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2011年12月28日 (水)

語り継がれる「津波てんでんこ」

 昭和三陸津波(1933年)の体験し、紙芝居を使って子どもたちに津波の恐ろしさを語り継いでいる岩手県宮古市田老出身の田畑ヨシさん(86)は3姉妹の二女。昭和の津波で生き残った3姉妹は78年後の3月11日でも無事でしたた。明治三陸津波(1896年)で生き残った祖父の遺訓は今も生き続けていたのです。

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 ヨシさんは3月日午前、薬をもらうために訪れた田老地区唯一の診療所で、黒田仁医師(43)に津波の怖さを話していたといました。独り暮らしの自宅に戻り、食事を済ませた後、地面が盛り上がるような揺れを感じました。

 「津波が来る」。預金通帳、印鑑、衣類、非常食などを入れた小さなリュックは用意済み。神棚から落下して散らばった祖父や夫の位牌をかき集めようとしていたところで高台に住む妹のキヌさん(81)が家に飛び込んできました。

 「何をしてるの。早く逃げねえと。津波が来るからさ」。キヌさんがヨシさんのリュックを奪って走り出した。ヨシさんはそれを追って逃げました。足が悪い姉のマンさん(91)はすでに家族と一緒に常運寺へ避難していました。

 高台にあるキヌさんの家には親戚20人以上が詰めかけ、黒田医師も避難して来ました。高台からは津波が、町をのみ込む様子が見えました。「昭和の時より怖かったと思いますね。(万里の長城と呼ばれる)防潮堤を乗り越えてきましたから」。深夜を襲った津波と違い、昼間だったのが唯一の救いでしたが、防潮堤を過信し逃げ遅れた人々が犠牲となりました。

 3姉妹が田老と離れなかったのは、明治の津波で一族で唯一の生き残りとなった祖父・留之助さんの「故郷を守れ」という遺志でした。そして幼い頃、囲炉裏に座って「津波が来たらてんでんこ(てんでんばらばら)。一人ででも赤沼山へ逃げろ」と口癖のように言っていた教えは昭和でも、平成でも守り抜きました。

 ヨシさんとマンさんの自宅は基礎部分だけを残してすべて流されてしまいました。リュックに入れることができなかった位牌は見つかっていません。ヨシさんは「心残りはあるけど命には代えられないから…」。一目散に逃げることが、祖父の教え。そして命は助かりました。

 ヨシさんは現在、青森市にある長男の家に避難中。5月から紙芝居の語り部を再開しました。「近所どうしの助け合いがあり、浜の恵みを感じられる田老。いつかはまた戻れればと思っています」

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甲斐毅彦

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