JR耐震補強工事のため、閉店が決まった東京のJR有楽町駅前の時間営業の立ち食いそば店「名代 後楽そば 有楽町店」が27日、最終営業日(28日午前7時で閉店)を迎えました。夕方には20人前後の行列ができ、お持ち帰り用にも別の列が出来ています。ほとんどの人が注文したのは看板メニューの「焼きそば」(380円)。都心でいつでも食べられる屋台風の味が人気でした。
私も食べ納めということで焼きそばにコロッケと載せていただきました。お客さんは口々に「どこかで営業を再開して欲しい」と話しながら焼きそばを記念撮影していました。店長の服部さんには、とてもゆっくりお話をうかがえる状況ではありませんでしたが、焼きそばを焼きながら「お客さんが皆やさしい。長年ありがとうございました」としみじみ話していました。40年間お疲れ様でした。昭和の灯火がまた一つ消えていきます。
長年、サラリーマンたちに愛されてきた、東京のJR有楽町駅前の時間営業の立ち食いそば店「名代 後楽そば 有楽町店」が、JR耐震補強工事などのため立ち退きとなり、27日で閉店します。立ち食いそば店では珍しい「焼きそば」(380円)が人気メニュー。愛用してきたファンからは「営業を続けて欲しい」などと惜しむ声が相次いでいます。
店長の服部敏昭さん(57)によれば、有楽町駅の銀座口側に「後楽そば」ができたのは約40年前。服部さんは18歳だった1976年から新宿店(閉店)で働き始め、田町店(閉店)などを経て、80年代前半に有楽町店に来ました。当時の店舗は現在の日比谷口と反対側の銀座口。「有楽町マリオンが出来た頃(1984年)のにぎわいが思い出です。いつもお客さんが入りきらない状態でした」
バブル期に深夜帰りのサラリーマンや客待ちのタクシー運転手たちに愛された後楽そばが時間営業になったのは必然でした。バブルがはじけた年代以降も「焼きそばが食べられる立ち食いそば店」の人気は衰えませんでした。
銀座口の店舗は区画整理のため、2003年に一時閉店。年3月に現在の高架下に移り、再オープンしました。だが、2020年東京五輪パラリンピックの招致が決まった2013年頃に耐震補強工事を行うことが決定。服部さんは「空き店舗が見つかれば再開するかもしれませんが、今のところは未定です」と話しています。本社の後楽本舗が経営する店は現在渋谷と新橋にあり、服部さんはどちらかに移ることになりそうです。
後楽そばは著名人でもファンは多かったのですが、有楽町のニッポン放送でレギュラー番組を持つ経済アナリストの森永卓郎さん(58)は後楽そばの常連客の一人。閉店を知ると「えっ なくなるんですか。ライザップでダイエットを始めて炭水化物を絶ったため、しばらく行っていなかったんですが…」と絶句。
森永さんは「私はいつも焼きそばにいなり寿司のセット(520円)。自由に取れるそば・うどん用のネギを焼きそばとスープの上にてんこ盛りにしても、お店の人はいつも見て見ぬふりをしてくれました。なくなってしまうのなら最後にもう一回行かないとなあ」と嘆いていました。
高野秀行さんの最新ノンフィクション「謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>」を読んで、早速アジア納豆が食べたくなり、高田馬場のミャンマー・シャン続料理店「ノング インレイ」へ。早くも本の効果があってか? 納豆もち米せんべいが品切れだったのは残念ですが、シャン続料理を堪能しました。
まずは定番のモヒンガー。レモングラス入りの魚スープヌードル。麺は素麺で柔らかく、スープはマイルド。
続いて羽アリの素揚げ。虫は竹虫(蚕)、コオロギもありました。羽アリはミャンマー直輸入。雨季になるとたくさん発生するらしく、店の男性は「入荷したばかり」と言っていました。運ばれたときにムァッとした臭いがするし、見た目はやはり厳しいですが、口に放り込んでしまえば独特の味わいがあるスナック菓子やつまみのようなもの。ビールのつまみにもピッタリです。
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