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2019年9月16日 (月)

「戦国廃城紀行」

ノンフィクション作家・澤宮優さんの「戦国廃城紀行 敗者の城を探る」(河出文庫)を読みました。

 城巡りですが、大坂城、姫路城、熊本城といった天守閣を見物できる名城はまったく登場しません。徳川家康の敵となった石田三成の佐和山城、織田信長を討った反逆者たる明智光秀の坂本城、秀吉に仕えた加藤清正が勝者から敗者に転じたことを物語る鷹ノ原城…。登場する12の城は戦国時代に疎い私には、すべて初耳のものでした。

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  しかし、それも無理はないでしょう。これらの城址は歴史上の「負け組」が遺していったもの。私たちがこれまで学んできた歴史は、勝者の歴史であり、ここで綴られている敗者たちの物語は、めくるめく知られざる世界なのです。

 かつて、戦死した巨人軍捕手、吉原正喜の生涯を描いた「巨人軍最強の捕手」(晶文社)でミズノスポーツライター賞を受賞した澤宮さんの主分野は、野球をはじめとするスポーツです。廃城というテーマは、あまりにもかけ離れているようにも感じますが、時空を超えて貫いているのは「光が当たらない者への眼差し」でしょう。

 「負け組への応援歌」をモットーとしている澤宮さんがスポーツノンフィクションで描く対象はヒーローやエースといった第一線のアスリートよりも、脚光を浴びたとは言えない選手の方が多い。「負け組」に視点を置いてこそ、初めて見えてくる世界を描くのが、澤宮さんの真骨頂でしょう。

 大学時代に考古学を専攻されたことを考えれば、歴史上の「負け組」に視点を向けることにも合点がいきます。

 若者は就職難、高齢者は貯蓄がなければ生きられない社会になり、自殺者は増加の一方。弱者にとって優しいとは言えない今の世の中で生きる私たちにとって、敗者の城から時空を超えて聞こえて来るメッセージに耳を傾けることは、決して無駄なことではないと思います。

2019年8月29日 (木)

「八九六四『天安門事件』は再び起きるか」

 今年の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作となったルポライター、安田峰俊さんの「八九六四 『天安門事件』は再び起きるか」(角川書店)を読みました。

 今から30年前の1989年6月4日、民主化を求める学生らに向かって軍が発砲し、多くの死傷者が出た天安門事件。この作品は事件に直接関わった当時の学生を始め、多くの関係者にインタビューすることにより、語り継がれる中国の民主化運動弾圧事件の実態に迫ったノンフィクションです。

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 事件当時、大学1年生になったばかりだった私にとっても、天安門事件は記憶に新しく、ソ連でペレストロイカが始まり、東西冷戦が終結へと向かう流れの中で起きた事件だととらえていました。

 卓越した中国語能力と取材力の合わせ技で為しえたこの力作を読んで改めて認識できたことは、天安門事件は当時のエリート層が起こした事件であって、市民一般の声を反映した運動だったとは言えないということです。

 30年前を振り返る彼らからは非常に冷めており、とても美化できる運動ではなかったということが分かってきます。興味深いのは、彼らの回想が、日本の全共闘世代のそれと重なり合うという点でした。筆者の安田さんが終章で引き合いに出したのは「西遊記」に登場する孫悟空。これがストンと腑に落ちるというか、非常に効果的だと感じました。

 本書を読めば、30年前の事件を通じて現在の中国を知ることができると思います。そして、現在香港で激しい反政府デモが起きている背景にあるものも見えてくるでしょう。

 終章で安田さんは、今後の数十年、中国で「まともに民主化が実現する可能性はほぼゼロに近いだろう」とつづっています。隣国で暮らす者として、私たちは中国との友好を深め、協調していくべきだと信じていますが、その第一歩として、まずは中国という国の現実を見極めていくことが大切なのだと思います。

2019年8月 1日 (木)

