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2019年5月16日 (木)

「世にも美しき数学者たちの日常」

 幻冬舎の新刊「世にも美しき数学者たちの日常」(二宮敦人著)を読みました。世の中の役に立っているのかどうかさえ、我々門外漢には良く分からない数学を日々研究している人たちは、どれだけ「変わり者」なのでしょうか。16万部のベストセラーになった「最後の秘境 東京藝大」(新潮社)の著者、二宮敦人さんによる「誰でも行けるけど、誰もよく知らない秘境」の探検第2弾です。

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 上野動物園の横にある東京藝大の「秘境」ぶりにも驚かされましたが、数学者たちの日常も、私たちの想像が及ばない世界でした。「問題を解くことではなく、作ることが大事」「数学は芸術に近いかもしれない」と主張する学者さんや、数学教師とお笑い芸人の二刀流、タカタ先生など、とっても不思議な人物が続々と登場します。

 読んで分かったのは、中学や高校の時に無理やり答えを解かされていた「数学」は本当の数学ではないということ。もう一つは、数学は主観の入り込む余地がない学問だというのが誤りだったということです。言語でもあり、芸術でもあり、エンタメでもある数学が「客観的」であるはずがありません。また、数学者にして仏教信者だった岡潔(故人)について言及されている点も興味深かったです。

 著者の二宮さんは「東京藝大」を出版された時に、私が秋葉原でインタビューさせて頂いたのですが、一橋大経済学出身の文系インテリなのに、理系的なセンスがある方だな、という印象を持ちました。「高校時代の愛読書は何ですか?」とお尋ねしたところ「うーん、ブルーバックスとかですかね」と、講談社が出版している自然科学の新書シリーズを挙げられたのをよく覚えています。そういえばフィクションの著書には「最後の医者」シリーズというのも出されています。  

 本書の中で登場する編集者の袖山さんは、エッセイストの宮田珠己さんの傑作「晴れた日は巨大仏を見に」の中でも登場し、いじられ役として作品を引き立てた名編集者。数学という知的迷宮においても、その役割が果たせるのですから、もう脱帽です。

2019年5月 8日 (水)

「スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄」

 ノンフィクションライター、澤宮優さんの文庫本新刊「スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄」(集英社文庫)を読みました。


 江夏豊、掛布雅之、野茂英雄、福留孝介…。野球に興味がない人でも、名前は知っている名選手たちを発掘し、次々に獲得して世に送り出した伝説的スカウトの評伝。一人のスカウトを追う視点で描かれた、遠くなりゆく「昭和球界史」と言える一冊です。

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  日中戦争の最中の1939年に明大に進学し、卒業後は陸軍に入隊して、乗っていた船が東シナ海で潜水艦により撃沈された経験を持つ河西は、南海ホークスや大阪タイガースで外野手として活躍。盗塁王になるなどの実績がありましたが、本領を発揮したのは、指導者を経てスカウトに転進した引退後でした。


 食いついたら離れないことから「スッポンの河さん」と呼ばれたが、「仏の河さん」とも呼ばれた。本書では、スッポンにして仏でもあった河西の人間性が選手たちとのエピソードを交えてつづられています。感銘を受けたのは、昭和という時代にあって、河西が自分の息子ほどの若い選手たちに対する態度が「上から目線」ではなく、常に対等に接していたという点です。スカウト歴40年で入団させた選手は約300人に及ぶといいます。


 昔のスカウトと言えば、強引なイメージも付きまといますが、河西が大切にしたのは「誠意」だったと言います。駆け引きが付きものの世界で「誠意」を貫くのは容易なことではなく、人柄があってこそなし得たことなのかもしれません。


 河西がスカウトだった時代に比べれば、インターネットなどでの情報化が進み、名選手情報を均一化して来ています。河西のように目が効くスカウトが、隠れた逸材を発掘して来るというケースは減ってきているようです。そんな背景を踏まえつつ、本書の最終章ではスカウトの現況に触れ、金足農から日本ハムに入った吉田輝星や大阪桐蔭から中日に進んだ根尾昂を河西だったらどう見るか、という視点で結ばれています。

 AIの時代に突入して、どんなに情報化が進んでも、最終的に「人を見抜く目」というのは人間の目に他ならない。一人のプロ野球スカウトの人生を通じてここで描かれたことは、人間が生きる社会の中で、普遍的なテーマだと言えるのではないでしょうか。

