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2021年12月27日 (月)

「考える脚」

 読みそびれていた荻田泰永さんの「考える脚 北極冒険家が考える、リスクとカネと歩くこと」(KADOKAWA)をやっと読み終えました。

 「北極点無補給単独徒歩」、「カナダ~グリーンランド単独行」、「南極点無補給単独徒歩」の3つの記録に荻田さんの冒険観を織り交ぜた密度の濃い1冊でした。

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 どんな対象であれ、命を賭けてのめり込めるものを見つけて、実際に行動している人には魅力を感じます。荻田さんにとっては、極地冒険こそが、のめり込む対象でした。大学生の時に思いつき、ゼロからスタート。バイトして自力で資金を稼ぐことから始めて積み上げた活動には、深く共感すると同時に敬意を感じました。

 冒険家や登山家にとっては「いかにして活動の軍資金を得るか」というのは究極的な課題ですが、荻田さんはその点において非常にフェアで健全な考え方を持っています。

 「自分自身こそが自らの人生の主人公である」という生き方は「随所作主 立処皆真」という禅語そのものですね。

 そして、幸せな人生とは「やるべきこと やりたいこと できること」の3つが一致した人生だという言葉は、最も響きました。それを見つけるのに遅すぎるということはないでしょう。

2021年12月26日 (日)

「おおあんごう」

 「親ガチャ」なる言葉が、2021年の新語・流行語大賞のひとつに選出されました。インターネット発祥の俗語らしく、生まれもった環境や能力によって人生が大きく左右されるという認識に立って「生まれてくる子供は親を選べない」ことを意味するそうです。

 この「親ガチャ」で「当たった」と思える人は、あまりいないそうです。自分の場合はどうだろうか。ひもじい思いもせず、大学まで出してもらえたのだから、まあ満足しないといけないんでしょうけど「当たり」とは思えない。振り返れば親への不満なんていくらでもあるものでしょう。

 お笑いコンビ「かが屋」の加賀翔による初小説「おおあんごう」(講談社)はまさに「親ガチャ考」とでもいうべき作品です。

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 恐らく自伝的な要素が多いのでしょう。岡山の田舎町を舞台とする家族の物語。岡山弁での会話は、のどかなのに、登場する「細いゴリラのような父」は、とんでもない人物です。上半身裸で外をうろつき回るかと思えば、酒に酔っていろんな人にからみ出す。こりゃあ離婚も当然でしょう。

 私も18歳の時に両親が離婚しましたが、これならば自分の親父のほうがちょっとはましなのではないかと思ってしまいました。

 でも、とんでもなく破天荒な親の元に生まれてしまったという「親ガチャ」は、果たして「はずれ」と言い切ってしまって良いのだろうか。品行方正なら「当たり」。いやいや、そんな単純なものではないでしょう。読後も「親がちゃ」を巡る禅問答にはまり込んだまま、抜け出せずに、年を越すことになりそうです。

2021年11月28日 (日)

「家族不適応殺」

  2018年6月9日に起きた新幹線無差別殺傷事件の犯人を取材したルポ「家族不適応殺」(インベカヲリ☆著・角川書店)を読み終えました。
 「無期懲役の判決を得て、一生刑務所で暮らしたい」。この願望を叶えるため、当時22歳だった小島一朗は、東海道新幹線の車内で、男女3人をナタで襲撃。止めに入った男性1人を殺害し、女性2人に重軽傷を負わせました。
 そして法定において「希望どおり」の判決が言い渡された時には裁判長の制止を無視して大声で万歳三唱―。
 写真家でもある著者は、拘置所の小島と手紙のやり取りをし、複数に渡って面会。なぜこのような異常な人間になってしまったのかという疑念は、小島の家族への取材を繰り返す中で、少しずつ解けていきます。
 「刑務所に入りたい」「死刑になりたい」。これらの身勝手な願望を叶えるための犯行は、小島が起こした事件の後も繰り返され、今年も8月6日には小田急線内で、10月31日には京王線内で刺傷事件が起きています。何が暴発する彼らを生み出しているのか。まず、その背景を知ることは意義のあることだと思います。

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2021年11月13日 (土)