団地と移民 課題最先端「空間」の闘い

 敬愛するジャーナリスト、安田浩一さんの「団地と移民 課題最先端『空間』の闘い」(角川書店)を読みました。


 安田さんは、在日韓国・朝鮮人の生活地域で排外デモを行っている「ネット右翼」の実態を綿密な取材で明らかにしたルポ「ネットと愛国」で講談社ノンフィクション賞を受賞するなど、マスメディアが切り込みにくいテーマに取り組み、高い評価を得てきたジャーナリストです。本書のテーマである「団地」も、これまで安田さんが追ってきたテーマの延長線上にあり、さすがの着眼点だと思いました。

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 団地は戦後の住宅難を解決するために、国策的に全国に広がった住宅。高度成長期に広まった「風呂付き住宅」には夢と希望が詰まっていたのです。


 「転勤族」の家庭で育った安田さん自身も、団地で育ちました。ルポは安田さんが子どもの頃に育った東京・町田市の団地を再訪するところから始まります。40年以上を経て、もっとも顕著に感じられた変化は高齢化。今や、孤独死が起きてしまう都会の限界集落と化しています。

 そこに生活の場を求めて、コミュニティーを形成しているのが中国やブラジルなどからの移住者たち。文化の違いから起こる住民間のトラブルは少なくありません。さらに、そこには住民ではない排外主義者たちが群がってくる…。

 安田さんは憎悪が巻き起こる背景を具に取材しながらも、現状を憂い、相互理解を進めようと尽力する善意にも光を当てています。

 文化や民族、価値観が違うものが、どうすれば共生していけるのか。これは4月1日に改正入管法が施行され、外国人労働者の受け入れに拍車をかけている日本社会が考えていかなくてはいけない最も大きな課題なのではないでしょうか。

 あとがきの中で安田さんは団地を「多文化共生社会の最前線」と書いています。他者とともに生きていく私たちにとって学ぶべきことの多い一冊です。

2019年6月28日 (金)

「狼の義 新 犬養木堂伝」

 満州国の建国と承認に反対し、首相在任中に五・一五事件(1932年)で暗殺された犬養毅の評伝「狼の義 新犬養木堂伝」(林新・堀川惠子著、角川書店)を読み終えました。

 立憲政治の実現を目指し、護憲運動の中心的政党政治家であった犬養は、軍部に疎まれ、総理官邸に乱入して来た青年将校ら拳銃を突き付けられ、打たれる直前に「話せば分かる」と諭したというのは有名な話です。本書は事件当時、貴族院議員だった犬養の「懐刀」、古島一雄をもう一人の主人公に置くことで、新事実を交えて、新たな犬養像を浮かび上がらせた力作です。

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 第一章は、21歳の犬養が、東京の郵便報知新聞(後の報知新聞)の記者として、西南戦争に従軍し屍臭の中を歩いているところから始まります。かつて報知新聞に「戦場ジャーナリスト」が存在していたということも驚きですが、それが後に首相となる犬養であったということに興奮し、そのまま引き込まれていきました。

 500ページ近くに及ぶ骨太な1冊を読み終えて感じたのは、現代政治を憂うのならば、私たちはもっと犬養という人物を知るべきではないか、ということでした。憲法とは? 政党政治とは? 立憲主義とは? これらの問いかけは明治時代の藩閥政治から脱却し、理想を実現しようとした犬養なくしては語れないような気すらして来ました。

 本書を着想した林新さんはNHKの番組制作者として、太平洋戦争中のビルマ・インパールをテーマにしたドキュメンタリーなど作成して来たドキュメンタリストです。本書を半分ぐらいまで執筆されたところでご逝去され、後半は、林さんの意志を引き継いだ妻の堀川さんが書き上げたというのが出版の経緯だそうです。

 堀川さんは広島テレビ放送の記者として県警、司法、県政などを担当した後にフリージャーナリストに転身。講談社ノンフィクション賞を受賞した「死刑の基準―『永山基準』が遺したもの」や大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」などの第一級のノンフィクション作品を世に送り出している実力者です。