2019年4月29日 (月)

「無目的な思索の応答」

   芥川賞作家・又吉直樹さんとライター・武田砂鉄さんが「東京新聞」紙上で交わした往復書簡の単行本「無目的な思索の応答」(朝日出版社)を読みました。

 「無目的」だからこそ、自在に泳いでいってしまう思索のキャッチボール。これを成り立たせることができたのはこのお二人だからでしょう。「無目的」とは何と自由なことか。

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  又吉さんが本の中で例として挙げているように「流しそうめん」は流す必要がないのに、わざわざ流すという無駄な行為があるから楽しいのです。

 考えてみれば、自分が山に登ったり、知らない土地に行ってみたりしたことも「無目的」ですが、だからこそ自由であり、豊かな時間が過ごせたと思います。

 自分の日々の行いは「有目的」なことに縛られすぎてはいないだろうか。そんなことに気づかせていただけたのですから「無目的」は間違いなく意味のあることなのです。

2019年2月21日 (木)

「オリンピックVS便乗商法」

  2020年の東京五輪を前に是非ともお勧めしたい一冊をご紹介します。「オリンピックVS便乗商法 まやかしの知的財産に忖度する社会への警鐘」(友利昴著、作品社」。何よりも本の装丁が挑発的です。

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  日本代表選手の活躍を祝う懸垂幕を掲げてはいけない。選手が所属する学校や企業が、選手を応援するパブリックビューイングをやってはいけない。知的財産権を理由に、そんなルールがあるらしいと広まりましたが、これって本当なのでしょうか。

 本書では五輪に関する合法的な広告宣伝や応援行為についてIOCなどが「便乗商法(アンブッシュマーケティング」とのレッテルを貼ってクレームの対象として規制している状況を豊富な具体例を挙げて概観。そして彼らはなぜ規制しようとするのか。本当にそのクレームには法的な根拠があるのかを精査し、そもそもグレーゾーンなんてものはないはずなのに「触れぬ神にたたりなし」といった便乗や応援への自粛モードを作り出す手口を見事なまでに暴き出しています。

 そして圧巻は1964年東京五輪の時の利用規制に対して、当時の日本人がどのように対峙(たいじ)したかを徹底考察した最終章です。規制をくぐり抜けて、意地でも便乗してやろうという涙ぐましくも、噴き出してしまうような数々の知恵。55年前よりも現在のほうが、社会は成熟していると思いがちですが、読むと真逆なのではないかと思わされます。著者も「道理を重視し分別を大切にする姿勢は、50年以上前の日本の方が勝っているような気がしてならない」と論じていますが、全く同感です。

 大切なのは、作り出された忖度ムードに流されてはいけないということ。応援や便乗の禁止を求める声には、法的な正当性があるのかないのかを正しく知ることが大切だと思います。そうでなければ何のために知的財産法という法が存在するのか、分からなくなってしまいます。

2019年1月 5日 (土)

「タコの心身問題」

 昨年12月16日付の読売新聞書評欄で紹介されていた「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」(ピーター・ゴドフリー=スミス、みすず書房」をやっと入手して読み終えました。

 生物哲学を専門とする著者がタコの知性の謎に迫った奇書。脊椎動物である人間はチンパンジーやらゴリラとは近い関係にありますが、タコのような頭足類とは生物進化の早い段階で別れました。そして、そのタコの世界とは人間とは全く別世界。人間の思考は当然、頭脳一極集中であるのに対して、神経系は足に集中している。吸盤一つひとつに、味覚と触覚をつかさどるニューロンが約1万個あるのだそうです。つまり人間の知性が「中央集権型」であるのに対して、タコは「地方分権型」と言えるようなのです。

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  それでいて、タコの知能は驚くほど高く、水槽に入れられた状態でも、学習すると電球にわざと水をかけてショートさせることができるようになり、水中の中ではスキューバーダイビングで潜ってきた人間に関心を示すと、人の手を引いて案内のような行為をすることもあるのだそうです。

 

 読めば誰もがきっと、タコになったらどんな気持ちなのだろう、という疑問を持つでしょう。私も本気で一度タコになってみたいと思ってしまいました。 

 タコたちは「オクトポリス」と呼ばれる集落を形成し、そこにはサメなどの捕食者から守るための「門番」も置かれているとのこと。長い年月をかければタコの社会は、進化していく可能性があるそうで興味は尽きません。

