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2014年8月12日 (火)

日航機墜落事故から29年

 29年前の今日は日航機123便が墜落し、乗客乗員520人が亡くなった日です。当時、私は中学3年生。塾から戻り、午後7時から「歌のトップテン」を観ながら大変な事故が起きたことを知りました。

Img_0974

 

 事故調査委員会による調査は20年以上前に終わっていますが、いまだに事故原因は釈然としない点が残っており、いまだに再調査を求める声があります。


 少なくとも事故直後に墜落地点は特定できていたにも関わらず、翌朝まで救助を控えたことや、飛行機が炎上している最中に役人たちは東京で事後対策会議をしていたというのは事実です。

 知人が亡くなったわけではありませんが、昨年夏、私も初めて御巣鷹の尾根に登り、慰霊碑に手を合わせて来ました。とても山深いところです。現場で救助と遺体の収容作業に携われた方々の苦労も想像を超えるものだったと痛感しました。

 あれから29年。私たちは韓国など諸外国の交通の安全性を批判しがちですが、民間航空機史上最大の事故を起こしたのがこの国であるということを忘れてはいけないと思います。

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コメント

甲斐様

ふた月前にコメントしっ放しで消えてしまい失礼致しました。
ご紹介の「疑惑」(角田四郎)、読みました。なんと。そんな議論、疑惑のあったことをぜんぜん知らずに今日まで生きておりました。知らないことを安易にコメントするもんじゃありませんね。その点もたいへん失礼致しました。
併せて吉岡忍氏の本や落合証言全文も読みましたが、なるほど素人の私でも公式発表の事故原因が子供だましに思えてきました。発端の原因が角田氏の推理通りかはともかく、海上では漁船がときどき被害に会ってますし、当たっているのかもと思います。

8月にはそのバックグラウンドなしに甲斐さんの文章を拝見して、「翌朝まで救助を控えた」点に力点を置いたご批判と読んでしまった次第です(まあその点も地元消防団の方々は夜中でも行く気だった、と角田氏の本にありましたが)。

というわけで申し訳ありませんでしましたけれども、聞くは一時の恥ではないですがおかげ様で眼を開いて頂きましたので、素通りして知らないままでいたより書き込んで良かったかなと思います。どうもありがとうございました。

こういうことは他にもきっとたくさんあるんでしょうね。私だけでなく、世の中の人の数×隠しごとの数 だけ。

墜落時の夜9時10分には早くも朝日新聞のヘリが現場で撮影し13日の朝刊にその写真が載ってますね。さすが朝日!!!

トーリス・ガリ様

コメントありがとうございました。私の事実の認識の違いがあると思いますので、少しご説明いたします。

墜落位置の特定を翌朝5時というのは政府の公式発表ですが
、実状は異なるはずです。後年、横田基地から飛び立った米軍ヘリが19時すぎには墜落現場を確認していたという証言が出ています。これは「ヘリが近づいてきて手を振った」という生存者の落合由美さんの証言と一致しています。米軍ヘリに乗っていた米兵は、救助開始是非を日本政府に問い合わせたところ「こちらでやるので」と断られたと証言しています。

また墜落現場となった上野村の消防団も夜明け前に多くの目撃情報から場所はほぼ特定していました。消防団員が現場へ向かおうとしたところ防衛庁からストップをかけられたという証言があります。この辺の事情は「疑惑 JAL123便墜落事故」(角田四郎、早稲田出版)に出ています。

掲載ありがとうございます、とごめんなさい一点訂正です。
「議員の人」と書きましたが別人でした。自衛隊出身の方で現在は民間人の「軍事評論家」さんだそうです。ただしこの件に関してはこの方に理があると思われることは別人でも変わらず、です。皆様どうも申し訳ありません。お恥ずかしい。お詫びして訂正させていただきます。

こんにちは。初訪問で揚げ足をとるわけではないのですが、甲斐さんの書かれた
「少なくとも事故直後に墜落地点は特定できていたにも関わらず、翌朝まで救助を控えた」
点は、どれほど批判されるべきなのかがちょっと疑問に感じました。墜落は夜間なことだけ私も記憶(甲斐さんよりちょっと上の年齢)していましたが、今回Wikiで確認しましたら
・墜落は19時少し前→すぐ真っ暗
・墜落位置の情報が錯綜、
・自衛隊ヘリは2時間以内くらいに現場到着してはいたらしいが(その情報が地上で正しく共有されず、錯綜が続いた?)、
お書きになったとおり「とても山深いところ」で道路もなく当然電気も引かれていない山中で、真っ暗な中、どれだけの活動が可能だったか。救助隊はどうやってアクセスすればよく、どのように照明と足場を確保して、二次的な災害を防ぎつつ、どれだけの救助活動が可能だったのか、に疑問を感じました。
Wikiにも、またその他さがしたら自衛隊出身の議員の人もブログでその辺の事情は書かれてますね(この議員はムダに挑発的で私は個人的に嫌いなので、肩を持ちたくて紹介する訳ではないです念のため。しかしこの件に関する限りはもっともな部分が多いと思います)。
ちょっと気になりましたのでつまらんことを書きましてすみません。
私も毎年夏にはこの事故を思い出すほうで、亡くなった方のご冥福、それぞれが耐えられた直前の恐怖と勇気、奇跡的に生存された方があったことの不幸中の幸い、いろいろ考えます。そこは(何も行動せずすみませんが気持ちだけでも)甲斐さんと同様に思いを致しております。

 先輩、ご無沙汰しています。コメントありがとうございました。上野村でお仕事をされたことがあるとは。私も昨年慰霊碑に行ってきました。
 「報道のヘリが多くてレスキューのヘリが近づけなかった」。事実かどうか分かりませんが、そもそも墜落直後に場所の特定ができたはずなのに救助開始が翌朝というのは明らかにおかしいと思います。
 励ましのお言葉ありがとうございます。頑張ります。

ご無沙汰¡
 御巣鷹山といえば、周辺に東電の送電線があり、前の仕事でその送電線の鉄塔敷の緑化作業に泊りがけでよく行っていました。上野村の旅館に泊まって作業していましたが、この時期になると元請(今はなき尾瀬ヶ原を管理する尾瀬林業ですが…)さんが、慰霊祭に参加しており、作業が中止になっていました。泊まっていた旅館のおばちゃんも「あの時はすごかった…」としみじみ言っていましたね。
 これを書いているちょうど今TVでこの事故の特集をしていて、気になることを言っていました。「報道のヘリが多くて、レスキューのヘリが近づけなかった…」と。なんかちょっとおかしいですよね…。大きな事故、事件がある度に言われる、報道の在り方…。難しいですが、貴兄には大いに期待してます。がんばってね。

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甲斐毅彦

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