「狩りの思考法」

探検家・ノンフィクション作家、角幡唯介さんの最新刊「狩りの思考法」(アサヒグループホールディングス)を読み終えました。
 1年間のうち約半分を北極圏グリーンランドのイヌイット集落シオラパルクに「単身赴任」し、犬ぞりで移動しながら狩猟で食料を調達するという行動原理を、角幡さんは計画性のある探検ではなく「漂泊」と表現しています。
 本書は狩猟民イヌイットと同様に「漂泊」を行動原理とすることにより、体感した狩猟民の世界観、思考法を活字化したエッセイです。
 その象徴的な現地の言葉が「ナルホイヤ」。これは「未来はわからないのだから計画にとらわれず、目前の状況に集中しろ」という倫理観らしいのですが、日本語で最も近いニュアンスの言葉は、どうやら「知らんがな」といった半ば投げやりな感じになるようです。
 イヌイットのこの投げやりとも言える態度については、古典的な名作ルポとして知られる本多勝一の「カナダ・エスキモー」の中でも言及されています。約60年前に出版されたこのルポの中では、その根源的な理由までは書かれていないのですが、角幡さんは自らの狩猟体験を通じて、一つの答えを導き出しました。ここが肝となるところでしょう。
 言うまでもなく、人間は他の生命を奪って自らの食料としなければ、命を保てないわけですが、日常的にはそれを意識することはありません。それが農耕以前の狩猟という人間と自然との始原的な営みにまで立ち返ると体で実感することができる。逆に白熊や海象(セイウチ)からみれば、人間が「獲物」という立場に変わるわけです。明日は獲物をとっているかもしれないし、獲物になっているかもしれない。確かなことは「今」だけということです。
 読んで感じたのは禅の真髄と言われる「当処 即今 自己」と通底する価値観なのでないか、ということです。もちろんイヌイットに禅文化があるわけではないでしょうが、人間の営みを始原にまで辿っていくと同じところに帰一していくということなのかもしれません。
 角幡さんは野性の中に生きながらもハイデガーの「存在と時間」や井筒俊彦の「意識と本質」などの難解で抽象的な哲学書を読み込んでいる探検家です。これまで触れて来た哲学に「ナルホイヤ」の精神を照射してみたのではないでしょうか。本書の中では、そこまでは踏み込んでいませんが、気になるところです。
写真の説明はありません。
 
 
 
 
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2021年11月12日 (金)

「ニュースの未来」

 ノンフィクションライター、石戸諭さんの「ニュースの未来」(光文社新書)を読みました。インターネット時代に入って、新聞やテレビなどの伝統メディアは構造の転換を迫られていますが、かといって新興ネットメディアも十分な収益が上がるほど成功しているケースも多くはありません。
 
 「ニュース」に携わる人たちが自信を失いつつある現状を踏まえつつ、本来の「ニュース」の役割とその創造性、可能性について多角的に語った優れた論考だと思いました。
 
 著者は2006年に新聞記者になり、10年でネットメディアの「Buzzfeed Japan」に移籍。2年後にフリーのライターとして独立しています。新聞も、ネットメディアも「限界」を感じての判断ですが、いずれも惰性では身を置きたくなかったのでしょう。
 
 ニュースを語る上で、ノーベル賞作家のガルシア・マルケスを冒頭にもって来る展開は非常に独創的。著者が相当な量のジャーナリズム関連書籍やノンフィクションを読み込んで、自身のライターとしての価値観に落とし込んでいることが伝わる1冊でした。新たな気づきも多かったです。

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2021年8月28日 (土)

『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』

 大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したルポライター、安田峰俊さんの『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』(角川書店)を読みました。
 
 一昔前までの外国人労働者と言えば、中国人が多かったですが、経済成長を遂げつつある中国からわざわざ日本に稼ぎに来る旨味はほぼなくなり、現在のその代表格はベトナム人に移っています。
 

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 悪名高い「技能実習生」という就労している彼らの労働実態は、技能などを身に着けることができる仕事ではなく、ほとんどが低賃金での過酷な単純労働です。彼らを中心とする在日外国人問題についての日本の報道について、著者の安田さんは、①彼らを「かわいそう」とみる理想主義的なもの②在日外国人問題についてのデータを集積しただけのレポート③排外主義的なもの 以上の3つに分類できると分析しています。
 