 2016年には「原爆供養塔」の著者インタビューを受けて頂いたことがありました。足が動かなくなるまで続けるという果敢な取材活動をお話頂いた中で、夫である林さんの取材ぶりについて触れられたことが印象に残っています。

 ノンフィクション作品というのは、事実を掴むために取材に出向く経緯も作品の中で描くのが、むしろ普通ですが、林さんはそれを作品の中には書かない。ただ掴んだ事実のみを書いていく。そこに堀川さんは「しびれました」とお話していました。

 「狼の義」は読み物としての技巧として架空の人物も登場させており、純然たるノンフィクションではなく、小説的な手法を用いた評伝です。林さんの意志を引き継いだ堀川さんにとっては新たな分野への挑戦的取り組みだったのではないでしょうか。

 分野は変わっても、一行一行には、確かな取材に裏打ちされた熱量が溢れているように感じました。

2019年6月11日 (火)

「極夜行前」

 ノンフィクション作家・探検家の角幡唯介さんの「極夜行前」(文芸春秋)を読みました。「オール讀物」での連載でだいたい読んでいたので、購入が遅くなってしまったのですが、単行本として読むと、改めて、角幡さんが取り組んできたことの凄さを感じさせられます。

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  角幡さんは、太陽の昇らない冬の北極を1匹の犬とともに旅して、4か月ぶりに太陽を見た体験をつづった「極夜行」で、2018年のノンフィクション本屋賞と大佛次郎賞を受賞。「―前」は、そのタイトル通り、「極夜行」を実行するまで試行錯誤していた約3年間の準備の記録です。 GPSへ衛星電話に頼らずに極地を旅するために、六分儀を使っての天測方法をイチから学び、毎年北極へ行って、犬を連れての旅を試行を繰り返します。計画実行へ向けて、食料や燃料を小屋にデポジットする時には海象(セイウチ)と対峙する場面も。準備段階からしてすでに本当の冒険記録になっています。


 角幡さんの行動をみて、いつもすごいと思うのは、自分が発案した計画をスポンサーなどの力に頼らずに独力で実行してしまうという点です。近著の「新・冒険論」を観念論としてではなく、本当に実行していることは驚異的なエネルギーだと思います。


 読む順番としては、やはり「極夜行」を先に読むのがお勧めです。それが超1級の体験型ノンフィクションだからこそ、準備段階の話だけでも、読み応えのある作品として成立することが分かると思います。

2019年5月22日 (水)

「竜之介先生、走る!」

 動物を専門とするノンフィクション作家、片野ゆかさんの新刊「竜之介先生、走る」(絵・高倉陽樹、ポプラ社)を読みました。2016年4月に発生した熊本地震で、ペットと一緒に生活できる避難所がない中で、自身の動物病院を、それまでに前例のなかった「ペット同伴避難所」として開放し、多くのペットと買い主を救った獣医師、徳田竜之介さんを描いたノンフィクションです。

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  一定数の国民が犬や猫を家族として暮らしている中で、2011年3月11日の東日本大震災の時に課題の一つとして挙がったのが「ペット防災」でした。被災地に置き去りにされた被災ペットの存在が大きな社会問題となり、動物保護への社会意識が高まる転機となりました。

 ただし、課題として多くの人が認識するようになったとはいえ、実際に解決に向けて行動できる人というのは、本当にごくわずかでしょう。3・11の5年後に発生した熊本地震の時に、解決に向けて尽力したのが「竜之介先生」でした。

 本書は児童書なのですが、筆者が第一線でのノンフィクションの書き手とあって、例えば手術の様子の描写ひとつとっても、細部まで描かれており、綿密な取材の成果であることが伝わって来て、大人にとっても十分に読み応えのある作品になっています。