 くだらないことですが、翻訳本では「オクトポリス」を「タコノポリス」と訳して欲しかったです。

2018年12月24日 (月)

「私説 集英社放浪記」

 新刊「私説 集英社放浪記」(鈴木耕著、河出書房新社)を読了しました。筆者の鈴木さんは集英社の編集現場に36年間在籍した名エディター。10回以上の部署異動を経験されたとのことで、「月刊明星」を振り出しに「月刊PLAYBOY」「週刊プレイボーイ」」、文庫編集、「イミダス」編集、新書創刊と多岐に渡っての活躍されてきた足跡をたどる回顧録です。

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  取材仲間をはじめとする関わってきた人物のほとんどが実名で記されているおおらかさに味わい深く、興味深く、一気に読んでしまいました。

 芸能人インタビューから原発やオウム事件といった社会問題までジャンルを問わず取材するスタンスは、スポーツ紙記者も同じです。鈴木さんからは取材対象が何であれ、譲れない一線を保ち、取材対象者や取材仲間とぶつかり合うことも辞さなかった気概を感じさせられました。そして編集とは殿戦、つまり逃げながら戦うこと、という結論に考えさせられました。

 メディアの一媒体が攻め続けるというのには無理がある。かといって逃げてばかりではいけないわけで、逃げながらでも戦おうよ、というメッセージと受け止めました。

 紙媒体の古き良き時代、として振り返るだけではなく、今後も紙媒体を守っていこうという情熱を思い出させてくれる好著でした。

2018年12月19日 (水)

「ドラガイ」

 ノンフィクション作家・田崎健太さんの新刊「ドラガイ」(カンゼン)を読みました。プロ野球はスタートの時点で序列が決められる厳しい世界。しかし、ドラフト外での入団から頭角を現し、人々の記憶に残る活躍を見せた選手もいます。作品では石井琢朗、石毛博史、亀山努、大野豊、団野村、松沼博久、松沼雅之の7人の野球人生をインタビューを交えて追っています。

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 「プロになるのが夢なのか、プロになってから活躍するのが夢なのか。その差は大きい」と言い切る石井。「野球の技術にしたって、人間ができていなかったら上にはいけない」と心技体の「心」が大事だと説く石毛。「出会いとか巡り合わせで人間はできていく」と振り返る大野。成功の鍵となったものとして語られるものが、それぞれ違うところが面白いのですが、人並み以上の努力が大前提にあったというのは言うまでもないことでしょう。

 プロ野球に限らず、競争原理が働く組織の中にいる人にとって共感し、励まされる本だと思います。様々な分野で活躍している「ドラガイ」」への応援歌です。

2018年11月 9日 (金)

本屋大賞ノンフィクション部門賞に「極夜行」

今年新設された「本屋大賞 ノンフィクション部門大賞」は、探検家・ノンフィクション作家、角幡唯介さんの「極夜行」(文芸春秋)が受賞。出版不況で、しかもお金と時間がかかって、どう考えても採算が合わないはずのノンフィクション作品を応援しようという企画ができたこと自体が喜ばしいことですが、第1回の受賞作がまさに大賞に相応しい作品だったことを心から喜びたいと思います。

 
 「極夜行」は、太陽が昇らない北極で4か月間、一匹の犬と行動した角幡さんの体験ノンフィクション。視界が効かぬ中で、あえてGPSを持たず、一頭の犬を相棒に連れてひたすら歩き続けた中で、見えてきたものが何だったのか。圧倒的な構成力と文章力で引き込んでいきます。

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 この本を読んだのは、2月に平昌五輪を取材して帰ってからだったのですが、平昌を「極限の寒さ」などとリポートして来た来た自分が無性に恥ずかしくなってしまいました。

 開会式の前に寒波が直撃し、平昌は氷点下15度前後でしたが、本当の極地では、これはだいぶ暖かい状態らしい。角幡さんによれば、身体に異常をきたす恐れを感じる寒さは氷点下30度を下回った時だという。しかも、容赦のないブリザードが吹き荒れているとなると体感温度は想像を絶する。いくら平昌の風が強いといったところで、比較にならないでしょう。

