銀座シネパトス閉館と新しい歌舞伎座
銀座三原橋の交差点をはさんで、互いに数百メートルしか離れていない2つの劇場。この上なく華やかに再開場した歌舞伎座と、都から耐震性の指摘で立ち退くことになった銀座シネパトスですが、あまりに対照的な光景に少し感傷的な気分になってしまいました。
最後が気になったので3月31日をもってお別れとなった銀座シネパトスの閉館イベントに行きました。1967年より45年に渡って愛されてきた映画館ですが、スポーツ報知でも毎水曜付けの「シネマ捜査」でここは何度、登場したか分かりません。
細々と公開されるB級の香りのする個性的な作品が多かったですね。
最初は気になりましたが、上映中に聞こえる地下鉄のガタンゴトンの音も次第に慣れていきました。
最終上映が終わっても、なかなかお客さんたちは帰ろうとしません。
300人くらいは残っていたでしょうか。
鈴木伸英支配人の目は涙ぐみ充血していました。
これまで何度となく、イベント取材にも来た場所ですが、映画館の支配人でこれほど動き回っている人を他に見たことがありません。
最初に名刺交換した時も何かのイベント前だったのですが、支配人自ら、
ステージの準備を行い、それが終わったと思ったら、マイクを持って司会、さらにお客さんの誘導までしていていました。
閉館のあいさつでは「みなさん(お客さん)が映画館で映画を見るすばらしさを教えてくれました」と頭を下げておられました。
近年はテーマを持った名画座としても知られ、日替わりのように大物ゲストを招いてのイベントも好評でした。
ある時など引退された裏方スタッフさんのトークの際には大物俳優と大物女優の話に及び、「この作品の撮影時は2人は完全にできてましたからね」と断言調で明かされたこともありました。
映画館のシャッターが下ろされ、鈴木支配人が閉館を告げる紙をはり終えた時、夜11時を知らせる銀座和光の時報の鐘の音が響いていました。
東京ど真ん中といわれる銀座での2つの劇場の異なる運命。
帰宅する地下鉄に乗ってからも、不思議な思いにとらわれたのでした。
【写真上】集まった約300人の人たちが見守る中で閉館した銀座シネパトス
【写真下】銀座シネパトスのシャッターが下ろされ、閉館を知らせる紙を貼り終えた鈴木伸英支配人
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