ブログ報知

スポーツ報知ブログ一覧

« サンドラ・ブロックと沢尻エリカ | メイン | 井上ひさしさんのエッセイ »

2010年4月 1日 (木)

愛川欽也のもうひとつの「顔」

Aikawa  愛川欽也には映画監督という肩書きがある。4月1日、新作「昭和の紅い灯」が公開になった。
上映館の東京・中目黒「キンケロ・シアター」で監督に会ってきた。
ここは愛川とうつみ宮土理夫妻の劇場で「キンキン、ケロンパ」から名づけられた。
ロビーもおしゃれなデザインで、こだわりが詰まっているのが分かる気がした。
すぐそばの目黒川沿いには、きれいな桜も咲いていた。

 監督作は過去に3本(1)さよならモロッコ(1974年)、(2)黄昏れて初恋(2007年)
(3)「いつも二人」(2008年)がある。
メガホンを執るだけでなく、主役と脚本と一人何役も兼ねる。
映画監督が自分の劇場で上映するなんて、この上ないぜいたくかもしれない。
でもたどっていくと、ここに愛川の芸能界入りの原点がある。

 「昭和の紅い灯」の舞台は昭和11、12年。新劇が始まった地といわれる築地小劇場をモデルに、厳しい表現の検閲が続く中、軍国主義に向かっていった日本で演劇に生きる人々を描いていく。編集やカメラワークなど全体的に手作り感が伝わってくる。
愛川は浦和高で東大にも行けると言われたが、フランス映画との出会いが人生を変えた。

 「学校の手前にフランス映画だけやってた映画館が出来た。1人で何人もやっつけちゃうようなアメリカ映画は僕は肌に合わない。フランス映画は主人公の挫折や兵隊なら脱走兵、それに泥棒とか。そういうのにたまらなく引かれて。気がついたらこの映画館が僕の高校の授業になっちゃってたんだよね」中でも、ならず者やお尋ね者を演じて有名だったジャン・ギャバンが好きだったという。

 「だんだん東大出て官僚になって何が偉いんだろ? それより映画のような芸能界に入ってみたいと思うようになった。東京をふらふらしていら偶然、髪を茶色にしてモリエールの芝居をしているじゃない? これなら日本人でもフランス人になれる!これだよ!!と迷わず思ったね」
高校を中退し、当時は東大に入るより難しいと言われた俳優座養成所へ。
「僕が入れたのは単純に子供っぽかったからかな。いま考えても何かの誤算としか思えないね(苦笑)」
俳優座を支えた千田是也さんなどは、この映画に出てくる時代に厳しい状況下で表情の制約と戦ってきた。
「多くを語ることはなかったけれど、それはもう大変なことだったと思う」

 映画は趣味の域をこえ、1億円くらいはかかった製作費も自分が負担。もうける欲はないという。
確かに入場料も1000円と安い。夜にゆっくり見たい人のために午後3時、6時30分に加え、夜9時からの回もある。
 「僕の映画が商売になるなんて。これっぽっちも思ってはいませんよ。黒字にするなら1人10万円くらい頂戴しないと無理(苦笑)。それにもうけるなら、こんな内容の映画を作っちゃ一番ダメでしょ? 
肩に力の入った大それた挑戦とかじゃなくて、二度とこんな時代になってはいけないという思いを残したかったんです」。複数の映画館で見られるわけではないので、ご夫婦の劇場見学と桜も見られる楽しみも合わせて一度「キンキン映画」に触れてみてはいかがでしょう。
テレビに映る愛川欽也の姿が、また違って見えるのではないでしょうか。
遅ればせながら私は、今回これらのお話を聞き、ロマンチストな方だったことを知ったのでした。

※写真は自分の劇場ロビーで映画への思いを語る愛川欽也

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://bb.lekumo.jp/t/trackback/235990/23756734

このページへのトラックバック一覧 愛川欽也のもうひとつの「顔」:

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

見出し、記事、写真の無断転載を禁じます。Copyright © The Hochi Shimbun.