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2018年3月 8日 (木)

「三陸海岸大津波」

  「3.11」からまもなく7年。津波による被災現場での取材をするにあたって、私にとっての津波の基本書「三陸海岸大津波」(吉村昭)を読み返しました。

 宮城、岩手、青森の3県にわたる三陸海岸が大津波に曝されたのは、今回が初めてではありません。明治以降では明治29年(1896年)、昭和8年(1933年)、昭和35年(1960年)と3度に渡って、多くの人命が奪われる悲劇に見舞われています。

 これまでの津波の被害を体験者の証言や文献で、再現したこの記録文学は、是非一読をお勧めしたいと思います。

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  吉村昭氏の作品は、大学4年のときに、多くの犠牲者を出しながらも国策として工事が貫徹された黒部ダムのトンネル工事を描いた作品「高熱隧道」(新潮文庫)を読んで以来、ファンになりました。最近では「桜田門外の変」が映画化されています。

 緻密な調査で史実を掘り起こすのが、吉村氏の作品の特徴だと思いますが、三陸津波による悲劇を記したこの作品は今こそ読むべきではないでしょうか。

 これを読めば、大変悲しいことですが、津波による悲劇は繰り返されていることがよく分かると思います。2万6360人が亡くなった明治三陸津波は、105年前の出来事であるにも関わらず、人間が津波に翻弄される様子は同じです。自然災害は常に想定外。いかに文明が発達したところで、人間は自然に打ち勝つことはできないのではないか、と考えさせられます。

 今回の大津波で、甚大な被害が出た宮古市の田老地区は明治、昭和の大津波でも最大の被害者が出た区域。昭和津波の様子は、当時の子供たちが書いた作文と生存者の証言でリアルに再現されています。

 「万里の長城」の異名で呼ばれていた宮古市の防潮堤は、これまでの凄惨な災害を経て数十年の歳月をかけて作られたものです。世界最大規模とも言われていました。

 田老町を訪れた吉村氏は防潮堤についてこう記しています。「堤は高く、弧をえがいて海岸を長々とふちどっている。町の家並は防潮堤の内部に保護されて、海面から完全に遮断されている、町民の努力の結果なのだろうが、それは壮大な景観であった」

 その一方でこうも記しています。「しかし、自然は、人間の想像を越えた姿を見せる」」「そのような大津波が押し寄せれば、海水は高さ10メートルほどの防潮堤を越すことは間違いない」「しかし、その場合でも、頑丈な防潮堤は津波の力を損耗させることはたしかだ。それだけでも、被害はかなり軽減されるにちがいない」

 そして、3月11日の大津波。町民の努力の結晶たる巨大防潮堤は、打ち砕かれました。私も4月10日に現地へ行ってまいりましたが、二重構造になっている堤防の海側は水圧で粉砕されてしまいました。

 吉村氏が予想していたとおり、確かに防潮堤は、津波の力を損耗はさせたでしょう。それでもこの田老地区だけで230人以上の死者が出ました。吉村氏は故人ですが、この惨状をもしご覧になったらどう思われたでしょうか。

 大津波が再び、三陸海岸を襲うことは間違いはないでしょう。これまでよりも高く、頑丈な潮堤を造ったとしても、自然の力に勝てることはないでしょう。これは三陸で暮らしている方々の方が、私などよりも身にしみて分かっていらっしゃることです。

 田老地区で家屋を流され、避難所生活をしている60代の女性に聞きました。それでも、風光明媚で海の幸に恵まれたこの土地から離れたくない、とおっしゃっていました

 「命が助かったんだもの。贅沢は言えない。今度は少し高台に住めばいい。津波とはうまく付き合っていけばいい

 津波はいつか来るもの。宿命を受け止めて、この地に住み続ける。それが三陸の人々の姿であり、生き方なのでしょう。私は復興後も、新天地を求めることなく、この土地での暮らしを続けることを選ぶ方が多いような気がします

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甲斐毅彦

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