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2008年11月11日 (火)

苦手な映画監督

 何年か映画を取材していると、「映画監督」とひとくちに言っても本当にいろんな人がいらっしゃるものだと感じます。

今回は差し支えがあるかもしれないので、人名や作品名については省略します。比較的、経験が豊富なベテラン監督とご想像ください。
 演劇では、あまり聞かないのですが「映画は監督のものだ」という言葉をいまもよく耳にします。
撮影現場の司令塔です。
映画界というのは不思議なもので、大金を投じた大作だからといって、入場料が2倍、3倍になることはまずありません。
良心的な娯楽なのだと思います。
 映画記者になれば、多くのマスコミ試写に顔を出すことになります。
ある邦画の試写では上映前、その作品の監督が入口付近に立っていることがありました。
その人は何をするでもなく、終映後もいらっしゃったのです。
後ろめたいこともないのに、こちらがドキリとし、気まずさから胃痛を起こしかけました。
監督はよっぽど作品に自信があるのか。
居心地の悪い“まな板の上の鯉状態”は心臓に悪くはないのだろうか。
逆に気になります。
 1年に何本か、形容しがたい珍品や、耐え難い退屈、怒りを覚えるような作品にお目に掛かります。
それが話題作であればあるほど、試写の上映中から私の中で憂うつが始まります。
監督に限らず、宣伝部や関係者に感想を聞かれたらどう答えれば良いのか、という不安です。
 あまりに正直に言ってしまうのも酷で落胆させるのも気の毒かもしれないし、そうかといって空々しいお世辞も言えない。
終映後、関係者が聞いてくる「どうでした?」という、この言葉の恐怖がどんどん膨らんでいくわけです。
 ある時など顔を合わせず脱出しようと思い、エレベーターを使わず、高層階から階段で降りたことがありました。
ひざガクガク状態で入口までたどり着いたら、その関係者にバッタリ、という恥ずかしいこともありました。
傑作だろうと駄作だろうと、見終わったら少し冷静になって振り返る、考える時間が欲しい。少し落ち着いてから感想は伝えたい、というのが本音です。
 また違うタイプの苦手な映画監督は、話が尋常でないくらい長い人です。
インタビューなら全然構わないと思うのですが、中には上映前にもかかわらず、1時間近く話し続ける人がいて閉口しました。
 お客さんは監督の舞台あいさつも楽しみだったのかもしれませんが、明らかに疲労感のようなものが場内に充満し、集中力を失い眠る人まで出る始末。
 監督本人は存分に話したいことが言え、満足そうな表情。でも、いまから見ようとしているその映画が“主役”のはず。一種の妨害ではないか、とさえ思えたのです。
 時に人生をも変える力もあり、人に感動を与える映画づくりという世界。
監督には、とりわけ人間の感情の細かな機微に鋭敏なことが求められるでしょう。
それだけに見る側の気持ちを、違った角度でもう少し分かって欲しいなぁ、と思うことがあるものなのです。

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コメント

へえ!不思議なことですね。
人間のちいさなちいさな心の機微を表現する監督さんたちに、目の前の人間の表情が汲めない部分があるなんて。
けど、自分の生み出す作品や、あるいは自分自身を過少も過大もなく、冷静に見られる人ってすばらしいよね。そういう人にでくわすとびっくりして、そのあと「ついていきます」って気持ちになってしまうなあ。「嘘を言わなくてもいいように」と階段をおりていくウチノ姉さんの姿を想像すると正しくそういう人なのだろうなと思います。

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