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2011年12月27日 (火)

被災地で復興試合を

  先日の東北出張で、宮城県南三陸町の佐藤仁町長をインタビューしました。佐藤町長は元甲子園球児。スポーツ報知の取材に対して、楽天と巨人によるファームの復興記念試合の開催を提案して頂きました。

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震災直後は住民の半分以上の約1万人が安否不明となった南三陸町。防災庁舎で陣頭指揮を執っていた佐藤町長も翌朝まで生死が確認できない一人でした。3階建ての庁舎は15メートルの津波に丸ごと巻き込まれて、町長は屋上の鉄製手すりに必死につかまり、しのぎました。

 「野球で鍛えた体力で? そういうもんじゃないですよ。ただ手を放したら死ぬというだけ。強力なパワーで叩きつけられるような感じ」。波が打ち寄せる度、息継ぎするのが精一杯でした。深夜は冷たい風と雪が吹き付けました。救出されたのは翌朝8時半ごろ。防災庁舎に詰めていた約50人中、生還できたのは町長含む10人だけでした。変わり果てた光景の中、海水漬けの防災服姿で一睡もしないまま公務に戻りました。

 防災庁舎は骨組だけが残りました。町長は当初、災害遺構として後世の教訓にする意向を示していたが、職員の遺族からは「つらい記憶を思い起こさせる」と解体を求める声が圧倒的に大きかったそうです。「地元でこれからも住んでいく方々の思いを尊重したい」と当初の構想を撤回しました。

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 町長として多くの町職員、町民の命を救えなかった責任を感じない日はないそうです。津波にさらわれた市街地は、いまだに廃墟のまま。復興への課題は山積しているが、高校球児として、野球で町民を元気づけたいという思いもあります。来春には、同町の平成の森しおかぜ球場で楽天ファームによる復興記念試合が計画されています。「是非(相手には)被災地支援として巨人に来て頂きたい」と提案しました。

 1991年、同球場の開場試合は巨人対大洋の2軍戦が行われ、約3万人が詰めかける盛況でした。つらい記憶を思い起こさせるモニュメントよりも白球で夢と希望を―。「宮城は楽天ファンが多いけど根っこは巨人ファン。ゴールデンカードになりますよ」と町長は目を輝かせていました。

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甲斐毅彦

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