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2009年5月24日 (日)

映画の「放浪記」も負けていません(下)

 舞台版で林芙美子を演じる森光子は、軽やかさとどこか憎めないかわいさを持った人物として、見る者を引き込んでいくのに対し、映画版の高峰は哀愁と屈折から主人公を浮かび上がらせようとします。演じ方は、対照的です。

 映画版が、舞台版の脚本、演出も手がけた菊田一夫さんが脚本を担当しているのもさることながら、監督は「めし」(1951年)、「浮雲」(1955年)など「林芙美子もの」を知り尽くした成瀬巳喜男さんが、メガホンを執っていることも大事なポイントです。

 「放浪記」は、どん底からはい上がろうとする女性作家の無数の葛藤(かっとう)を描く自伝的物語。
 高峰の演じる芙美子はモノクロ映像独特の陰影効果もあって、醸し出される哀愁に、まず驚きます。
 この作品では、高峰自身が、決してきれいに撮ってくれるな、と語ったという有名な話が残っています。
 「美しく撮らない」ことは、「放浪記」にとって非常に重要なことなのです。Photo

 主人公は人格形成の過程で、自分が不細工であるコンプレックスを抱えます。
 冷酷な男だと分かっていても、イケメンの男に走ってしまう悲しさ。
 他人からはささいなことに見えるコンプレックスが、人生に大きな影響与えるこわさ。

 自分のすぐそばに優しく親身になって心配してくれ、貧しければ金も快く貸して助けてくれるのに、好意を寄せる芙美子命のその男性には、まったく見向きもしない。


 イケメン男(宝田明)は妻が作家として売れ始めれば、しっとむき出しに乱暴に振る舞い、
肺を病んでいる状態で危険を顧みずに一緒に暮らしてくれることにも感謝せず、さらにDV癖まである、見ていて本当にムカムカする最低男だ。

 田中絹代が演じている主人公の母親役もまた圧倒的な存在感です。
行商の途中で結婚した娘の幸せぶりを見にきたはずが、さらに不幸になっていてがく然。

 自分を責めながら、娘を哀れむシーンなど強烈な印象を残します。

 高峰はやるせない内面を出すため、顔をゆがめ、上目遣いで主人公を演じています。
 この演技をある瞬間、ガラリと変える場面があるので、注意して見てください。
 でも思います。美しい顔立ちをした方は、どんなに多少ゆがめてみても目鼻立ちが変わるわけではないので、美人は美人なんです。 内面の屈折感を表現する上で大胆な演じ方を選んだのでしょう。


 芙美子が仕事で成功するまでに、ライバル作家の原稿を預かっておきながら、確信犯で自分の原稿採用を優先させるために遅れて届けるという行動を取ります。
 この作品を見る度に、その発想自体がおそろしく、寒気がします。
 絶対に私なら、友達にはなりたくないタイプです。

 しかし、そんな悪女的な面を持っていて、原稿の中で自分のみじめさもさらけ出しながら、筆一本でのしあがっていく姿は、見る者に勇気みたいものを与えるのです。
 ラストも執筆疲れで眠って終わってしまう。
 もしハッピーエンドで終わっていれば、おもしろさも完成度もずいぶん違っていたでしょう。

 これを書いていると、奮発して昨年買った成瀬監督のDVDBOXをまた見たくなってきました。
 長年、愛され続ける名画を見直すたび、名作たるゆえん、奥深さを考えさせてくれる時間は本当に幸せなものだと改めて思うのでした。

※写真は「放浪記」が入っている成瀬巳喜男監督のDVDボックス。通販で買いました

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コメント

あ~、私もイケメン好きでございます。

しかし、相手に嫉妬を感じさせる才能が
幸か不幸かないもので
なんとなく・・・平穏ではあります。

しかし、森光子さん、昨年末はかなりご心配の様子でしたが
さすが、またまた復活ですね!
すごい方ですね・・・・

遠いシンガポールからブログをチェックしています。
しっかりと休息をとって森光子さんのように頑張ります!
姉さんも休んでくださいね~

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