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2018年5月 3日 (木)

「新・冒険論」

 大学の山岳部や探検部に所属した者にとって長年、未踏峰や未踏の地を目指す行動原理の指針となって来たのは、元朝日新聞記者のジャーナリスト・本多勝一氏が書いた「『創造的登山』とは何か」(「山を考える」に所収)や「冒険と日本人」でした。


 1990年代前半に大学山岳部に所属していた私もそうでした。「人の行かないところへ行きたい」という単純ながらも消しがたい願望がなぜわき出てくるのか。そして日本社会ではなぜその行動が叩かれるのか。本多氏のこれらの著書は、これらの疑問に明快な答えを出してくれるもので、読んだ時の感動は30年近くたった今でも忘れられません。

 しかし、本多氏の著作はいまやだいぶ「年代物」になってしまっています。「『創造的登山』とは何か」が書かれたのは63年前の1955年、「冒険と日本人」に収められた文章もほとんどは40年ほど前に書かれたものです。
 山岳部や探検部で過ごした者の多くは、本多氏の冒険論を頭の中を引きずりながらも、結局は大したことができずに壮年期を迎えてしまう…。私もその一人です。

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 早大探検部出身の探検家・ノンフィクション作家の角幡唯介氏の新刊「新・冒険論」(集英社インターナショナル、799円)は、本多氏の冒険論を数十年ぶりに更新した画期的な本です。


 なぜこれほどまでに長い間、更新されなかったのか。それは語りうる人物が、本当の意味での冒険を実践している人物でなくてはいけないのが、まず一点ではないでしょうか。もう一点は、自身の冒険行動の本質を突き詰めようと思考する人物でなくてはならないからだと思います。


 角幡氏は、チベットの未踏部ツァンポー峡谷を単独で踏破し、ヒマラヤで雪男を探索し、北極探検隊全滅の真相を追い、そして極夜の北極を探検し、ノンフィクション作品にして来た人物。言うまでもなく冒険論を語る2つの条件を満たしています。


 現代において地理上の空白地帯を見つけること自体がもはや困難です。角幡氏は現代の探検を脱システム(社会や時代のシステムから脱する行為)だと定義づけています。2016年から17年にかけて行った北極の極夜探検は、まさにその実践に他ならないでしょう。


 角幡氏は、マニュアル化されたエベレスト登山やアドベンチャーレース、「最年少での北極点到達」といった行為を角幡氏は「疑似冒険」と喝破する。それは本書で語られている冒険と照らし合わせれば、納得ができるはずです。
 そして読み終えた後は、人生の中で一つでいいから「脱システム」を成し遂げてみたいという衝動に駆られることでしょう。

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甲斐毅彦

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