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2011年3月24日 (木)

原発事故からの避難所(山形)

 福島の原発事故以降、避難者が殺到している山形総合スポーツセンターでは、20代の妊婦さんが、静かに寝息を立てていました。横で寄り添っていた32歳の会社員の夫は「いつ生まれてもおかしくない状態。とにかく嫁さんをここまで連れてくることが一番大事でした」と南相馬市から避難して来るまでの経緯を話してくれました。

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 南相馬市内で結婚式を挙げたのは、ほぼ1年前。式の真っ最中に震度5の地震が起きるハプニングがあったそうです。被害はなかったものの、晴れの場での忘れられない思い出となりました。夫は「あれから1年でこんな目に遭うとは…」と声を詰まらせました。

 事故現場から30キロ圏内の南相馬市から山形市までは約130キロ。自宅損壊は免れたが、水、電気は止まったまま。17日の避難指示を受け、ガソリンをかき集めて、義理の両親、祖父母とともにたどり着きました。

 現在、山形総合スポーツセンターには約1000人が避難。宮城県からの約30人を除くと、ほとんどが福島からの避難者です。想定していた定員をオーバーし、現在は山形県体育館も避難所として増設しています。今後も福島からの避難者は増える見通しです。

 背景には事故現場から40キロ以上離れており、行政の避難勧告が出ていない相馬市などからの避難者も増えてきたことがあります。19日深夜、相馬市から小学生の娘2人と親戚の幼児3人を連れて妻とともに避難して来た41歳の男性会社員に理由を聞いてみました。

 「相馬市内でも、放射能が検出された方がいます。人体に影響がない程度とは聞いたが、安心はできません。自分は構わないが、子供は守らないといけない」。海沿いにあった両親の家家は流されたものの、自宅は無事でした。しかし、家族を守るため、避難を決めました。

 総合スポーツセンターは、避難者への手厚い心遣いが感じられるところ避難所でした。食事は通常のものだけでなく、高齢者用と乳幼児用の離乳食も用意。小学生未満を対象としたキッズルームがあり、韓国語、中国語、英語、手話の通訳や医師、看護師、助産師が常駐していました。

 さらに紙おむつ、生理用品、使い捨てカイロ、マスク、石けん、タオルなどが必要なだけもらえるように段ボール箱に入れられており、ボランティアが集めた子供用衣類や古本も、提供されています。山形市の担当者の男性は「無事にお帰りになれるまで、少しでも通常に近い生活をしていただければ」と話していました。

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甲斐毅彦

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