顔の写真修整(上)
失礼かもしれないが、最近思わず笑ってしまったニュースがある。ジュリア・ロバーツらを起用した化粧品の宣伝写真を、修整のし過ぎを理由に英国の広告基準局(ASA)が禁止を言い渡したというものだ。
写真もデジタルの時代になり、細部の細部までクリアに写るようになった。違和感を覚えればプロでなくとも誰でも簡単に修正ができるようになった。ASAの意図は修正にも限度があるぞ、という意味なのだろうが、ではその境界線はどうやって決めていくのだろうか。そちらの方が大変かもしれない。
修正は、ある意味で間接的な整形手術だと思う。しかし、たとえシワや毛穴ひとつない陶器のような、マネキンのようなお肌の写真が載っていても世の中の女性たちは、このすべてが本当でないことぐらい分かっている。せめて写真の中でつかの間の夢をみせて欲しい、という願望もあるのだ。
仮に本物のグロテスクな肌を写してアップにすれば、見る方はおそらく引いてしまう。大きなポスターになれば顔が何倍も大きくなってしまうのだから、なおさらだ。化粧品メーカーに限らず、日本のコマーシャル写真でも、いまではまったく修正が施されていない人を探す方が難しい。大小の差はあれ、すこしでも健康的に見えるように肌のトーンを明るくしたりすることなど日常茶飯事だろうし、目の下のクマも瞬時に消されるのだ。広告には夢の要素も不可欠で、現実を入り込ませたくない作戦もあるだろう。
職業柄、いろんな芸能人と会って、実物を目の当たりにして、それまでイメージしていた印象とは別人に見えるくらい劣化した人にお目に掛かったことは1度や2度ではない。さらに修正は、別に女性陣に限ったことではなく、男性芸能人にも言えることだ。電車に乗っていて、取材したことのある有名人のCMポスターが目に入れば、1人クイズ状態で「この人は何本くらいのシワが消えているでしょう?目立つホクロは減ったり、小さくなっていませんか?」などと記憶に残る実物と比べて変化している箇所を見つけて自問自答しながら、楽しむようにしている。
修正作業は、何もCMの世界に限ったことではなく、そこにはコンプレックスと闘う人間の悲喜こもごもがあって興味深くもある。後半は、明日にでも書かせてもらいます。
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