あなたを忘れる魔法があれば
4月8日は80年代のアイドル歌手、岡田有希子さんの25周忌でした。
20代以下の方はご存じない方がほとんどだと思いますが、1984~86年に「ポスト聖子」と呼ばれていたアイドルです。あれから25年たった今も岡田さんを忘れることができないファンは少なくありません。私自身もその一人。彼女が所属していたサンミュージックは移転しましたが、事件現場となった四谷4丁目の大木戸ビル前には、献花を持ち寄り、黙祷を捧げる人たちが自然と集まってきます。
不惑を迎えた私は、さすがに最近はもう女性タレントにはほとんど関心がなくなりましたが、実は中学生の時に熱烈なファンだったのは、岡田有希子さんでした。
私が中学2年生だった1984年、デビューまもない彼女からよみうりランドでもらったサイン色紙が、今でも宝物として部屋に飾っています。レコード、アルバムはすべて持っていますし、当時の雑誌なども捨てられないまま残してあります。
25年前の4月8日。チェルノブイリ原発の爆発という大事件が起きる18日前でした。私の記憶では、確か高校の入学式の前日。自分の部屋で第一報を聞いたのは午後1時のNHKラジオニュースでした。「岡田有希子さんが飛び降り自殺をしました」。無機質で、淡々としたアナウンサーの声を聞いて受けた衝撃は一生忘れることはできないでしょう。現実感は全くありませんでしたが、テレビをつけたらワイドショーで大騒ぎ。全身が砂になるような感覚とでも言いましょうか。しばらく身動きもできませんでした。
我に帰ると、中野の自宅を飛び出し、自転車をこいで四ッ谷に向かいました。午後4時ごろ、現場につくとすでに多くのファンや報道関係者でごった返していました。泣き崩れてアスファルトに頬ずりする若者たち。私はその時は涙は出ませんでしたが、ヘタヘタと座り込み、日が暮れるまで佇んでいました。そして一人で自転車をこいで帰りながら涙がこぼれてきました。
当時のワイドショー、週刊誌はこの話題で持ちきり。そして、残念なことに若者の後追い自殺が相次ぎ、社会問題となってしまいました。
私の場合は後追いしようとまでは思わなかったけど、やはり喪失感は大きく、高校入学後もしばらく放心状態が続きました。
岡田さんには芸能界入りを反対する両親を説得するために「①学校のテストで学年1番になること、②中部統一試験で学内5番以内になること、③第一志望の愛知県立の高校に合格すること」の3つの条件をクリアしたというエピソードがありましたから。ひたすら努力で夢を叶えていくという女性でした。
そんな彼女がなぜ自ら命を絶たねばならなかったのか。真相はいまだに分かりませんし、これからも分かることはないでしょう。
四谷4丁目には、ここ数年60人から80人ぐらいのファンが集まっていましたが、今年は100人くらいに増えていました。私と同世代くらいのファンの方とも話したのですが、やはり人の命の尊さを考えさせられる大災害が起きたことも影響しているのかもしれません。
初めまして。折に触れ、久し振りにネットで岡田有希子さんを検索してこちらを拝見しました。
今ではもう30年前の出来事ですが、色眼鏡をかけない方達の想いは一緒なのだなあと感じ、懐かしく思い出します。
前々日にラジオ番組を終えて、これからどうするのだろうと思っていたら…
何故よりによってこうなってしまったのだ?と、あの日の梨元勝の実況で事実を知り、愕然としました。
前の年と同じく、よみうりランドEASTのチケットを買って楽しみにしていたのに。
自殺翌日の朝、心底嫌だけどこれが一番正確な情報を得られるかも知れない、と報知新聞を買いました。流石にカラーで写真が掲載された雑誌は見られませんでしたけれど。
ようやく買えたヴィーナス誕生をなんとも言えない気持ちで何回なのか本当に忘れるくらい聴きました。
私も、後追いしなくては…とまでは行かないけど、やはり複雑な心境が長く続きました。
大分経って、悲しい思いより楽しかった思い、となった頃彼女の音源がリリースされて、こう言う風にまた花のイマージュを聴ける事が出来る様になったんだな、あの事はもうそっとしまっておこう、として今に至ります。
語れるほどに大ファンだったのかと言えば、消極的なぼっちファンでしたから(苦笑)グッズはそんなに持っていませんでした。シングルとLPはちゃんとお小遣いから買えましたけど。レコードとCDの端境期だったので、どっちを買えばいいのか子供なりに迷ったりしていました。そんな事は…贈りものIIから、だった様な。
水着のグラビアは敢えて見ないようにしていたとか(笑)清純さが好きだった、でも色々と女の子の見方が変わりつつある中学生でした。
私にとってはいつまでも、五つ歳上のお姉さん、です。
でも今にしてみれば、ほんの18歳の女の子であった故に迷ってしまったのかと遠い存在を思い、悔しいようななんと言うか。何が出来た訳でもないのに。
本当に若くして亡くなってしまった彼女の事は、一生忘れないと思います。事情も思うところもあり、お墓参りには行けませんが、あの年に四谷のビルに献花して、そこですべて気持ちは切り替えられました。
私にとって最初で最後のアイドルとして、今年も小さくお祈りをしました。
ネットが普及した今、悪い意味でも良い形でもいつでも彼女の姿を見られる時代になりましたね。こちらのような、他のファンの方今の声を聞ける、見られるのは嬉しく思っています。
長々と失礼しました。ありがとうございました。
投稿: metallicv | 2016年4月20日 (水) 08:40
MIMIさん、事情分かりました。私のブログのコメント欄が見にくかったようですね。個人的にはMIMIさんのサイトが再開されることを望んでいますが、MIMIさんのお気持ちもよく分かるので複雑です。今後とも宜しくお願い致します。
投稿: 筆者 | 2011年5月 2日 (月) 22:33
宝物は永遠である。
投稿: ななし | 2011年4月15日 (金) 14:38
海治さん、ありがとうございます。「4月8日」に合わせて帰京したわけではありませんよ(笑)。もちろん、たまたま帰京できていたというだけです。
「あと10年ぐらいは思い切り惑っては」。素晴らしいお言葉です。私も負けずに成長に時間をかけていますので。あまり年齢にとらわれずに、あるがままに生きるほうが良いのかもしれませんね。
投稿: 筆者 | 2011年4月12日 (火) 00:31
めぐみさん、今年もコメントありがとうございました!
