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2010年8月28日 (土)

刑場の公開で思ったこと

 よく分からないながらも、死刑について初めて真剣に考えたのは19歳。加賀乙彦の「宣告」を読んだときだったと思う。分厚い文庫本で上中下の3巻。最後まで読めるか、ボリュームに圧倒されて書店でひるんだ。がんで逝った女性ジャーナリスト千葉敦子さんが読書日記でこの小説を評価していて、どんな風にすごいのか気になったのが、きっかけだ。
 「宣告」は人をあやめ、入獄の16年目に「お迎え」がくる男が描かれる。
極刑の宣告から、その時まで。拘置所に入ってカトリックに回心し、心安らかに死を受け入れられるようになっていく。極限状態から刻々と変化していく心理描写の迫力は、いま思い出しても心臓がどきどきしてくる。死刑囚は心理学専攻の女子大生との文通を重ね、これが心の支えだった。当時の自分は、女子大生に感情移入しながら、読んでいたのだと思う。いまも死刑の報道の度、この小説を思い出す。
 「宣告」と同じくらい、忘れられない映画がある。
 吉村昭の短編小説が原作の「休暇」(2008年公開)という作品だ。
 天井(踏み板)が開き、死刑囚の体を支える刑務官の苦悩が描かれる。
 死刑執行補佐を務めれば、一週間の休暇が与えられる内容だった。
 小さな男の子を持つ女性(大塚寧々)との結婚を決めた主人公(小林薫)は、刑務官としてつらい「役目」を志願する。新婚旅行に連れて行ってやりたいが、有給休暇が残っていなかった。人生の新しい門出と人生の終えんという対照的な状況での内面が並行して描かれる。重苦しい気持ちになりながら、命の尊さを自問自答する。
 執行され、意識を失ってもなお、脈打つ体を極限にも近い精神状態で支える過酷な任務。休暇が始まるが、ささやかな旅の道中で主人公は何度うなされる。神経は休まらない。忘れようと思っても記憶がよみがえり、苦しめる。
 人間が人間を裁くつらさと難しさ。裁判員制度ができたいま、傍観者でいることは許されない。誰がいつ被害遺族になるかも分からない。難しすぎて死刑存廃について答が出せるまで至っていないが、いまの自分にできるのは精一杯、考え続けることなのだろうと思っている。

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