もある時代に多くの青年たちが大垣行きに乗っていました。皆、お金がなかったんでしょう。かつて、新幹線を作った十河国鉄総裁の後を受けた、石田礼助国鉄総裁が、大垣行きの夜行列車は廃止してはならん!といって存続させた有名なお話があるのですが、その後JRの時刻表を見ても運行されていないようなので、廃止されたんですかね?この大垣行きの列車に関しては歌謡曲もあったと記憶しています。

 私は移動の手段が車であることが多いのですが、山々を走るとかつての国鉄時代の貨物線や1時間に数本も走らなかった線の跡地が道路になっているところによく出くわします。また市街地でも路面電車の廃止された後が不自然な道になっているのにもよくあります。そういうところの集落はだんだん寂れていっています。ほとんど人跡未踏地のようなところもあります。
 
 でも、外国では環境問題のために、今になってインフラとして路面電車の線路を残しておいてよかったという例が多いです。技術的にもデイゼルエンジンに蓄電モーターを積んだハイブリッド市電車両がある時代です。地方の再生を声高に叫ぶわりには過去の政策がいかに先見性の乏しいものであったのかの反省が、日本の政治家にもお役人にも、そして鉄道関係者にもないように思います。

 寝台特急の廃止も営利追及という目的のためにはやむ得ないことなのかもしれませんが、目先の改革ごっこにおぼれて、本当にハードでもソフトでもインフラとして必要なものを忘れているような気がします。深夜の移動手段の選択肢がまたひとつなくなってしまうことに何か、われわれの社会の余裕のなさを感じざる得ません。

 寝台車が付いていたときもあったんですよ。私が学生の時同行の監督は寝台車でぐっすり眠り、学生は窮屈な椅子で浅い眠りについていました。「とやま~とやま~」と”と”を強く発音するアナウンスを聞き、「あ~着いちまった・・・」とこれから始まる苦しい登高に暗い気持ちになったものでした。駅を出た瞬間雪が降っていようものならさらに暗い気持ちになったものです。
 私の学生時代は経路の関係で上野21:00頃の出発だったので、急行アルプスよりはゆっくりできるのでその分少し好きでした。最近はどこへ行くにも高速バス、深夜バスが主流で少々寂しくもあります。帰りは決まって各駅停車、富山から各駅停車で帰った時は12時間ぐらいかかりましたが、良い旅の思い出です(今は即新幹線や特急、高速バスですが・・・)。
 山登りの思い出には、鉄道の思い出も多くありますね。ステビバが出来る駅も少なくなりつつあるようですし・・・。

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甲斐毅彦

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