 ステレオタイプの視点では、実態は見えてきません。安田さんは広範囲にわたって当事者たちを直接取材し、彼らの実像を描き出しています。読んで感じるのは「叩き出せ」型の排外主義は論外であるとしても、必ずしも「かわいそう」という枠にははまり切らない実態があるということです。
 
 少子高齢化がますます進んでいく中で、労働力を外国籍の方に依存する状況はますます進んでいくでしょう。共存の道を探るためにも、是非お勧めしたい一冊です。
 
 ちなみにタイトルの『「低度」外国人材』には、日本政府が経済成長等に貢献する高度な能力や資質を持った外国からの人材を「高度外国人材」と呼んでいることに対する皮肉が込められています。

2021年7月11日 (日)

「サイレント 黙認」

 ホラー小説と言えば20年以上前に映画化されて話題になった鈴木光司さんの「リング」ぐらいしか読んだ覚えはないのですが、やはり本というのは、ふだん読まないジャンルを読んでみてこそ新鮮な感覚が味わえるものです。

 12日に刊行される神津凛子さんのサイコ・ホラーミステリー新作「サイレント 黙認」(講談社)は、まさにこの大切なことを思い出させてくれた1冊でした。帯の紹介文には、こんなふうに書かれています。

 建築会社に勤める勝人は、コーヒーショップ店員の華と運命の出会いを果たす。一目で心を奪われた勝人は、彼女との距離を少しずつ縮めていく。ところが、それから勝人は奇妙な子どもの姿を目撃するようになる。自分以外の誰も見えない幻影に苦しめられながらも、華の優しさに救われる勝人。一方、華の弟である星也は、突然様子が変わった姉が気に入らない。華の彼氏は本当に信用できるやつなのか?血のつながらない姉にほのかな恋心を寄せる星也は、親友の葉月とともに、勝人のことも調べだすが…。

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 舞台設定には何の変哲もないですが、その後の展開が独創的。そして何よりもこれから蒸し暑くなる時期に、背筋を冷やしてくれる場面が多い点でもお勧めできます。

 著者の神津さんは歯科衛生専門学校を卒業後に2018年「スイート・マイホーム」で小説現代長編新人賞を受賞。なぜホラー小説の書き手になられたのか、存じませんが、他の作品も読んでみたい気持ちになりました。

2021年6月29日 (火)

「小売の未来」

 未だにいつ収束するかも分からない新型コロナウイルスによるパンデミックのせいで、日常の買い物だけでもめっきりオンラインストアの利用する回数が増えました。

 私はどちらかというと、商品は実際に自分の手にとってみないと納得できないタイプだったので、オンラインでの買い物には抵抗があったのですが、もうそうも言っていられなくなりました。使っているうちに、何よりも「ポチ」で買えてしまう手軽さ、それだけでなくポイントが加算されるというメリットもあり、いつのまにか買い物の主流になってしまいました。

 これは私が世界的な流れの中に呑み込まれているということに過ぎず、特殊なことではないでしょう。こうなってくると門外漢でも「リアル店舗」がどうすれば生き残っていけるのか、という素朴な疑問が浮かんできます。業績が低迷する量販店は次々と閉店している現実もあり、気になるところです。そんな思いから手に取ったのが、 プレジデント社の最新刊「小売の未来」(ダグ・スティーブンス著、斎藤栄一郎訳)です。

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 著者は世界的に知られる小売コンサルタント。人口動態、科学技術、経済、消費者動向などを踏まえた予測はウォルマートやグーグルなどの世界的に知られたブランドに影響を与え続けているそうです。その視点はとにかく多角的、立体的であり、薄っぺらいハウツー本とは一線を画するものでした。特に「パンデミック後も消費者が抱いている10の問いかけ」は圧巻。これがプロによる分析か、と唸ってしまうほどです。

 本書には各章の冒頭にシェイクスピア、ゴッホ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどによる格言が添えられています。これは説かれていることが「小売業」という枠を超えて、広く応用できるという著者の自信の表れでしょう。小売業に限らず、ポスト・コロナに向けて、あらゆるビジネスに取り組んで行く方々にとって得るものがある名著だと思います。