 「空白の五マイル」「アグルーカの行方」などで数々のノンフィクション賞を受賞して来た角幡さんの著書は、記者時代に書いた「川の吐息、海のため息―ルポ黒部川ダム排砂」(桂書房)を含めて全部読ませて頂いています。自らの体を張った体験を活字で表現して行くスタイルは一貫していて、聞き書きルポの「漂流」(新潮社)でさえも、自らも漁船に乗り込んで取材対象の追体験しています。

 2016年夏、角幡さんが自らの探検論などをまとめた「旅人の表現術」(集英社)を刊行した時に、著者インタビューをさせて頂きました。現代では残された地球上の未知の地帯が、ほぼなくなっている中で「探検家」であり続けることについて、こう語っていました。

 「グーグルアースを見れば、僕が行ったツアンポー峡谷(「空白の五マイル」の舞台)の滝の位置も分かってしまう時代。地理的な空白には、もうあまり関心がないんです。行ったら面白いとは思いますが、新しくて時代を切り開くものにはならない気がするんですよ。現代の探検というのは、地理上の空白ではなく、社会や時代のシステムの外側を目指す行為。自分で『新しい地図』を見つけ出すことだと思います」

 受賞作の「極夜行」は、まさにその実践に他なりません。太陽が地平線の下に沈み、長い漆黒の夜が延々と続く冬の北極。すでに多くの探検家が足跡を残した地ではありますが、そこにはまさに角幡さんが見つけ出した「新しい地図」があったのです。

 行為者(探検家)として真似ができないことをしているのはもちろんのこと、それを表現者(ノンフィクション作家)として読ませる力も卓越しているのが、角幡さんの真骨頂です。しょうもないと思えるような話までも織り込んで、さらけ出してしまう奔放さも角幡さんの持ち味で、これがまた臨場感とリアリティーを強める要素になっています。極地にいても安倍政権を皮肉ることを忘れないところがまた何とも言えません。今後もノンフィクション史に残っていく金字塔的作品です。

2018年8月14日 (火)

「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」

  敬愛するノンフィクション作家の高野秀行さんが絶賛していた「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」(奥野克巳著、亜紀書房)を精読しました。

 著者は立教大学異文化コミュニケーション学部教授の文化人類学者。ボルネオ島の狩猟採集民「プナン」との11年に及ぶフィールドワークをまとめた知的好奇心を駆り立てる濃厚な一冊です。

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  私たちは社会で生きる中で「感謝」と「反省」の気持ちを持って、それを明日に生かしていくのが、あるべき姿だと思っているわけですが、貸したモノを壊したまま返して何も言わない「プナン」には、そもそも「感謝」や「反省」といった概念がない。それでも民族のコミュニティーは持続しているのです。

 

 おかしいのは私たちなのか、「プナン」なのか。全く違った価値観で暮らしている民族について調べていくと、そもそもなんで私たちは「感謝」や「反省」をするようになったのかという根本的な疑問に行き着きます。

 卑近な例を挙げれば企業不祥事やら著名人の不倫について開かされる「謝罪会見」は、当事者に向けてのものではありません。当事者ではない「世間」に対して反省の意を示す必要が本当にあるのだろうか。そんなことを考えてしまいました。

 本書はノンフィクションとしても面白いのですが、「近代」を否定したポストモダンの先駆者とも言えるニーチェの言葉をプナンの価値観に照射しているのが最大の特徴です。アカデミズムをもって、世界観を揺さぶるすごい本です。

 私も立教大生時代にこういう先生の授業を聴きたかったです。

2018年6月10日 (日)

「日本の気配」

 フリーライター、武田砂鉄さんの最新刊「日本の気配」(晶文社)を読みました。ヘイト、安倍首相、稲田朋美氏、小池百合子都知事、ショーンK、新国立競技場など幅広い時事ネタを類例のない文体でつづった類型化が難しい本。

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 3年前に武田さんがデビュー作「紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす」を出版したときに著者インタビューしましたが、皮肉に満ちた世の中への着眼点が面白く、注目していましたが、最新刊も1冊目に劣らぬ面白さでした。

 的確に簡潔に本の内容を伝えるのは困難なので、読んでいただくしかないのですが、読後は「あとがき」に書かれている以下の言葉に深く共感しました。

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 「ムカつくものにムカつくと言うのを忘れたくない。個人が物申せば社会の輪郭はボヤけない。個人が帳尻を合わせようとすれば、力のある人たちに社会を握られる。今、力のある人たちに、自由気ままに社会を握らせすぎだと思う。」

甲斐毅彦

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