 昨年、片野さんが、犬の平成史とも言える「平成犬バカ編集部」(集英社)を出版された時に、インタビューさせて頂いたのですが、強く印象に残った言葉があります。


 「災害時にどう動物たちを保護するか。それを考えられる社会であるならば、子ども、高齢者、障がい者という]弱者が見捨てられることはない」

 今回の新刊では、その言葉の意味を再確認し、動物のために実際に行動している人物がいるということに感動しました。小さいお子さんがいる方には是非親子でお勧めしたい一冊。きっと温かい気持ちになれると思います。

2019年5月16日 (木)

「世にも美しき数学者たちの日常」

 幻冬舎の新刊「世にも美しき数学者たちの日常」(二宮敦人著)を読みました。世の中の役に立っているのかどうかさえ、我々門外漢には良く分からない数学を日々研究している人たちは、どれだけ「変わり者」なのでしょうか。16万部のベストセラーになった「最後の秘境 東京藝大」(新潮社)の著者、二宮敦人さんによる「誰でも行けるけど、誰もよく知らない秘境」の探検第2弾です。

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 上野動物園の横にある東京藝大の「秘境」ぶりにも驚かされましたが、数学者たちの日常も、私たちの想像が及ばない世界でした。「問題を解くことではなく、作ることが大事」「数学は芸術に近いかもしれない」と主張する学者さんや、数学教師とお笑い芸人の二刀流、タカタ先生など、とっても不思議な人物が続々と登場します。

 読んで分かったのは、中学や高校の時に無理やり答えを解かされていた「数学」は本当の数学ではないということ。もう一つは、数学は主観の入り込む余地がない学問だというのが誤りだったということです。言語でもあり、芸術でもあり、エンタメでもある数学が「客観的」であるはずがありません。また、数学者にして仏教信者だった岡潔(故人)について言及されている点も興味深かったです。

 著者の二宮さんは「東京藝大」を出版された時に、私が秋葉原でインタビューさせて頂いたのですが、一橋大経済学出身の文系インテリなのに、理系的なセンスがある方だな、という印象を持ちました。「高校時代の愛読書は何ですか?」とお尋ねしたところ「うーん、ブルーバックスとかですかね」と、講談社が出版している自然科学の新書シリーズを挙げられたのをよく覚えています。そういえばフィクションの著書には「最後の医者」シリーズというのも出されています。  

 本書の中で登場する編集者の袖山さんは、エッセイストの宮田珠己さんの傑作「晴れた日は巨大仏を見に」の中でも登場し、いじられ役として作品を引き立てた名編集者。数学という知的迷宮においても、その役割が果たせるのですから、もう脱帽です。

2019年5月 8日 (水)

「スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄」

 ノンフィクションライター、澤宮優さんの文庫本新刊「スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄」(集英社文庫)を読みました。


 江夏豊、掛布雅之、野茂英雄、福留孝介…。野球に興味がない人でも、名前は知っている名選手たちを発掘し、次々に獲得して世に送り出した伝説的スカウトの評伝。一人のスカウトを追う視点で描かれた、遠くなりゆく「昭和球界史」と言える一冊です。

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  日中戦争の最中の1939年に明大に進学し、卒業後は陸軍に入隊して、乗っていた船が東シナ海で潜水艦により撃沈された経験を持つ河西は、南海ホークスや大阪タイガースで外野手として活躍。盗塁王になるなどの実績がありましたが、本領を発揮したのは、指導者を経てスカウトに転進した引退後でした。


 食いついたら離れないことから「スッポンの河さん」と呼ばれたが、「仏の河さん」とも呼ばれた。本書では、スッポンにして仏でもあった河西の人間性が選手たちとのエピソードを交えてつづられています。感銘を受けたのは、昭和という時代にあって、河西が自分の息子ほどの若い選手たちに対する態度が「上から目線」ではなく、常に対等に接していたという点です。スカウト歴40年で入団させた選手は約300人に及ぶといいます。


