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2012年11月 4日 (日)

8年後に繰り返された悲劇(いじめ問題)

 いじめ連載の第10回目です。

 中野富士見中事件から8年後の1994年、全く同じ構造の「いじめ自殺」は愛知県西尾市で繰り返されました。

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大河内君が同級生に溺れさせられた矢作川の現場付近には現在、遊泳禁止の看板が立っていました。

 「このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ。ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃ意味ないじゃないか」。鹿川君が遺書にしたためた遺志は、叶えられず「生きジゴク」は繰り返された。8年後の1994年11月27日、愛知県西尾市で市立東部中2年の大河内清輝君(当時歳)が、自宅裏の柿の木にロープをかけ、首を吊って自殺した。

 中野富士見中事件を再現するようないじめ自殺だった。主犯格2人組が大河内君をいじめ始めたのは、小学校高学年の頃から。中学に入るとカバンを隠されたり、自転車を壊されたり、「パシリ」に使われ、女子トイレに押し込められたり・・・。中2の7月には東部中近くの矢作川に突き落とされて、おぼれさせられ、決定的な恐怖心を植え付けられた。

 鹿川君のケースとの大きな違いは、さらに大金を脅し取られていた点だ。ゲームセンターなどで遊ぶために「3万円」「4万円」「6万円」と大河内君は要求され、言われるがままにお金を自宅から盗み出し、いじめグループの中心メンバーに手渡していた。その総額は110万円以上。両親が別居し、アパート暮らしだった鹿川君の事件のときには「家庭の事情」を理由とする世論が多かったが、貧しかろうと、裕福であろうといじめの有無とは、一切関係がないことの表れだった。

 大河内君が亡くなったのは、鹿川君の事件が高裁で決着し、学校の責任が初めて認定されたわずか半年後のことだった。鹿川君の父・雅弘さん息子の死が教訓とならなかった悔しさで「何のための8年間だったのか・・・」と涙ながらに嘆き、大河内家へ弔問に訪れ、息子を亡くした悲しみを分かち合っている。

 大河内君の死からさらに17年後の2011年10月、大津市で「生きジゴク」はまたも繰り返された。大河内君の父、祥晴さんは今年の9月日、文科省のいじめ対策に助言する「いじめ問題アドバイザー」に弁護士やNPO関係者らとともに委嘱された。文科省が9月に公表した総合的ないじめ対策について、具体策を検討する際にアドバイスし、各自治体に設置する学校支援チームにも要請があれば、加わって助言する。

 祥晴さんは、息子の死後、全国の小中学校などで「いじめ防止」のための講演活動を開始。いじめに悩み、克服した全国の子ども数百人と交流があり、手紙のやり取りで成長を見守っている。感謝のあまり、山口県からアポなしで訪ねてくる子どももいたという。祥晴さんは「子どもたちと接する時間は息子を亡くした辛さを忘れさせてもらえる時間です」と話す。

 文科省は、いじめ自殺が社会問題化する度に「いじめ」の定義を変え、アンケート調査を実施するなど以前に比べれば、様々な取り組みを試みるようになった。それでも、祥晴さんは違和感を感じている。

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甲斐毅彦

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