もうあれから1年たつんですね。早いものです。
僕は「ヴィーナス誕生」は高校1年生のときにドキドキしながら新宿の紀伊国屋書店のレコード売り場で買ったことを覚えています。亡くなったという実感がないまま、遺作となった作品を聴くのは非常に複雑で、不思議な気持ちになったものです。あれからもう25年なんて信じられませんね。
これからも宜しくお願い致します!
投稿: 筆者 | 2011年4月12日 (火) 00:27
匿名さま、ありがとうございます。
ありがたいことに、今でも佐屋のお寺はファンがお参りさせて頂くことができています。私が言うのはおかしい気もしますが、ご遺族やお寺のご迷惑にならなければ、大丈夫だと思いますので、手を合わせに行かれてみてはいかがでしょうか。
投稿: 筆者 | 2011年4月12日 (火) 00:24
MIMIさん、今年もコメントをお送りいただき、ありがとうございました!
MIMIさんのサイトのおかげで、今でもユッコちゃんが心の中で生きている、と実感できるファンの方がたくさんいらっしゃると思います。もちろん僕もその一人です。
来年は日曜日ですか。たくさん集まるでしょうね。いつかお目にかかれる日を楽しみにしております!
投稿: 筆者 | 2011年4月12日 (火) 00:21
188888様、ありがとうございます。おっしゃるとおり、最近は80年代アイドルの番組が多かったですね。
表現の仕方はすごく難しいと思いますが、ユッコちゃんの18年をドラマで描けないものかな、とたまに空想しています。でも最近のアイドルの中で適役が見つかるかが問題ですよね。
投稿: 筆者 | 2011年4月12日 (火) 00:18
甲斐さん
「これからも分かることはないでしょう」???
そうですか。東北から戻ってきた(に行ってきた)
想いの一つは、岡田有希子さんにあったんですね。
大いに闘いましょう。付き合います。
が、「不惑」は少し早いと思いますよ。寿命が伸びて
いるし、栄養状態も良いので、いよいよ、10年くらい
思いっきり惑ってはどうでしょうか?お手伝いします。
というより、これから一緒に惑いましょう。
(私は、一般の日本人よりもかなり成長に時間をかけて
いるので、今、甲斐さんと同い年くらいの感覚です)。
岡田有希子さんが、死して日本人の神さまになるよう
頑張りましょう!
海治 広太郎 拝
投稿: 海治 広太郎 | 2011年4月10日 (日) 21:59
甲斐さん、こんにちは。
去年、初めてコメントを書かせて頂きましたが、もう一年が経つんですね。
サインは一生の宝物ですね。
私は小学生だったので、少ないお小遣いではレコードも買えませんでした。
でも、当時、中学校に入学したばかりだったので、親戚からの入学祝い金で「ヴィーナス誕生」を買いました。
ドキドキしながら、レジにに持っていったのを覚えています。
甲斐さん、今年も有希子さんの事を書いてくれて、ありがとうございました!!
投稿: めぐみ | 2011年4月10日 (日) 16:24
岡田有希子さんが亡くなってはや四半世紀。三重県在住の私はいつか佐屋のお墓に参ろうと思っているのですが、なかなか決心がつきません。復活ファンの私が行っていいのだろうかという思い、お寺に迷惑をかけてしまうのではないかという思いからです。とはいえ、私に勇気があればやはり墓前で手を合わせたいです。
投稿: 匿名 | 2011年4月10日 (日) 14:46
甲斐さん、こんにちは。
今年もゆっこちゃんを取り上げて下さってありがとうございます。
そして、私のサイトの方にもにコメントをどうも有難うございました。
四谷に行かれたのですね。私は残念ながらお仕事で行く事が出来ず、翌日の夕方に行ってきました。
すでにお花は佐屋や成城に運んで下さった方がいらしたようで、一つもありませんでした。
100名も集まったのですね。
来年は日曜日に当たるので、きっともっとゆっこちゃんに会いに集まるかも知れませんね…。
投稿: MIMI | 2011年4月10日 (日) 13:58
甲斐さん 今年も記事を、ありがとうございます。
最近は、80年代アイドルの方が、よくテレビに出演されていたり、昨年は、ユッコちゃんの映像も、解禁され?数回、民放で、歌う姿を見る事ができたので、今年は、人数が多いのでは?と思っていましたが、やはりそうだったのですね~
100人位いらっしゃったのは、すごいことですよね。
出来ることなら、このような事が、毎年、静かに行なわれているという事実を、いろんなメディアに取り上げていただけると心の支えにもなるのでは?とも思いますし、25年も過ぎているので、ユッコちゃんのカリスマ性というか、閉ざされていた存在にスポットが当たるのではないでしょうか(^^)
桜の季節に、ユッコちゃんを偲ぶのは、切ないですが、なんだかんだ、集まって心を開放し合う日でもあれば良いですね。 この佳桜忌が(^^)
投稿: 188888 | 2011年4月 9日 (土) 04:08