岡田有希子さんの事件から30年
今日は私が中学生のときに大ファンだった歌手、岡田有希子さんの30周忌でした。佳桜忌と呼ばれる4月8日は、サンミュージックがあった四谷四丁目の現場にファンが自然に集まります。私も献花させて頂いてきました。 毎年この日になると私は15歳の時の「ユッコちゃんのぶんまで精一杯生きる」と決意したことを思い出すことにしていますが、やはりこの場に来て当時を偲ばせる数々の写真を眺めるとどうしても涙がこみ上げて来てしまいます。
30年前の高校入学式の前日でした。中野区の自宅で第一報を聞いたのは午後1時のNHKラジオニュース。「岡田有希子さんが飛び降り自殺をしました」。無機質で、淡々としたアナウンサーの声を聞いて受けた衝撃は一生忘れることはできないでしょう。現実感は全くありませんでしたが、テレビをつけたらワイドショーで大騒ぎ。全身が砂になるような感覚とでも言いましょうか。しばらく身動きもできませんでした。
我に帰ると、中野の自宅を飛び出し、自転車をこいで四ッ谷に向かいました。午後4時ごろ、現場につくとすでに多くのファンや報道関係者でごった返していました。泣き崩れてアスファルトに頬ずりする若者たち。私はその時は涙は出ませんでしたが、ヘタヘタと座り込み、日が暮れるまで佇んでいました。そして一人で自転車をこいで帰りながら涙がこぼれてきました。
当時のワイドショー、週刊誌はこの話題で持ちきり。そして、残念なことに若者の後追い自殺が相次ぎ、社会問題となってしまいました。 私の場合は後追いしようとまでは思わなかったけど、やはり喪失感は大きく、高校入学後もしばらく放心状態が続きました。
ユッコちゃんには芸能界入りを反対する両親を説得するために「①学校のテストで学年1番になること、②中部統一試験で学内5番以内になること、③第一志望の愛知県立の高校に合格すること」の3つの条件をクリアしたというエピソードがありました。ひたむきな努力で夢を叶えていくという女性でした。
最近はもう女性タレントにはほとんど関心がなくなりましたが、中学生の時に熱烈なファンだったユッコちゃんだけは忘れることができません。 私が中学2年生だった1984年、デビューまもない彼女からよみうりランドでもらったサイン色紙が、今でも宝物として部屋に飾っています。レコード、アルバムはすべて持っていますし、当時の雑誌なども捨てられないまま残してあります。
あの日からもう30年が経ってしまいました。
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