2021年6月25日 (金)

「十六歳のモーツァルト」

ノンフィクションを読んで思わず落涙したのは、いつ以来のことだろうか。KADOKAWAの新刊「十六歳のモーツァルト」(小倉孝保著)を読み終え、生命の尊さをひしひしと感じています。
 4歳の頃から自分で音符を書いて作曲をはじめた加藤旭は、その驚異的な才能で音楽関係者を驚かせ「モーツァルトの再来」とまで称賛された天才少年です。将来を嘱望されましたが、神奈川県の難関校、栄光学園中学に進学後に脳腫瘍を発症。作り出したおよそ500曲を遺し、2016年にわずか16歳で旅立ちました。

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 本書は加藤旭の家族をはじめ、関わった音楽関係者、学校関係者、友人、医療従事者らを綿密に取材して、生い立ちから旅立ちまでの16年間を追った作品です。こんなにも短い人生で、確かな「生きた証」を遺しただけでなく、多くの人の心をも動かした少年がいたとは。
 加藤旭の余命宣告がなされた後、尽きようとしている命を輝かせようと、奔走する人々の姿が、強く胸に迫って来るのです。
 こんなにも感動的な話なのに、過剰な美化や押しつけがましい表現が一切ない。著者はこれまでに小学館ノンフィクション大賞などを受賞している毎日新聞の論説委員。その文章の巧さは言うまでもなく、新聞記者の模範のようなものです。
 本書に登場する人物はすべて実名で、進学塾や、利用したファミリーレストランのメニューまでが具体名で記されています。それが加藤旭が生きていた時の足跡の一つひとつを慈しむかのように感じられて来ました。
 この秀作をもっと多くの人に読んでもらって良いのではないか。ただその思いで、ご紹介させて頂きました。

2021年6月23日 (水)

立花隆さんから学んだこと

  ジャーナリズムの巨匠、立花隆さんが亡くなりました。私が学生時代に最も愛読していたのは「中核vs革マル」(講談社文庫)。すでに学生運動は下火になっていた時期ですが、高い理想や正義感を持っていたはずの若者たちが、なぜ殺し合いの内ゲバ闘争を展開するようになったのか。これは引きつけられるテーマでした。「正義は暴走する」という普遍的なテーマを考える時にいつも思い出すノンフィクション作品です。

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 とはいえ、ジャーナリスト志望だった学生時代に立花さんの本にのめり込んだわけではありません。ジャーナリストに「現場型」と「分析型」というタイプがあるとすれば、立花さんは典型的な後者。私が憧れていたのは、読売の本田靖春、朝日の本多勝一、共同の斎藤茂男といった現場志向の強い記者でした。
 私が立花さんのすごさに気がついたのは、むしろ自分が現場に取材に出る記者になってからでした。特に事件取材などをするときに感じたのは、どんなに努力しようと、もがこうと「自分の眼で見て、自分の耳で聞ける事実」は極めて限られているという現実に阻まれます。「現場」が最も大切であることは変わりはないけれど、読者に真相を伝えるためには「マクロ的」な視点を持つ必要があるということに気がつきました。
 立花さんの代表作はやはり「田中角栄研究」(1974年)でしょう。当時の田中首相の金脈を追求して、田中内閣を退陣に追い込んだ伝説的なレポートです。膨大なデータを精査し、不動産登記簿まで調べ上げ、ペーパーカンパニーの土地取引の疑惑を浮かび上がられました。これこそ「分析型」ジャーナリストでこそなせる業でしょう。雑誌のみに限らず、新聞においてもその後の調査報道をする上での手法に与えた影響は大きいのではないでしょうか。
 政治、経済、最先端の科学技術…。一つの分野に執着せず、好奇心が向くままに縦横無尽に取材した足跡の多さは驚異的なものだと改めて感じます。その中で、今思い出すのは「臨死体験」をご自身のテーマの一つにされていたということ。蘇生した人々の証言を取材した著書には「まばゆい光、暗いトンネル、亡き人々との再会」があると書かれています。天命を全うした立花さんは、ご自身で体験し、旅立たれたのでしょうか。
 作品の一つひとつを読み返しながら偲びたいと思います。

甲斐毅彦

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