 昔のスカウトと言えば、強引なイメージも付きまといますが、河西が大切にしたのは「誠意」だったと言います。駆け引きが付きものの世界で「誠意」を貫くのは容易なことではなく、人柄があってこそなし得たことなのかもしれません。


 河西がスカウトだった時代に比べれば、インターネットなどでの情報化が進み、名選手情報を均一化して来ています。河西のように目が効くスカウトが、隠れた逸材を発掘して来るというケースは減ってきているようです。そんな背景を踏まえつつ、本書の最終章ではスカウトの現況に触れ、金足農から日本ハムに入った吉田輝星や大阪桐蔭から中日に進んだ根尾昂を河西だったらどう見るか、という視点で結ばれています。

 AIの時代に突入して、どんなに情報化が進んでも、最終的に「人を見抜く目」というのは人間の目に他ならない。一人のプロ野球スカウトの人生を通じてここで描かれたことは、人間が生きる社会の中で、普遍的なテーマだと言えるのではないでしょうか。

2019年4月29日 (月)

「無目的な思索の応答」

   芥川賞作家・又吉直樹さんとライター・武田砂鉄さんが「東京新聞」紙上で交わした往復書簡の単行本「無目的な思索の応答」(朝日出版社)を読みました。

 「無目的」だからこそ、自在に泳いでいってしまう思索のキャッチボール。これを成り立たせることができたのはこのお二人だからでしょう。「無目的」とは何と自由なことか。

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  又吉さんが本の中で例として挙げているように「流しそうめん」は流す必要がないのに、わざわざ流すという無駄な行為があるから楽しいのです。

 考えてみれば、自分が山に登ったり、知らない土地に行ってみたりしたことも「無目的」ですが、だからこそ自由であり、豊かな時間が過ごせたと思います。

 自分の日々の行いは「有目的」なことに縛られすぎてはいないだろうか。そんなことに気づかせていただけたのですから「無目的」は間違いなく意味のあることなのです。

2019年2月21日 (木)

「オリンピックVS便乗商法」

  2020年の東京五輪を前に是非ともお勧めしたい一冊をご紹介します。「オリンピックVS便乗商法 まやかしの知的財産に忖度する社会への警鐘」(友利昴著、作品社」。何よりも本の装丁が挑発的です。

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  日本代表選手の活躍を祝う懸垂幕を掲げてはいけない。選手が所属する学校や企業が、選手を応援するパブリックビューイングをやってはいけない。知的財産権を理由に、そんなルールがあるらしいと広まりましたが、これって本当なのでしょうか。

 本書では五輪に関する合法的な広告宣伝や応援行為についてIOCなどが「便乗商法(アンブッシュマーケティング」とのレッテルを貼ってクレームの対象として規制している状況を豊富な具体例を挙げて概観。そして彼らはなぜ規制しようとするのか。本当にそのクレームには法的な根拠があるのかを精査し、そもそもグレーゾーンなんてものはないはずなのに「触れぬ神にたたりなし」といった便乗や応援への自粛モードを作り出す手口を見事なまでに暴き出しています。

 そして圧巻は1964年東京五輪の時の利用規制に対して、当時の日本人がどのように対峙(たいじ)したかを徹底考察した最終章です。規制をくぐり抜けて、意地でも便乗してやろうという涙ぐましくも、噴き出してしまうような数々の知恵。55年前よりも現在のほうが、社会は成熟していると思いがちですが、読むと真逆なのではないかと思わされます。著者も「道理を重視し分別を大切にする姿勢は、50年以上前の日本の方が勝っているような気がしてならない」と論じていますが、全く同感です。

 大切なのは、作り出された忖度ムードに流されてはいけないということ。応援や便乗の禁止を求める声には、法的な正当性があるのかないのかを正しく知ることが大切だと思います。そうでなければ何のために知的財産法という法が存在するのか、分からなくなってしまいます。

甲斐毅彦

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